『高慢と偏見』ジェイン・オースティン 大島一彦/訳
中央公論新社[中公文庫] 2022.3.26読了
イギリスの古典小説、それもとびきりおもしろい恋愛小説のひとつが『高慢と偏見』である。サマセット・モーム氏も世界の十大小説の一つに選んでいる。男性がこの恋愛小説を名作に選ぶとは余程だと思う。
イギリスの田舎町に住むベネット家には5人姉妹がいた。特に長女ジェインと次女エリザベスの恋愛模様を中心にして物語が展開されていく。聡明なエリザベスがこの作品の主人公であるが、私は姉妹の父親ベネット氏がとても好ましく思えた。
自尊心とか自負心とかいうものは(中略)実際誰にでもあるものであり、人間性はとりわけ自負心には弱いものであると、そして、現実のものにせよ、想像上のものにせよ、何らかの性質を根拠にして自己満足の気持ちを抱かない人は滅多にいないものであると。但し虚栄心と自負心は別のものよ。(中略)自負心は自分で自分をどう思うかということに関わって来て、虚栄心は他人にどう思ってもらいたいかということに関わって来る訳ね。(45頁)
姉妹の中で一番登場の少ない三女メアリーが作品の初めのほうにこう語る。読書好きな彼女が多くの読み物の中から発見し確信しているのだ。この小説の核心を言い得ているセリフが、この物語の始まりを予感させる。プライドが得てして人間関係の邪魔をすることはあるけれど、誇りを持っていない人は魅力に欠ける。人間にとって、自負心と虚栄心は混同しなかなか難しいところだ。
突然現れた相続人ミスター・コリンズのいまいましさったらないなと思っていたら、エリザベスに拒絶されたあとすぐさま心変わりをしている姿をみたら何故かおかしくなってしまった。なんだか、憎めないやつに思えてしまう。「え、そうなっちゃうの?」と展開もある意味喜劇である。
虚栄心だったのだ、私の愚かな振舞の原因は。一方からは甘い顔をされて気を好くし、多方からは苦い顔をされて気を悪くし、知り合ったそもそもの最初から私は無知と偏見の虜となって、とにかく二人のことになると理性を追いやってしまっていたのだ。今の今まで、私は自分のことが分かっていなかったのだ。(357頁)
エリザベスは、ダーシーからの手紙を受け取り、熟考した上でこのように考える。自分の虚栄心と偏見のせいで、自分のことも周りのことも見えなくなっていたのだ。この作品では「手紙」のやり取りがさかんに行われる。ダーシーからの手紙、終盤の叔母からエリザベスへの手紙など、手紙がとても重要な意味を持つ。
今と違って女性にとって「結婚」が全てと言われていた時代の話だ。現在は多様性の世の中であるし、決して結婚が到達点でもない。手紙の存在や結婚への考え方も変わってきた現代でもなおこの作品が読み継がれているのは、手段や価値観が変わっても人間の営みは普遍的だということだろう。
過去に新潮文庫の小山太一さん訳で『自負と偏見』を読んだことがあるので、実はこの作品を読むのは2回目である。よく言われているように大した事件は起きず、ただ延々と恋愛やら結婚やらについて女どもがあれやこれやと語るだけなのに、何故かおもしろい。この中公文庫の大島さんの訳は読みやすいのに格調高さも損なわれていない。何より当時の挿絵がふんだんに挟まれているのが素敵だ。
ジョージ・エリオットさんの作品ほどの重厚さはないが、恋愛と結婚にまつわる人間の心理が巧みに描かれるオースティンさんの作品は、とびきり楽しく生き生きとしている。これを書いたのが二十歳そこそこというのも驚きだ。彼女が残した全ての作品に登場する女性は結婚しハッピーエンドになるのだが、本人は独身を貫いたということがなんとも言えないところ。