書に耽る猿たち

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『フラナリー・オコナー全短篇 』[上]フラナリー・オコナー|ラストが秀逸

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フラナリー・オコナー全短篇 』[上]フラナリー・オコナー 横山貞子/訳

筑摩書房ちくま文庫] 2023.4.8読了

 

 

『善人はなかなかいない』

読み終えた後、すぐには意味がわからなかった。このラストはなにを意味しているのか、そもそもここで終わり?って。お喋りなお婆ちゃんとその家族が車で旅行に出掛けたら、最近監獄を脱獄した犯人に出くわしてしまう。そこでお婆ちゃんは何を諭すのか。

この作品は本国で出された短編集のタイトルにもなっており、オコナー作品の中でも有名な小説だ。初めは古めかしくてちょっとダサいタイトルだなと思っていたが、読み終わるとなかなかシュールなタイトルに思えるし、不思議とこれ以外のタイトルはない気がしてくる。

 

他に印象に残った2作品を簡単に。

 

『人造黒人』

祖父と孫の男の子が、都会であるアトランタに行く。実際は違うのに、孫は「生まれ故郷だ」と言い張り、都市の憧れから意気揚々と偉そうな態度を取る。祖父のある裏切りにより2人の関係性にどのような作用を及ぼすのか。自分が善良な人間だと思っていても、必ず悪意を秘めた部分があるということ、それを曝け出したときには、自分でも思いもよらない感情が湧き起こるのだと知った。

 

『田舎の善人』

表題作と同じくらいこの作品も有名な小説のようだ。これまたラストに「うっ」となる。サマセット・モームの短篇『征服されざる者』を読んだ時の感覚に近い。こんな風になるなんて、人生はかくも救われないものなのか、最後まで報われない善人もいるのか。はては、本心が見えないだけで、善人はなかなかいない、ということなのか。

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ぼ全ての作品でラストが秀逸であった。物語自体はどこにでもある風景を切り取ったもので、平易な文章ではあるのにちょっと怖いような感覚。それは人間の欲深さや悪だけが悪いというわけではなく、善良すぎることや愚かなことがそれ以上に恐ろしいことを問いているようにも思える。

 

に人物の名前が出てきて、「あれ、誰だろう」「いつ出てきたんだっけ」と考えていたら、数行先にその人物の説明があるということが多い。普通の作品でもそうなんだけど、オコナ―の場合、より目立つ。それが狙いであるかのように、突如として人物の固有名詞が登場するのだ。

 

日亡くなられた大江健三郎さんの作品で『人生の親戚』という小説がある。とても読みたいのだが文庫本は絶版で、いま手に入れるとしたら河出書房の文学全集しかなさそう。で、その『人生の親戚』の登場人物の女性がフラナリー・オコナーの研究者という設定らしく、それもあってオコナーを読みたいと思っていた。大江さんのほうが空想的・幻想的な雰囲気はあるけれど、影響されただけあってただよう空気感が似ているように感じた。