河出書房新社 2023.8.5読了
敬愛する作家の一人、ジョゼ・サラマーゴさんの小説が河出書房から新刊で刊行された。2004年に刊行された本書は、著者晩年81歳の時の作品で『白の闇』と対をなす物語となっている。
投票率は高いのに、白紙表が85%という驚異的な数字となってしまった。投票しないのではない。わざわざ足を運んで投票しに行ったのに、何も記入せずに票を投じるのだ。日本では白紙投票は無効になるが、どうやらこの国では有効となるらしい。この国の市民は、政治について、社会制度についてどう考えているのか。
おもしろいのが「白紙投票」のせいで、「白」という言葉が、卑猥なもの、あるいは人聞きの悪いものとして使われなくなってくるということだ。こういうニヒルな滑稽さが良いんだよなぁ。白票を無制限に行使すれば、民主主義のシステムが制御できなくなると焦る政府や政治家たちはどうするのか。途中からは探偵小説のような要素もあり、引き込まれていった。
『白の闇』事件の4年後の首都を描いたものと帯に書いてあるが、最初のうちはどう繋がってるのか不思議だった。中盤くらいに、大統領と首相の会話に出てくる。「四年前われわれは目が見えなかった、といいましたが、いまも、たぶん目が見えないままなのだ」私たちは今も盲目を続けているのだと。
白票の投票はもうひとつの病と同じくらい壊滅的な盲目の表れなのだ。あるいは、見える目(明晰さ、正気であること、の意もある)の。(中略)白票の投票は、それを行使した側からすれば、見える目の表れとして評価できるかもしれない。(146頁)
世界を揺るがす出来事が起きたとする。それが解決したとしても、数年後にはみんなそれを忘れて、いや忘れていなかったとしても歴史はまた繰り返す。神はイタズラするかのように警笛を鳴らし続けるのだ。『白の闇』では「見えないことと見えること」、本作では「見ないことと見ること」というテーマで書かれている。単体でも楽しめるが、これは『白の闇』から読んだ方がより理解が深まる。
サラマーゴさんの文章はどうしてこうも私の心を鷲掴みにするのだろうか。いつもと同様に、カギ括弧がない会話文、改行がなく頁いっぱいにぎっしり詰まった文字の渦。うんざりする人もたくさんいるだろうけれど、この良さに気付くと愛おしくなる。普遍的なテーマを横殴りの角度からあぶり出す豊かな物語性にハッとする。思いもかけない展開と予言の書のような作品。何よりも、訳者の雨沢さん言うところの「賢明な言葉による豊穣さ」に心躍るのだ。