みすず書房 2022.9.22読了
現代ロシア文学の傑作として名高い大作『人生と運命』を読み終えた。全三部作でとても長かったが、タイトルから想像できるように重厚で濃密な読書時間を堪能できた。小説でありながらも記録文学のようで、それは著者が独ソ戦の従軍記者だったことからもうかがえる。
著者のグロスマンが生きている間はこの作品は刊行されなかった。「スターリンの指導のもとにあったときにわが国で起きた過酷なこと、間違ったことのすべてに、新しい力をもって光を当てた(第一巻514頁 解説より)」ために、家宅捜索され原稿は没収されてしまったのである。しかし死後、友人が隠し持っていた原稿が見つかりスイスで刊行された。
第二次世界大戦スターリングラードの戦いのさなか、物理学者ヴィクトル、その妻リュドミーラを中心として、ヴィクトルの同僚、戦車軍団の指揮官たち、ドイツ捕虜収容所の人々など多くの人々が登場する群像劇となっている。
ヴィクトルの母親が死ぬ前に息子にしたためた手紙が感動的である。実は冒頭はなかなか作品に入れなかったのだが、この痛ましも狂おしい、そして不変の息子への愛を感じ、一気に物語世界へと誘われたのだ。
戦闘シーンはほとんどない。地下坑道のガス室に閉じ込められ、有毒ガスで空気が汚染されて死んでいく様は読んでいて辛かった。それでも死ぬ間際まで子供を憐れみ、聖母のような気持ちを持つ女性の誇りに胸が熱くなる。
グロスマンは、20世紀の前半は偉大な科学的発見、革命、壮大な社会変革と二度の大戦の時代と特徴づけたうえで「人間の従順さ」が明らかになったと述べている。そしてそれは人々に作用した新しい恐ろしい力になったという。(第一部50章 1巻312頁)従順さが、時には自由を自分から遠のけてしまっているという事実に戦慄が走った。
運命は人間を導く。しかし、人間は望むから歩んでいく。(第二部44章 2巻344頁)
人間の運命は変えられないのかもしれないが、歩むのは人間である。生きるということは、何かを取捨選択しながら進むということ。だから、全てを「運命」のせいにしてはいけない。自分の人生を切り開くのは自分なのだと強く感じた。
ヴィクトルがどんどん嫌な人間になっていく様(しかも自分でもわかっている)が痛々しいのだが、これも戦争のせいなのか。特に三部になるに従いヴィクトルの苦悩と本心が露わになり人間の弱さが剥き出しになる。それでも前を向かなくてはならない。
ドイツの国民社会主義(ナチズム)とソヴィエトのスターリン主義、これらは結局同じものだという結論に至ったグロスマン。どんな人も国も大差はない。みんな同じ人間なのだから。
全体を通して、著者の考察や哲学が展開される章が胸に突き刺さった。グロスマン自らトルストイ著『戦争と平和』に影響されたと述べている通り、まさしく現代版『戦争と平和』に近く、あの大作の雰囲気を十二分に味わえる。
歴史大作で内容もさることながら、登場人物の数も半端ない。どちらかというと『戦争と平和』は恋愛模様が多いのに対し、こちらは親子愛が強く描かれていると感じた。『戦争と平和』は私の好きな小説ベスト10に入る。今回この作品を読み、改めて読み直したくなった。去年刊行された望月哲男さん訳(光文社古典新訳文庫)が気になる。
それにしても、この作品はみすず書房から新装版として刊行されているのに、見た感じ2012年の初版と何も変わっていない気がする。カバーを一新するなどすれば新装版を買い直す人もいるだろうに。というよりも文庫で出せればもっと多くの人に読まれると思う。文庫出版してる出版社が頑張って権利を買ってほしいものだ。