書に耽る猿たち

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『あちらにいる鬼』井上荒野/憎しみも独占もなく

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『あちらにいる鬼』井上荒野 ★

朝日新聞出版 2020.6.8読了

 

みたかった本。期待して読んで、本当に思い通りに満足できた一冊だった。しとしとと雨の降る午後に、雨音だけが響く中、静かに読み浸っていたいような作品だ。この小説は刊行当時から話題になっていた。それもそのはず、作者井上荒野さんの父親、不倫相手の瀬戸内寂聴さん、そして母親の3人の関係を、実の娘が赤裸々に書いたものだからだ。

説家である白木篤郎(しらきあつろう)とその妻笙子(しょうこ)はお腹にいる子供も含め家族4人で暮らす。徳島の講演会に出席することになったこちらも小説家の長内(おさない)みはるは、白木と出逢い不倫関係となる。その出逢いから別れまでを、みはると笙子の女性2人の視点で交互に語られる。

紙の裸の女性イラストから想像する官能的なシーンはない。ドロドロとした昼ドラのような愛憎劇が繰り広げられるわけでもない。ただひたすらに自分にまっすぐに愛に生きる2人の女性の姿が、荒野さんの美しくたおやかな文章で書かれている。女性が持ち合わせる些細さ、優しさ、あざとさが浮かび上がる。

倫による愛は正しいものもしては書かれていないが、間違ったものとしても書かれていない。正しいとか間違いとか、良い悪いではなく、それを超越した気持ちでいるから、ただの一度として相手に嫉妬しない。そう、この小説が美しいのは、人を憎む行為がないからだ。独占することもないから、篤郎も居心地が良い。

そんな男を、どうして彼女は愛してしまったのだろう。眠りに落ちながら、私はまだ考えている。愛が、人は正しいことだけをさせるものであればいいのに。それとも自分ではどうしようもなく間違った道を歩くしかなくなったとき、私たちは愛という言葉を持ち出すのか。(102頁)

はるも笙子も篤郎に愛され、そして愛していた。ただ真摯に一生懸命に生きていた。女性って本当に強いと思う。寂聴さんといえば、私が物心ついたときから剃髪の姿だった。出家したのは、光晴さんを切り捨てるためだったのね。寂聴さんは御年98歳、生命力に溢れて今もなお輝いている。

ィクションといっても、私はほぼ真実に近いのだろうと睨んでいる。確かに荒野さんのご両親は故人である。しかし、何度か寂聴さん本人に取材をしたようだし、かたやもう1人の語り手は実の母親なのだから。5歳という幼き時に親の不倫を見破れるはずもないが、一番近くで過ごし、そして同性である母親のことをわからないはずがない。最後まで読み終えると、笙子(荒野さんの母親像)のほうに共感度の分配が上がる気がする。

思議と読後感は清々しく晴れやかだ。最近井上荒野さんが好きになってきたし、父親である井上光晴さんの小説も読んでみたいと思った。もちろん、寂聴さんが光晴さんとの関係を本人の視点で書いた『夏の終わり』も外せない。

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