書に耽る猿たち

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『言葉を離れる』横尾忠則/絵と言葉は本当に正反対か

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『言葉を離れる』横尾忠則

講談社文庫 2020.12.29読了

 

はり表現者だなぁと心底思う。文章は長ったらしく句読点も少なくて読みにくいのに、人の心を掴む魂を紡いでくる。美術家、横尾忠則さんのエッセイだ。それもある意味「本」「言葉」に対する否定の書ともいえる。時代の流れとともに横尾さんの今に至る経歴が書かれていて自伝のようでもある。

誌『ユリイカ』に連載されたエッセイが19収められている。日本で知らない人のほうが少ない横尾忠則さん。雑誌の表紙やポスターなどのグラフィックデザインのイメージがある。例え彼の作品を知らなかったとしても、名前をどこかで目にしたことはあると思う。私は年に1〜2回は必ず美術展にも足を運ぶし、芸術というものも大好きだから、気になり読んでみた。

を読まずに、肉体(経験や自然、他者とのコミュニケーション)により本に代わるものを手にしてきた横尾さん。私は寺山修司著『書を捨てよ、町に出よう』やショーペンハウアー著『読書について』をまだ読んでいない。同じようなことを言ってるのかな?M.J.アドラー著『本を読む本』などで書物を否定する理由で多いのは「本を読んで体験した気になっても、結局は作者の目を通して擬似体験をしているのだから意味がない」というもの。でも、この本で横尾さんが話す内容は少し違っていた。

尾さんは「絵を描くことは言葉を排除する作業」で、絵の中に言葉が残っているとその絵は消化不良の作品、言葉を徹底的に排除することで絵は絵になるという。なるほど、あくまでも言葉と絵は対極にあるものと考えているのだ。でも、絵を観て言葉が生まれたり、文章を読んで絵が思い浮かぶこともある。

書とは疎遠であった(デザインから絵画に転身した)頃、横尾さんはふとしたきっかけでモーツァルトの本やCDを買い漁る。その後、天才に関する本を買い漁り天才コレクターになった。横尾さんは「天才とは自らが天才を演じることによって天才になった人物であることが解った」と気付いた。なるほど、三島由紀夫さんしかり、横尾忠則さんしかり。天才とは最初から天才ではないのだ。

もそも横尾さんは小説も執筆していたようで、書くのをすすめたのは井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんらしい。そうだ、井上光晴さんは井上荒野さんのお父様で寂聴さんと不倫関係にあった方だった。なんだか色んなところで繋がっているなぁ。彼の絵を観ただけで彼の文才も感じたのか、だとしたら絵からも言葉がほとばしっているのではないだろうか。

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 尾さんの、自由奔放でありながらも一つのことにとことん突き詰めていく姿勢や彼の美学がよくわかる、非常におもしろい本だった。肉体から生きる術を学んだという彼も、60代になってから少年小説を読み耽るなど、決して言葉と無縁ではない。きっと、本当は好きなのだ。作家では三島由紀夫氏、画家ではゴーギャン氏、私が敬愛する人たちもたくさん出てきた。兵庫県にある横尾忠則現代美術館に行ってみたくなった。