書に耽る猿たち

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『真夜中の子供たち』サルマン・ラシュディ/幻想的な中に卑猥さがつきまとう

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『真夜中の子供たち』上下 サルマン・ラシュディ 寺門泰彦/訳

岩波文庫 2020.8.15読了

 

早川書房から単行本として刊行されていたが、このたび岩波文庫より装い新たに刊行された。ブッカー賞を受賞し『百年の孤独』以来の衝撃と称されたこの作品、読まないわけにはいかない。とはいえ、マルケス氏の『百年の孤独』は、昔読んだ時にはまだ良さがわからず、苦しみながら読んだ記憶がある。本作はどうだろう?と少しの期待と自分の理解度を試しながらというか模索しながらようやく読み終えた。

ンド独立の日に生まれたサリームが、3代に渡る運命的な出来事を、妻となるパドマに語るという形を取っている。インドの歴史と文化を交えながら、サリームの出生のことや彼らを取り巻くエピソードがたくさん。よくもまぁこんなに長い物語を書けたものだとそれだけで脱帽だ。だけど、多分半分も理解しきれなかったと思う。

ーレムの祖父が祖母と出会う場面は、ひときわ衝撃的だ。医師である祖父は、ある具合が悪い女性(いずれ妻となる)を診るのに、穴あきシーツからしか診察出来ない。かかりつけ医のため頻繁に診ることになるのだが、診察箇所をそのシーツの穴から見るだけ。だから、顔も身体全体も、もちろん表情すら何もかもわからない。

故かギュンター・グラス氏の『ブリキの太鼓』の一番有名な場面を思い出した。主人公の祖母のスカート(4層にもなる広がったタイプ)に匿った男性と、その空間で妊娠してしまうという衝撃の場面だ。なんとも卑猥で印象的なエピソードだから強烈に覚えている。ということで、この作品も全体を通して「卑猥さ」が付き纏う。

想と現実、虚構が入り混じるようで難しく、最初はなかなか進まなかったのだが、徐々にその世界に没頭するようになる。サーレムが語りながらも、時折り現実に場面が動きパドマと会話をする場面は、マリオ・バルガス=リョサさんの語りに近いものがある。

の作品はマジックリアリズム小説と呼ばれている。マジックリアリズムとは何だろう?よく聞くがWikipediaによると「日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法」とある。確かに、現実なのか夢なのか妄想なのかと読んでいてふわふわと彷徨う感覚だった。ファンタジーに近いのかな。『百年の孤独』よりもむしろ、ブルガーゴフ氏の『巨匠とマルガリータ』の読後感に近い。

単に言うと、幻想的すぎて少し難しかった…というかしんどかった。予想の範囲内ではあるけれど。私は読了するという行為に対してほとんど苦痛は感じないけれど、毎日字を追うことに慣れていない人には読み通すのが難しいタイプの作品かもしれない。でもね、嫌いなわけでない。結構癖になる独特の味わいがあるのは事実。