書に耽る猿たち

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『最近』小山田浩子|読んでいて安心する、なんか癖になりそう

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『最近』小山田浩子 ★

新潮社 2024.12.07読了

 

々文芸誌に掲載されていた短編が束になり連作短編集になったもの。タイトルの『最近』という作品があるわけではない。最近というのは、2011年の冬から2023年の秋頃までの間、つまりつい最近の出来事が書かれたからだ。読み心地がよくて安心する作品たちだった。

 

臓に持病がある夫が急に救急車で運ばれることになった『赤い猫』では、ふとした出来事から昔のことを思い出して少しずつ脱線してまた戻り、みたいな場面が繰り返される。『森の家』ではハトコのタケフミさんが子どもの頃に行った森の家の話をする。足が悪い女の子がいたことなど、ある場面の光景だけをタケフミさんは妙に忘れられない。そういう「妙に覚えている子供の頃に体験した一場面」は私にもあって、ふとした時に考えることがある。

 

に好きなのは『カレーの日』である。昔よく通っていたカレー店が閉店すると知る。あのどうしようもない虚脱感が伴う、お気に入りの店が閉店してしまう残念さ。いつも混んでいて流行っていたのに、どうして閉まってしまうんだろうかといつも思う。きっと好きだったのはコスパが良いところも含めてであって、店主はお客様のために値上げに踏み切れず赤字が続いてしまい、だからこそ良き店は結構な確率でなくなってしまうのだ。いかにも潰れそうなお店が本当に潰れるのと同じくらい、良き店もなくなる気がする。

 

柄のミッキーマウスのブランケットからミッキーマウスがむくむくと飛び出してきて、それからミッキーマウスが苦手になった登くんの彼女のフケさんの話が出る『ミッキーダンス』。ミッキーマウスってネズミなのに、なんであんなに人気なんだろう?とたまに思う。単体で考えたら全然かわいく思えないのに、ディズニーランドという魔法の国の主人公であるというだけで、どういうわけか皆が神聖なものとして崇める。

 

山田さんの文体、私はすごく好きだ。改行のない、一文が異様に長い、頁に埋め尽くされた文字だけを見ると一見読みづらそうな気はするけれど、読み始めると抜けられなくなるというか…。改行がないだけでなくて読点もほとんどない。でも案外に読みにくくはない。一文の中に、区切ってはないけれど短い文がいくつもあってそれが束になっているかのよう。書かれたものは普段自分が気にも留めていないような出来事の数々で、でも誰も文章にしないようなもの。だからありふれている物事なのに目新しいように感じる。少し滝口悠生さんの感覚に近いかなぁ。そうだ、滝口さんの『ラーメンカレー』に近いかも(カレーから連想したのかな)。滝口さんの本が好きな人は絶対気にいるはず。   

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に「読んで読んでおもしろいから」と薦めるような作品とはちょっと違うが、読む人によっては心の底からじわるはず。こういう独特の文体、独特の物語世界を生み出す作家は多くない。小山田さんは私より少し歳下だから、この先も同じ時代を生きるだろう。歳を重ねながら小山田さんの作品をずっと読めるという喜び!既刊された本はまだそんなに多くないからひとまず全部読もう。

 

がどうしてこの作品を安心すると感じたのかは、あとがきの中にあった。

我々が生まれてきてずっと経験し続け見聞きし続けているこの生活、日常そのものを、別に特別な誰かじゃない、特別ななにかの日じゃない、書かれなければ自分でも忘れて消えていくようなそういう時間をできごとを書いたら、そこには否応なくとんでもない変さ、豊かさが含まれるのではないか、そういうことができるのが小説のというか言葉の力、特性なんじゃないか。(264頁)

そう、だからこそ読んでいて「わかる」とか「そういえばそうだったな」とか自分のことのように共感する。とんでもない変さ!これがまた愛すべき感性。

 

川賞作家なのに(最近の芥川賞作家はだいたい読んでみる)なんとなく読む機会が今までなくて、小山田浩子さんの本はこれが初めてだ。先日柴田元幸さんのトークイベントに行ったときに、つい最近小山田さんと対談をしたという話をされていた。お互いの作品を朗読する場面で、柴田さんは読む予定の箇所を間違って他の部分を読んでしまったそうだが、それでも小山田さんの小説はどこを読んでもおもしろいみたいなことを話されていた。こんなきっかけもある。柴田さんにも感謝したい。