書に耽る猿たち

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『正欲』朝井リョウ|正しさ、多様性、居心地の良さ 不安と葛藤し生きていく

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『正欲』朝井リョウ

新潮社[新潮文庫] 2023.6.19読了

 

分にとっての「正しさ」とは何だろう。「正しい」といっても、それは全員にとってひとくくりに正しいということではないし、正しさが正解とも限らない。多数派が少数派よりも正しいというわけではないのに、知らず知らずのうちに、普通であることが正しい、それが当たり前だと思っている自分の考えが怖くなった。

 

いつしか、幸福よりも不幸のほうが居心地が良くなってしまった。はじめから何も与えられず、何を手に入れられるかや何を失うかで思い悩まなくてもいい状態に、すっかり慣れてしまった。(301頁)

心地が良いこと、面倒でないこと、そうやって自分の居場所を見つける。決して悪い状態ではないが良い状態でもない。そんな状態がしっくりくると思うのは傲慢かもしれない、もしかしたら少し諦めの気持ちがあるのかもしれない。何かと比べて、キツイ状態と比較しての「居心地の良さ」は本当に正しいのか。この作品を読むと、自分の状態や考えに不安と疑いが生まれる。今を生きていて、何かを真剣に考えるということを放棄してしまっているのかもしれない。

 

子が不登校になった検事の啓喜(ひろき)、男性不信だったが初めての恋をした女子大生の八重子、ある秘密を抱えた布団販売員として働く夏月。そして、人とは異なる性癖を持つ佳道(よしみち)。この4人の登場人物の視点を行き来して、読者に「多様性」とは、「正しさ」とは何かを問いかける。

 

代の先端を突っ走っていると思う現代作家の一人が朝井リョウさんだ。どうしてこんな風に、生きにくい世の中を、まるで地底を這う人々になったかのように書けるのか。ドライなその眼差しが、かえって人の心を突き動かして否応もなく不安を掻き立てる。しかし、私たちはその不安と葛藤し、考えに考えてこれからも生きていかなくてはならない。

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