書に耽る猿たち

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『アンクル・トムの小屋』ハリエット・ビーチャー・ストウ|人間に必要なのは信じる心

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『アンクル・トムの小屋』上下 ハリエット・ビーチャー・ストウ 土屋京子/訳 ★

光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.3.23読了

 

イトルは有名だけど読んだことがある人は少ない小説、これがまさにそんな作品だと思う。勝手にアンクル・トムは少年だと決めつけていたし、著者が女性であるとも知らなかった。児童文学のジャンルにあるから勘違いしていたのかしら。そもそも「アンクル」というのは黒人の中年男性につける呼び名だそうで、だからアンクル・トムとは「トムおじさん」ということ。

 

のタイトルには実は「蔑まされた人々の暮らし」という副題がついている。トムを中心に据えてはいるが、トムだけではなく多くの人々の群像劇となっているのだ。『レ・ミゼラブル』がジャン・バルジャンだけの物語ではないように。そして当時のアメリカで「蔑まされた人々」とはつまり、奴隷制度の中で道具のように扱われた黒人奴隷たちのこと。著者のストウさんはこの小説を通して、奴隷制度を様々な角度から考察し、奴隷制度を告発する書としてアメリカ社会に大きな影響を及ぼした。

 

人に恵まれていたが、やむを得ず売られてしまうアンクル・トムは、神の名の下に与えられた運命を享受する。自分が犠牲になることで、今までよくしてくれた主人や他の人たちが助かるのなら、喜んで身を捧げるのだと。ほかの奴隷たちはというと、イライザやジョージは逃亡する。トムだけが神の生まれ変わりのように、敬虔な信仰を持ち、正しい心、信じる気持ちを忘れずに生きていく。

 

人奴隷をカナダに逃がそうとする「地下鉄道」のことにも触れられており、以前読んだ小説を思い出した。奴隷が船で運ばれるとき、逃げた奴隷が海に飛び込んだのを知っても奴隷商人は何の動揺もしない。ただ単に道具の「損失」だと思うだけ。それに対し「なんてひどい人間なんだ。何の感情もないのだろうか」と思う人も多いだろう。私もそう思う。しかし著者は「誰が奴隷商人を作り出したのか、誰が責めを負うべきなのか、奴隷制度を支えている人がいるのではないか」と強く主張する。特に第12章で力強く懸命に訴える。

 

ムが新しく買われた先の新たな主人サンクレア氏と従姉妹のオフィーリア嬢が話す場面(第19章)もまた考えさせられる。「奴隷制度は奴隷たちにとって悪いだけではなく、所有者側にとってはもっと都合が悪い」というサンクレアの意見がそれを象徴する。どちらも慣れが高じてしまい、抜けられない沼となってしまう。

 

隷倉庫の中にいる無数の奴隷たち。どんなに過酷な状況なのかと思えば、倉庫にいる奴隷たちにはなるべる高い値段がつけられるようにと、食事をしっかり与えられ、思いの外そこでは悲惨さはない。しかし、奴隷商人や雇う人が彼らを見に来る様子は、人を値踏みするかのようでまさに奴隷を道具としか思っていない。同じ人間なのに、どうして。

 

隷たちの苦悩と魂の叫びに心を痛めながら読んだが、希望の光も垣間見え、ともかく物語として名作である。奴隷制度の悲惨な状況が書かれているのに、読み終えた後にはあたたかい気持ちになり救われる。何故こんな風に思えたのかというと、著者が時折り語りかける強い警笛と優しさだ。また、実は支配する側も同じ人間であり、心の底からは憎めない。「信じる心」というのは、何にも増して人間には必要なものだと強く感じた。「クリスチャンとは、なんとすばらしいもんか」と言ったトムの言葉、彼の最期は美しかった。

 

の作品は1850年代、アメリカで初のミリオンセラーとなった小説である。書かれた内容の多くには実在のモデルがおり、ストウさんが見聞きしたことだというから、ほぼノンフィクションに近い。訳者の土屋京子さんは約30年翻訳に携わっているが、こんなにも難解な文章は初めてだったという。そんな風に感じないほどこの新訳はスムーズで読みやすい。多くの人にすすめたい本だ。

 

説が刊行されて10年後にアメリカでは奴隷解放宣言が出された。奴隷だった彼らはついに自由を手にしたのだ。しかし、その後も長きにわたり黒人は差別や被害にあい、今でもなお根絶には至らない。深く根付いてしまった奴隷制度による虐げのせいで『ネイティヴ・サン アメリカの息子』に書かれたような狂気を生んでしまったのだ。決して当事者が悪いわけではない。社会が、みんなが作ってしまった闇なのだ。

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