
『日陰者ジュード』トマス・ハーディ 木村政則/訳
光文社[光文社古典新訳文庫] 2025.07.27読了
日陰者という言葉だけで、日の目を見ない苦労の多い人生なのだろうと想像する。どんな悲劇がジュードに襲いかかるのだろう。結局は悲劇も含めて一人の人生としては一般的なものなんだろう、と思っていた。しかしこのジュードの人生は悲劇の連続で救いようがない。読んでいてずっとどんより暗くなるようでパンチをくらった。というかパンチのあとの痺れがずっと続いている気分。
ジュードとスーにとっては、困難な道を選ばなければこのような不幸に見舞われなかったという場面がいくつもある。どうしてこのようになってしまったのかというと、2人の思想が時代にそぐわなかったからだ。ジュードとスーが現代に生きていたら、このような2人の愛の形は許されたはずだ。
キリスト教の教えが色濃く、一度結婚をしてしまうと簡単には別れられないという(もはや犯罪になってしまう)時代ゆえのしがらみ。離婚してまた別の人と再婚する、今であれば当たり前のことなのに、そしてそれは悪いことでもなんでもないはずなのに、かつては良しとされなかった。
結婚制度にとらわれる世間に対してスーはこのように考える。
それでも結婚するのは、威厳が備わるとされているから。あとは、社会的な恩恵を得られるから。(487頁)
スーは、結婚とは別の場に自己の実現を求める女性、あるいは異性同士の自由な結びつきを主張する「新しい女性」として描かれている。まさに先駆者的存在だ。
光文社古典新訳文庫からこのハーディの新訳が刊行されたと知り嬉しかった。ハーディの2大傑作といえば『テス』とこの『日陰者ジュード』である。テスが女性視点なのに対しこちらは男性の視点で語られている。しかし貫く信念のようなものは共通している。昨年末に読んだ『テス』は古めかしさが否めなかったのだが、こちらは訳が新しいこともありスムーズに読める。やはり時代にあわせた新訳というのは大事かも。それにしても、分厚い本なのに登場人物はほぼ4人で完結する。結末がこんな風になるとはつゆほどにも思わず…。
先月の三連休は北陸地方に旅行していたこともあり読書が中断していた(旅行先に本を持って行ったのに一頁も読まなかったのは初めてかも!?)から久しぶりの読了。それでもこの本を読み終えるのに5日間もかかってしまった。