書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『蝙蝠か燕か』西村賢太|没後弟子を極める

f:id:honzaru:20230317072015j:image

『蝙蝠か燕か』西村賢太

文藝春秋 2023.4.24読了

 

芸誌に掲載された短編が3編収められた、西村賢太さん没後に刊行された作品集である。藤澤清造という作家のために生きる北町貫多の思想と行動が書かれた、西村さんお得意の私小説だ。

 

西村さんの作品は芥川賞受賞作『苦役列車』以外に順不同で2〜3冊読んでいるが、北町貫多の成長とともに順番に読めばよかったなと少しだけ後悔している。特にこの本については『芝公園六角堂跡』と『どうで死ぬ身の一踊り』だけは先に読んでからのほうが、しみじみと味わい深く理解を深められたに違いない。

 

んなにも1人の作家に執着する人間がいるものなのか。作品というよりも作家その人を崇めている。貫多は、藤澤清造の著作を読み漁り、住んだ場所に自らも住み、いろいろな遺品を集める。そして全集をこの手で出したいと所望する。まさに「歿後(没後)弟子の道」が彼の生き甲斐だったのだ。

 

在した小説家藤澤清造さんのことは、西村賢太さんがいなければ知ることもなかった。いまだに読んだことはないが、貫多曰く「泣き笑いの不可思議な文体で構築された私小説」であるらしく、いつかは読んでみたいと思う。

 

中で「歿後弟子」と名乗るが、田中慎弥さん言うところの今でいう「没後推し」だ。しかし、お酒を飲み交わす仲だったという田中さんによると、西村さんは飲みの場では文学の話は一切しなかったというから、そこまで入れ込んでいたのかどうかはわからない。藤澤清造さんがもっと広く知られるべきだと思う一方で、自分だけの推しを密やかに楽しむという側面もあったのかもしれない。

 

多は自身の「人生の終わりの地点」を考えるようになったとも言っている。奇しくもこの『蝙蝠か燕か』は、完成された作品という意味では遺作となったわけであるが、どこかで自分の身体の違和感のようなものを感じていたのかもしれない。それは身体的なものではなく忍び寄る気配というようなもの。

 

気味良い陰鬱な文体が文学性を高めているように思う。この先西村さんの新たな小説を読めないのかと思うと残念でならない。未完の長編小説『雨滴は続く』は近いうちに読みたいと思っているが、あとは刊行順にイチから読んでみたい。

 

月、八重洲ブックセンターにて開催された「西村賢太さん一周忌追悼」田中慎弥さんトークショーでは、この本の話を皮切りにして、貴重なお話をたくさん聞くことができた。イベントではNHKの取材班が入っていて、そういえば、と思って調べたら今週末4/29(土)にEテレで特集をやるようだ。これは観ないと!

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com