
『生活』町屋良平 ★
新潮社 2025.07.18読了
物語性が薄めの小説を読みたいというヘンテコな欲望(この気持ちわかるだろうか…)が沸き立ち、それなら町屋良平さんの作品だなと思って選んだ。タイトルからして『生活』だし、ただ単に日常が描かれているのだろうと推測する。いやしかし町屋さんの本は結構読みにくくてよくわからない本も多いのにどうしてまた単行本で買ってしまったのだろうか。前に読んだ『ほんのこども』は結構ちんぷんかんぷんで、町屋さんは読者を選ぶ(好き嫌いがはっきりわかれる)であろう作家の一人だ。博打みたいなものだけど、これがまぁ今の気分にはぴったりだった。深く思考の沼に入ることもなく、ただただ文章を楽しむという行為があてどもなく心地よかった。
夢も目標もなく、普通に生活しているだけで満足感があり幸せでいる人。こんな人がいるならば、それはなんと尊いことなのだろう。夢もなくただただ生きる人って堕落したつまらない人生に見えていたけれど、それが覆されるような作品だった。
20歳の田中椿(つばき)は、代官山の古い家で父親と二人暮らし。母親は長年の交際相手の元へ行くと出ていき帰ってこなくなった。両親の愛を受けずに育った薄幸な男性の話なのかと思いきや、椿はそんなこともなく、あっけらかんと人生を、というか生活をこなしている。
この椿を女性は放っておかない。とっかえひっかえというわけでもないが、常に彼女がいるのだ。衿(えり)は、「常識がないほうがとりあえずモテるのが男の気楽な人生である」と考えていて、また椿のことを「世界に緊張していない」と思う。いや、まさにそうだよなぁ。常識がないというか、常識を作っていない人が際立つものをもっている気がして魅了されるのかもしれない。
椿にとっての生きる上での大切な営みは「洋服」と「書道」である、そしてプラスアルファとして「珈琲」も。洋服がなによりも好きで、自分に似合うかどうかで服選びをする。その日その瞬間に何を着るかを重視し好きな服を着ていると気分が良くなる。また、思い立ったときに椿は墨をすり筆で字を書く。衝動的に生活の一部になっている書道。その時によって書くものは「愛情」「欲望」「白」など思いついた言葉であり、何十枚も書いてその中からとびきり感のあるものを選ぶ。なにも思いつかない時は「生活」と書くのだ。椿にとっての生きること、生活。
作品は二部構成になっており、後半は椿に起こったある大きな出来事をきっかけにして生活が一変する。作中作のようなものが挿入されていて、そこに出てくる女性が村上春樹さんが書く女性そのまんまな感じがした!登場人物が村上春樹さんの小説やアメリカ文学を贔屓にしていることもある。
椿が家に戻らなくなったら、桜の生活が一変してしまった。そうなんよな、生きるということは生活なんよ。「生活」って「生存して活動すること」だもんな。
生活がないということは、思考がないというようなことだと、彼女は初めて思った(295頁)
父親、母親、玉崎とその双子の息子、衿、美容師のYouTuber、佐藤桜、鳥山など多くの人物が表情豊かに個性をもって椿の生活に彩りを与える。誰もが生活してる(生きている)んだよな。
ストーリー性豊かな小説はもちろん大好きだが、実はストーリー性があまりないのに心に響く小説を年々欲してきているように思う。この感覚は何なのだろう。町屋さんの小説を読むのは3冊目であるが、正直なところ今まではピンときていなかった。しかしこれを読んで見方が変わった。ものすごくしっくりきて、読んで良かった。新潮社さん、日本人作家の本でソフトカバー3,000円超えはちょっと高いですよぉ←と読む前は思っていたのだけれど、この満足感ならまったく問題なし。