『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』サマセット・モーム 金原瑞人/訳
新潮社[新潮文庫] 2022.4.21読了
イギリスの文豪モームさんの小説はどれもおもしろく、なかでも名作『月と六ペンス』『人間の絆』は私にとって大切な作品である。実はまだ短編を読んだことがなかったので、新潮文庫から刊行されている評判の良いこの短編集を読んだ。どの作品も余韻に残る一級品で、短編も素晴らしかった。モーム氏の観察眼に感服し、巧みに表現した人間心理が心を震わせる。そしてストーリーがもう抜群だ。表題作を含めた8作が収録されているが、印象に残った2作を簡単に。
『征服されざる者』
フォローしているミモレさんのツイートを読んでから、どんな作品なのかとても気になっていた。確かにこれは衝撃過ぎる。ラストを読んで鳥肌が立ってしまった。8作全て読んだあとも、この作品だけが際立って印象に残っている。
ハンスが終始楽観的なのに対して一貫して揺るぎないアネットの態度。アネットと彼女の両親の対比もまた見事だ。アネットがハンスを憐れみそうになる心情など、一瞬の危うい際どさを上手く表している。そして人間の強い心は何者にも征服されない。
捕虜のドイツ兵がフランス人をこんな風に扱うなんて。新聞を与えられてもそこに書かれているのはドイツにとって良い内容だけ。まるで今の戦争の状況と同じではないか。戦争って、人を人ではないものにしてしまう。
『良心の問題』
殺人と良心の呵責をテーマにしたストーリーである。おそらく全ての犯罪の中で一番残虐で後悔がつきまとう(普通なら良心がとがめる)ものが殺人である。同じ人間を殺すこと。殺しをした人の心のうち、良心はどこにあるのか、良心というものはどうなっていくのか。
親友と同じ相手を好きになってしまった主人公が悪巧みをしてなんとか相手の女性と結婚する。初めはうまくいったかに見えたが、親友にまつわるある出来事をきっかけに、妻に対しての感情ががらりと変わってしまう。
なんだか恐ろしく思いながらも、人間の感情ってこうだよなぁと納得させられる。そもそも良心のあり方が人によって違うのだから。
モームさんがキャラクターを次々と登場させるたびに、その人物像が鮮やかに浮かび上がる。人物描写を描かせたら右に出る者がいないのではないかと思う。
どの作品も子供の影がほとんどない。ある程度歳を重ねなくてはわからない人間の業や愛憎におののく。これは大人のための作品集だ。時にはユーモアたっぷりに、時には憂いを帯び、時にはホラー要素を絡ませて読者を楽しませる。モーム氏の作品を読んだことがない人にも是非おすすめしたい。こういうった「傑作選」のようなタイトルの本には、駄作というかおもしろくない作品もあるのが常なのに、文句なしに全て傑作だった。