書に耽る猿たち

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『タスマニア』パオロ・ジョルダーノ|戦争と原爆、今この本を読む意義と運命

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タスマニア』パオロ・ジョルダーノ 飯田亮介/訳 ★

早川書房 2024.03.07読了

 

近どうも広島や長崎、つまり戦争や原爆にまつわる書物をよく目にするし、自分でもおのずと選んでしまっている気がする。それだけ心の奥底で意識しているということだろうか。この『タスマニア』は、敬愛する作家の一人、パオロ・ジョルダーノさんの作品だから読んだのだが、原爆のことが主題として私にのしかかる。

 

かも、広島への原爆投下について結構な分量が割かれているのだ。アメリカ人が書いた伝記にはほとんどなかったのに、イタリア人が書いたこの本には、原爆投下後の凄まじさがありありと書かれていた。身体から垂れる皮膚、白い火傷痕、理解不能な症状、そして黒い雨。第二章では長崎の投下についても。千羽鶴のくだりでは、平和記念公園にたくさんあった千羽鶴を思い出した。『オッペンハイマー』で、こういうことが書いてあるんじゃないかと予想したようなことが、この本にあったのである。ジョルダーノさんは原爆を通して何を伝えようとしているのだろう。

 

「原子爆弾が完成したのならば、それをどこかに落とさねばならなかった」そして「経済的にも知的にも甚大な努力を重ねてきたのだから、最初のふたつの原爆投下は最大限の破壊をもたらし、世界を仰天させねばならなかった」のだという。多大な費用と時間と労力をかけて作ったロケットは飛ばさなくてはならないのというのと似ているのかもしれない。「これだけやったんだから実行しないと意味がない」というのは日常でも多くあって、その極みがこの原子爆弾なのだと思う。

 

爆を投下したアメリカと投下された日本だけに意識が行きがちだが、第三者的な国の人からみる戦争と核兵器についての想いが赤裸々に語られていて、地球規模でみたこの世界を意識せざるを得ない。人間一人って本当にちっぽけで頼りない。だから大きなパワーがあるものに惹かれてしまうのだろう。それが破壊する力を持った兵器であっても。

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庭問題、要は妻との関係がうまくいかない「僕」は、それを改善できないまま、地球の環境問題の取材のためにパリに向かう。作家としても、原爆についての本を執筆しようとするが進まない。「僕」はパリ、ローマなど多くの地に移り住み友人たちと関わりあう。この作品にはその数年の出来事と想いが書かれている。

  

ョルダーノさんの思考回路が、その文体のリズムがとても心地良い。公園で「どれだけ敏捷かを競う遊びをしている三人の少女」を見て僕が思うシーンであったり。途中、なんとなくジョゼ・サラマーゴの作品を読んでいるような既読感になった。それはもはや人間の魂をゆさぶる壮大なもの。そのうちジョルダーノさん、ノーベル文学賞を取るんじゃないかと想像してしまう。

 

人のジュリオは「今の世界情勢を見ていると、誰でも自分のプランBを用意しておくべきだと俺は思う」と言う。そういえば、あるプロ野球球団の元監督で優勝の可能性がなくなったときに「プランBでいく」と答えていた。そのBプランで結果的にうまくいった。最初から想定したプランを用意しておくことも重要だ。生きるということはまた闘いでもあるのだから。

 

史ものや近未来小説、ファンタジーがよく読まれているように、小説という形で書かれたものはいつどんな時代でも読むことができる。読むことができるというのは、名作であれば読んでおもしろい、タメになる、感動すると思えること。しかしエッセイはなかなかそうもいかない場合がある。色褪せてしまうというと語弊があるかもしれないが、その時に読まないとわからない凄みがある。だからこの本は絶対に今読まれなくてはならないのだ。

 

み終わってから表紙のイラストを見ると複雑な気持ちになった。たぶんこの表紙だけ見ると、綺麗な空だなとかそういう良いイメージしか持たないと思うのだ。でも読んだ後は「あのことだったんだ」とその意味するものがわかるから、胸をぎゅうっと掴まれたみたいになる。冒頭でも述べたが、私にとって今読むべきものとして手に取ったのだと、大袈裟かもしれないが運命的なものを感じた。

 

訳されているジョルダーノさんの小説は2冊読んでいる(どちらも傑作)が、一番売れているエッセイ『コロナの時代の僕ら』は実は未読だ。本作『タスマニア』がオートフィクションだということは早川書房の宣伝文句にあり目にしていたから、本当は『コロナ〜』を先に読めばよかったかと心配だったが杞憂だった。中ほどに出てくる「リョウスケ」というのが終わりの方で訳者の飯田さんであることに気付き笑みが生まれる。ジョルダーノさんの作品を読んだことがない人には、是非この作品を一番にすすめたい。とてもとても良かった。それから、ジョルダーノさん、原爆についての本はもう書き上げたのだろうか。早く読みたい。

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