書に耽る猿たち

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『貝に続く場所にて』石沢麻依|大切なものを失ってもなお

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『貝に続く場所にて』石沢麻依 ☆

講談社 2021.7.25読了

 

日、第165回芥川賞直木賞が発表された。ついこの間『推し、燃ゆ』で宇佐見りんさんが盛り上がっていたのに、もう半年経ったのか。個人的には年に1回でいいと思うのだけど、出版業界を盛り上げていくためには良いのかなぁ。候補作が選ばれた段階で読むことはあまりなく、受賞作が決まったらどれか1冊くらいは単行本を購入している。

前も知らなかったこの石沢さんの作品を選んだのは、講談社主催の今年の群像新人文学賞も受賞されているからだ。デビュー作で新人賞と芥川賞を受賞するなんて、本人がリモート会見で「嬉しいというよりも恐ろしい」と表現した気持ちになるのがわからなくもない。映像で見た石沢さんの儚げで色気を纏った印象もどことなく気になった。雰囲気のある女性だと思った。

台はドイツの街ゲッティンゲン。ベルリンやフランクフルトのように有名な都市ではないのに、ゲッティンゲンは何で知られているのだろうと思うほど既視感というか既読感がある。「月沈原」と当てられた漢字も美しい。この街に、9年前の東日本大震災の時から行方知らずになった友人、野宮が訪れる。

が人の記憶に残るのか。記憶の断片が時の経過とともに繋がれていく。この作品に登場する人物は皆、傷ついた過去の記憶から目を背けるか立ち止まっている。しかし、そのままではいけない。震災だけではない、何かの出来事がきっかけで大切なものを失った人たちは、これを読んで、自分と向き合い折り合いをつけなくてはならないと思うはずだ。

様な語彙が頁を埋め尽くしている。修飾語もふんだんに散りばめられておりやや抽象的である。一度読んだだけでは理解できず、読み直す文章もけっこうあった。もしかしたら一般的には敬遠されがちで読者を選ぶ作品かもしれない。普段本を読み慣れない方は難しく感じるかもしれない。特に最初の数頁、野宮と別れる場面までは。

としては、最近の軽くて読みやすい芥川賞作品よりもかなり好みである。言葉を咀嚼して文体をじっくり味わう。この感覚がとても好きだ。受賞作の中からこの本を選んで良かった。デビュー作でこのように重く心に迫ってくる作品を生み出せたことは、確かに今後の執筆に重圧がかかりそうだ。それでも、私は石沢さんがこれから書くものを楽しみに待つとしよう。