書に耽る猿たち

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『タタール人の砂漠』ブッツァーティ|良い人生だったと思いたい

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タタール人の砂漠』ブッツァーティ 脇功/訳

岩波文庫 2021.5.10読了

 

代イタリア文学の鬼才で、カフカの再来と呼ばれているブッツァーティさん。神秘的、幻想的で、不条理を描いたら右に出る者がいないと言われている。元々気になってはいて、堀江敏幸さんの小説の中にも登場したことで余計に読みたい意欲が高まっていた。この『タタール人の砂漠』はブッツァーティさんの代表作である。

待以上に好ましい文体と漂う空気感があった。特段大きな事件は起こらないのに先が気になってしまうというこの感じ(作家にとってはこれ以上ない褒め言葉だと思う)を持てる数少ない作家の1人かもしれない。砂漠という乾いたタイトルなのに、何故だか私にはしっとりした作品に感じられた。

のしっとりした重みを感じたのは、おそらく一度バスティアーニ砦に腰を落ち着けたら二度と他の世界に出られなくなったジョバンニ・ドローゴの生き方から連想したのかもしれない。あぁ、まさしく世の中のほとんどの人の生き方がこれ。なんだか読んでいて虚しくなるような、儚い生き様に、虚無を感じた。これってもはや自分自身のことだと。

タタール人は作品の中で登場しない。登場しないというか、砦の北側の遥かなる砂漠からタタール人が攻撃を仕掛けてこないかを注視し続けるというのがドローゴたちの任務なのだ。そこに自らの存在の意味と希望を持ちながら。この砦という小さな世界で何十年も生きる彼らの生き方は、一体何を表しているのだろう。

れを読むと「慣れ」というものは良いものであると同時に恐ろしいものでもあると感じる。この小説は、社会人になったばかりの新入社員が読むべき、なんてよく言われているそうだが、会社に限らず、どんな組織や場所にも同じように言える。

じ場所に留まることが悪いというわけではない。自分が生きる希望や果てない挑戦を夢見て、何かに立ち向かうことが出来ればとみんな思っているのだが、それが叶わない(むしろ慣れてしまいそういった希望すら忘れてしまう)のが、哀しいかな人間の性なのかもしれない。

んな人生を歩もうとも、自らの人生に幕を閉じる時、「良い人生だった」と思えるかどうかが大切だ。せめてそう思えるように、限られた自分の人生をどう生きるかを考えないと。人間の生という普遍的なものをひっそりと問いただした名作だ。