『母の待つ里』浅田次郎
新潮社[新潮文庫] 2024.09.28読了
ある外資系サービス会社が提供するプレミアムクラブ・メンバー限定の顧客サービス、それが故郷を擬似体験するというものである。還暦近い3人の男女がこのサービスを受ける。
最初は「変な話だなぁ」とか、「こんなに簡単に信じ込んでしまうものかな」と疑っていた。そもそも出来すぎているし、手の込んだ新手の詐欺じゃんかと。しかし本物だと思うふしも所々にある。何より母親役の女性が演技をしているようにはみえないのだ。
よくよく考えると夢の国ディズニーランドだって、ユニバーサルスタジオだって、イマーシブ東京(行ったことはないが)だってそう。わかってて足を踏み込み現実を忘れてその場では心地良く楽しむ。そもそも映画や小説もそうだ。騙されているというか、現実のことではなく作られたストーリーだと理解しているけれど、楽しみたいから没頭するし実際に楽しめる。
騙されてもいいから「ふるさと」が欲しいと感じる人は想像以上に多いのかもしれない。だって、そうでもないとこの作品がこんなに読まれて感動する人が多いはずがない。
さすがは浅田次郎さん。物語ること、ストーリーテリングはさることながら、一文一文もお手本のように上手い。そつのない文章に唸りっぱなしだ。
一時間に一本の列車に接続しているバスは、来るはずのない乗客をしばらく待ってから、今し目覚めたように胴震いをして悠然と動き出した。(11頁)
一見なんてことはない文章に見えるがセンスが光っている。よっこらしょっとエンジンをかけて動き出すバスの様子が目に見えるようだ。昔ある人が浅田次郎さんの作品を絶賛していた。『夕映え天使』という短編だと聞いたので、私もすぐさまその短編集を買って読んだものだ。まさに秀逸だった。