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『夏の終り』瀬戸内寂聴|習慣、そして憐憫

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『夏の終り』瀬戸内寂聴

新潮文庫 2021.12.5読了

 

聴さんの恋愛実体験を元にして書かれた私小説で、女流文学賞を受賞した『夏の終り』。この短編を含めたいくつかの作品が収められている連作短編集である。私が生まれたときには寂聴さんは既に仏門に入り尼さんの姿をしていた。だから、当時色々と話題にのぼっていた恋愛に自由奔放な晴美さん(当時はまだ瀬戸内晴美)のことは、写真や記事でしか目にしたことはない。

の小説の中で晴美さんは知子である。不倫相手の井上光晴さん(井上荒野さんの父)は慎吾、慎吾の妻は「あの人」、さらに、過去に恋愛関係にあった年下の男性涼太、これらの人物たちの四角関係が描かれている。名前以外はほぼ現実に近い形で書かれたろうなと私はにらんでいる。

和38年に発表された短編『夏の終り』は2作めにあたる。不倫の話であるし、かつて寂聴さんは「ポルノ作家」とも呼ばれていたから、もっとどろどろとした卑猥なイメージだったのだが、読んでみると、深い悲しみと熱情に気圧された1人の女性が儚げであり逞しくもある、しっとりと余韻に浸れる大人の作品だと感じた。自分1人で強く生きることを願いながらも男性にすがるしかない、当時の晴美さんの痛々しいが純粋な想いが溢れている。

下の涼太から、自分たちの関係は浮気なのか、何故別れないのかを問われた時「憐憫よ」と答えるシーンを読んだとき、ざわりとした。かわいそうだから、憐れだから離れられないんだと、それを伝える知子、それを聞く涼太の戦慄にゾッとしたこの場面がやけに印象的だった。

た、3作めの『みれん』では、「愛なんかより、習慣の方がずっと強いものだっていうことが、今度つくつぐわかったわ。慎があの人と別れられないのだって、あたしとの生活より、ずっと長い、深い生活の習慣が、あの家や、家族の間に、厳然とあるからよ」と涼太に話す知子。なるほど、愛よりも習慣か。それにしても、心に残る印象的なセリフや場面が慎吾とのやり取りではなく涼太との会話なのがアイロニーめいたものに感じる。

上荒野さんの『あちらにいる鬼』では、父親である井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの関係を娘の立場から書いたものだ。どちらも、不思議と嫌な感じはない。どうしてだか「こんな関係性もあり得る」と思わせる。現実に傷ついた人のことはさておくと、自分に嘘をつかずあまりにも純粋に愛し生き尽くした寂聴さんの生き方がもはや神々しく思えてしまう。

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