『昼の家、夜の家』オルガ・トカルチュク 小椋彩/訳 ★
白水社EXLIBRIS 2020.2.7読了
去年はノーベル文学賞が2作品発表された。2018年度と2019年度分で、オルガ・トカルチュクさんは2018年度として受賞。2019年度受賞のペーター・ハントケさんの本はあまり惹かれなかったのでオルガさんのものに。2冊あったが、表紙のイラストが鮮やかでかわいい本作を読むことにする。やはり、表紙って重要なんだなぁ。発表直後には、何故か本屋さんは消極的だった。
なかなか読み心地が良い。センテンスごとに長さの異なる文章が並び、それらの挿話が束になり連作短編集のようになっている。筋は1つしっかり通っているように思う。優しく柔らかい表現なのだけれど、ささやかながらこの世の本質を突いているような文章が多い。語り手は人物だけでなく他のものにもなり得る。「鏡にとって、私はまだ存在していなかったのだ」普通は次のように書かれる。「私にとって、鏡はまだ存在していなかったのだ」オルガさんは人間だけでなく動物、植物、そして生命のないものにも観察力に優れていて、かつそこに息を吹き込むことが出来るのだ。
この小説は劇的な展開が起きるわけでもないし、淡々とした日常や哲学のようなものが「わたし」を基準にして語られる。時には別の人物として、時には物体として。決して読みにくいわけではないのだけれど、ふとひと呼吸おいて書かれた文章についてその場で考えてしまうため、いつもより読むスピードは遅くなる。こんな読み方もいい。
ポーランドとチェコの国境でそれぞれの足を片方づつ跨いでいる格好で死んだ人に対し、両国の警備員は足をそっともう片方の国に寄せる。自国で扱うのを嫌がるかのように。この場面は印象的で、読んでいる時にも、ふと笑みがこぼれるけれどそれでいて重要なことを示唆しているように思えた。訳者のあとがきにもこの場面のことが書かれていて、やはり感じることは同じでなんだかホッとした。訳者は深い洞察力で、境界線のみならず人間の存在は不安定なもの、と書いていた。
ポーランドのある田舎町の出来事だが、なんだか時間がゆっくり流れていて、ポーランドらしくない。表紙のイラストから連想してしまうのか、まるで北欧のどこかの街を切り取っているかのよう。勝手にそう思ってるだけなのだが、ポーランドはもっと殺伐としたイメージだ。先日、ポーランドを舞台にした『また、桜の国で』を読んだからかもしれない。ポーランドは度重なる領土の変更を余儀なくされたが、国民は決して悲観せずに前向きに生きている。
ひとまず読み終えて、オルガさんはさすがノーベル文学賞を受賞するだけあると感じた。読んでいる時の静謐な時間と空気だけでも、読書の楽しさを十分に堪能できる。