書に耽る猿たち

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『人間の絆』サマセット・モーム|自分を意識し、人生をどう生きるか

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『人間の絆』上下 サマセット・モーム 金原瑞人/訳 ★★

新潮文庫 2022.1.19読了

 

フィリップは知らないうちに、世界で最高の楽しみ、本の楽しみを知ってしまった。(上巻64頁)

父の書斎で一人本を探していくうちに魅力的な本に出逢い、最高の楽しみを見出すフィリップ。半自伝的作品なので、モームさん自身の想いが詰まっている。晩年に「世界の十大小説」を世に発信したモームさんにとって、読書は生きる術だったのだろう。もちろん書くことと同様に。

人生で幸運に恵まれるのは、巣箱のミツバチのようにほとんど自分というものを意識していない人々なのだ。そういう人間のほうが幸福をつかむチャンスが圧倒的に多い。彼らの行動はほかの人々すべてに理解されるし、彼らの喜びは、だれからも喜ばれるからこそ自分たちの喜びになる。(上巻90頁)

分を意識しない人が良いと言っているわけではない。むしろ反面教師だと私は思う。「何も知らない人、何も考えない人のほうがお気楽で幸せである」という考えは確かにその通りだと思う。でも、はたしてそれが本当に幸せなのか?モームさんは、自分自身について、周りのことについて考えぬいて達した境地にこそ、本当の幸せを見出せると伝えているのだ。

るでヘルマン・ヘッセ著『デミアン』『車輪の下で』などを読んでいる感覚になった。特にフィリップが寄宿舎で生活しているとき。最初の数十頁読んだだけでも、心に突き刺さる文章にいくつも出会う。

 

ームさんの『人間の絆』の新訳が出た。この作品は、過去に中野好夫さんが訳したものを読んだことがある。海外文学を訳者を変えて読むことが好きなので、この新訳が刊行されて飛び付いた。もちろん、元々が素晴らしい作品であるから再読しようと思ったのは言うまでもない。

度読んでも素晴らしい小説だ。片足が不自由なフィリップに、誰しもが自分を投影させるだろう。完全な人間なんていない。みな、欠点や弱点、つまり欠けているものを抱えている。それは身体的なものだけでなく心理的なものでも。わずか9歳で両親を亡くしたフィリップが30歳くらいになるまでの約20年間を描いた長編小説である。

ィリップは冷徹なことを鋭く相手に話す。余計な一言をズバッと言ってしまう。「おいおい、そんなことを言うから孤独になってしまうんだよ」と心配になる。それでも大人になるにつれ、色々なことを経験し人の気持ちがわかるようになっていく。

うにもフィリップは嫌なやつなのに共感してしまうのは、実はこの「嫌なやつ」だからなのだ。自分自身を心から「いい人」だと思う人はまずいない。誰だって、自分をよく見せたり、ずるい考えがある。身近な人にすらそういう部分を隠す。それが人間なのだ。

れにしても、ミルドレッドという女性は、さらに、さらに、嫌なやつ!どうしてこうまでしてフィリップは振り回されてしまうのか、ミルドレッドはどうして何度も登場するのか、と読んでいてイライラした。だけど彼女のせいで物語がおもしろくなるし、フィリップを成長させる。他にも、脇を固める登場人物はみな魅力的だ。

の作品にのめり込んでしまうのは、私たちが生きていて体験することがほとんどフィリップにも起こるからだと思う。学校で笑われたこと、友情が脆くも崩れたこと、仲が良い友人に好きな人を奪われたこと、博打でお金をなくしたこと、やりたい仕事が見つけられず仕事を転々としたこと、毎日一緒に遊び仲良かった友達なのに離れてしまうと一切音信不通になること、あったろう。そんなあれやこれやが、自分にもあった、忘れかけていたけれど確実にあったのだと思い出すのだ。フィリップは普遍的なただの1人の人間なのだ。

 

(この先は少し内容に触れるので、詳細を知りたくない人はご注意ください。読んだからといって作品を読む喜びが損なわれることは全くありません)

 

語の終盤、フィリップが大英博物館で「人生とは何なのか」「生きる意味は何か」を自身に問いかけ、その答えを自分なりに見つける場面では身震いがした。幸せという尺度でしか物事を捉えないから不屈になる。人生を模様として捉えること、そうすれば幸福も苦痛も取るに足らないものだと悟る。

はり名作は何度読んでも色褪せない。むしろ前回読んだときよりも充実感でいっぱいだ。小説を読んでいて、高揚し、感動し、読み終えたくないと思える数少ない作品だ。まだ未読の人は、是非読んで欲しい。

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