書に耽る猿たち

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『無月の譜』松浦寿輝|旅の醍醐味、人生で何かをとことんまで突き詰めること

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『無月の譜』松浦寿輝 ★

毎日新聞出版 2023.3.26読了

 

棋は運では決まらない。確実に知力と知力のぶつかり合いであり、また将棋の世界の奥行きは深い。とはいえ、私自身将棋は詳しくない。2016年に藤井聡太さんが中学生でプロ棋士になり日本中で将棋が流行った時、ブームに乗って詰将棋の本を買い、マグネットの将棋盤を買い、千駄ヶ谷将棋会館を見に行ったという完全なにわかファンだ。

 

も将棋の駒自体存在そのものがかっこいいと思う。先端が尖った五角形の木製の駒、どっしりとした風格、なにより書体がすこぶる凛々しい。工芸品、芸術品になるのも頷ける。会社の近くにも「王将」駒が店頭に鎮座する将棋関連の専門店があり、将棋に詳しくなくてもその佇まいにうっとりする。

 

棋士になるための四段になれず奨励会を退会した小磯竜介は、意気消沈しながらもインターネット関連のデザイン会社に勤めることが決まる。実家に帰ったときに、知り合いから戦争で亡くなった大叔父の話を聞き、彼が将棋の駒師(駒を作る人)だったということを知る。将棋の縁を感じた竜介は、大叔父が作った駒を探す探索行が始まり、東京、シンガポール、マレーシア、アメリカへと駆け巡る。

 

介は大叔父・関岳史のことを調べるために、祖父の知り合いに話を聞いたり、将棋専門店に問い合わせをしたりと奔走する。仮に生きていたら83歳ほどの歳になるから、話を聞く相手も自然と高齢者だ。竜介は、若いながらも相手を敬い優しく耳を傾ける。こうやって高齢者と接する機会は、肉親でもない限り多くはない思うが、人生の経験者・先駆者には積極的に話しかけ、いろんな話を聞いたほうがいいなと改めて思った。

 

干長めのプロローグでは竜介は48歳だ。奨励会退会後のかつての日々を追憶するストーリーになっているため、時は1998年に遡る。この頃の連絡手段はEメールではなくて手紙だったのか。国内はもちろん海外にエアメールを出してその返事を待つという、なんとも時間がかかる作業だ。しかし、この無駄に思えるやり取りのなかには、人間の心の中の機微というか感じ方の移ろいが確かに根付いていて、時間の経過による気持ちの変化がなんとも愛おしく感じる。

 

知らない町へ、それも外国の街へ行くのはたしかに本当に面白い。しかしそこで何が面白いと言って、庶民の日常生活が営まれているふつうの街路に身を置き、そういう変哲もない界隈を地図も見ずに、行き当たりばったりに、ただぐるぐると歩き回り、行き交う人々や、店のなかの商いの様子や、そこらをうろうろひている犬や猫や、そんなものをぼんやり眺めて時間をつぶすほど面白いことはない。(365頁)

そうなんだよな、観光名所を巡ることはもちろん満足できるけれど、そればかりに囚われて本来の旅の醍醐味を私たちは忘れてしまっている。  

 

そう、これ、実は将棋の話というよりも、謎を解き明かすロードムービーでありながら竜介の成長譚となっている。「旅の本来の目的」を問いかけ、「人生のなかで何かを突き詰めてやってみることの大切さ」を説いているのだ。読後感も素晴らしい。

 

のカバーと扉ページの写真は「巻菱湖書・島黄楊根杢彫り駒・蜂須賀作」と紹介されているが、なんと著者蔵だって!松浦寿輝さんご自身が所有しているとは、将棋が好きで将棋に魅せられた1人なんだなぁ(この題材を小説にしてるのだから当たり前か…)。思いの外ストーリー性、エンタメ性があり読みやすかった。次は『名誉と恍惚』読みたい。

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