
『南洋標本館』葉山博子
早川書房 2025.08.02読了
帯にある池澤夏樹さんと春菜さん親子の賛辞の言葉を読むと手に取ってしまうではないか(もちろん鴻巣さんも)。表紙のイラストにも惹かれた。葉山博子さんという方の名前すら知らなかったが、彼女は2023年に早川書房主催のアガサ・クリスティー賞を受賞した新進気鋭の作家らしい。知らない作家の本を読むのはワクドキだ。
序章で、主人公2人のうちの1人の少年の生い立ちというか人生の転換点が書かれている。痛ましい父親との別れが書かれているのだが、このあとの展開が俄然気になる。この作品は台湾が日本統治時代だったころの話。植物学者を目指した2人の青年の物語だ。
台湾で生まれ育ち少年期に出会った2人だが、陳栄豊(たんえいほう)は外地人(台湾人)であるのに対し、生田琴司(いくたきんじ)は内地人である。内地人とは、台湾生まれの日本人(日本国籍)のこと。日本統治時代の台湾にとっては、どちらが優遇されていたのかは言わずもがなだ。
裕福な家庭に育ち、親が望む道に沿ったレールの上を歩む人生は、いくら生活が裕福だとしても本人にとっては幸せではないというのを永豊の歩みを読んで感じた。むしろ苦しみでしかない。2人は境遇の違いから別々の人生を歩むが、植物学を極め「いつか2人で南洋標本館を作りたい」という夢を持ち続ける。
ポナペ島探索の際、正宗先生は植物学者のことを「絶望」だと言った。これが真実かもしれないが、それでも植物学を愛してやまない研究者たちの想いに胸が詰まる。
「植物は人間の生活や所存とは全然、無関係に繁殖し、進化し、続いていく。人間が滅びても、だ。そんな勝手な奴らを標本にして後世に残しても、残した我々のほうは跡形もなく消え、植物のほうは我々の価値や意味を追求しない」(313頁)
植物学に関するストーリーよりも、戦時下の台湾で生きることの困難さが重くのしかかってくる。人権、宗教、民族、男女の差など根深いテーマが物語に厚みを持たせる。
なかなかおもしろかった。軽い気持ちで読み始めたのだが、思いのほか重厚で歴史的、読み応えたっぷりの壮大な物語を堪能した。いずれは高村薫さんや山崎豊子さんのような骨太の作家になるのではないかと期待が高まる。