書に耽る猿たち

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『鏡子の家』三島由紀夫/鏡を通して自己をみつめる

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鏡子の家三島由紀夫

新潮文庫 2021.1.18読了

 

島由紀夫さんの『鏡子の家』を再読した。以前読んだのは10年以上前で、主な登場人物と全体の雰囲気をなんとなく憶えている程度だった。三島作品の中ではあまり評判が良くないと言われているが、私としてはわりあい好きな小説と感じた記憶がある。

うして久しぶりに読むと、鏡子の家に集まる4人の男性が三島由紀夫さんの憧れの対象となっているように見える。貿易会社有望社員の清一郎、俳優である美貌の収(おさむ)、日本画家の夏雄、大学生でボクシングに励む峻吉。三島さんは34歳の時にこれを書いたようだが、彼のその後の生き方はこの当時から決まっていたんだなと思わせる。 

姿端麗な収は、裸体を見た光子(同じく鏡子の家に集まる女友達)から「痩せっぽっち」と言われる。収は、身体中を顔にしてしまおうと、身体に筋肉の鎧をつけようと思った。顔は鏡でないと見られないが、筋肉は自分でじっくりと見ることができるから。確かにそうだ、顔や背中以外の筋肉は自分の目で見られる。鏡を通さずに。

子の家に集う4人の若者の生き様、思想が繰り広げられるが、1つの小説の中に取り入れるにはあまりにも登場人物が多いように思う。鏡子を含めた5人以外にも、枝分かれして多くの人物が現れ、彼らの背景も書かれ少しまとまりがないように感じてしまうのだ。もしかすると、これが他の作品と比べて少し劣ると思われる原因かもしれない。鏡子の家というおもちゃ箱に、何でもかんでも詰め込み過ぎた感がある。

子の家に象徴される「鏡」を通して、そこから映る自己を見つめ直す若者たちを三島さんは描きたかったのかもしれない。人は決して自分が思っている姿ではなく、第三者の目またはフィルター越しにしか本来の自分は見えないのではないか。そしてまた、三島さんもこの作品を通して自己を投影していたのかもしれない。

読んだときの研ぎ澄まされた感覚が今回は感じられなかった。10年の間に私も多くの三島作品を読んだからか、もしくは彼の生き方や思想を知ったことで感じ方が変わってしまったのかもしれない。

子には8歳になる娘の真砂子がいる。彼女の視点から物語を見てみたいと思う。どのように仕組んで最後あのような結末になったのかとても気になる。もう、読書が想像をふくらませるしかない。

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