書に耽る猿たち

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『シンプルな情熱』アニー・エルノー|人を愛する自分自身をも愛すること

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『シンプルな情熱』アニー・エルノー 堀茂樹/訳

早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.10.26読了

 

年のノーベル文学賞を受賞されたアニー・エルノーさんは、82歳になるフランス人作家。自伝的作品を多く書き続けている。邦訳されている彼女の作品の中ではおそらくいちばん手に入りやすいのがこの『シンプルな情熱』である。本自体も薄いのに、さらに頁の余白も多い。この文量なら、普通は中編2作まとめて1冊にすると思うが、編集者はそれだけ自信を持って薦めたかったのだろう。

み始めてすぐに、グロスマン著『人生と運命』の引用があった。この恋愛小説に、あの歴史大河作品が出てくるとはつゆほどにも思わず驚く。『アンナ・カレーニナ』が出てくるのならわかるけど。と思って読み進めたらやはり終わりの方に『アンナ・カレーニナ』と『風と共に去りぬ』が出てきた。

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さに愛する人へのシンプルな想いが、淡々とつづられている。主人公の「私」は、結婚していて家庭を持つある男性をただ待ち、ただ交わり、彼のためだけに生きている。それなのに、その佇まいには微塵も哀しみや儚さ、絶望がなくて、むしろ幸せにすらみえる。彼女は、1人の男性を愛していると同時に人を愛する自分自身を愛しているのだ。苦しみを通り越して、人を愛する気持ちが幸せをもたらしているかのよう。

分の元には決して戻ってこない人を好きになったのに、こんなにも清々しい主人公が書かれた作品は初めてだ。弱さや妬み、嫉妬や悲しみが表現されていないことに、あえて強い情熱が感じられる。

品が持つシンプルさ故か、物語世界もまっすぐに私の中に入ってきた。強く感情を揺さぶられはしないしストーリーが特別おもしろいわけではないのに、不思議と心に残る作品って誰にでもあると思う。まさにこの小説はそれ。

者によるあとがきに、エルノーさんの発言がいくつか引用されている。

男と女の間にある大きな誤解の種は、女の側が、意識的にせよ無意識にせよ、人生の設計とか、将来像とかを期待しがちなことです。ところが男のほうは、外界へ出ていくように条件づけられているんです。(151頁)

まさしくこれは男女の真実に近い。しかしその女性の気持ちを振り払い、愛する男性のため、いや、恋愛する自分のためにまっすぐに突き進む。エルノーさんの他の作品も読んでみたくなる。