書に耽る猿たち

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『椿の海の記』石牟礼道子|この文体は大自然の中から生まれた

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『椿の海の記』石牟礼道子

河出文庫 2021.7.1読了

 

庫本の表紙カバーに描かれた画は別の方の作品であるが、頁をめくったところにある装画は石牟礼道子さん作とある。石牟礼さん、絵も描いていたんだ。ふくよかな葉っぱをつけた椿の、なかなか素敵な趣である。趣味のようなものかもしれないけれど、こういう絵が描けるなんて羨ましい。

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の『椿の海の記』は、著者石牟礼さんの幼児時代の体験を元にして書かれた作品である。小説というよりも、記録をとどめた日記のようだ。はたして、4歳の子供にこれだけの記憶があるのかと思うほど鮮明で具体的で、言葉が生きている。書かれたありのままを想像出来る。

牟礼さんの大作『苦海浄土』の前史にあたる作品になっているため、この中ではまだチッソ水俣病の悲劇には触れられていない。だからというわけではないけれど、この本には圧倒的な悲しみがないから安らかな気持ちで読むことが出来る。全部で11章あり、どれを読んでも1つの随筆のように読める。

の熊本の大自然の中で、石牟礼さんの感受性が芽生えた。「いくら幾重に言葉をつないで表現しても、人間同士の言葉でしかない」という箇所にハッとする。そうだ、人間以外のものをいくら想像してもそれは確かに私たちが見たもの、感じたもの、それを人間の言葉で表現しただけ。でも、というかだからこそ、石牟礼さんは普通の人以上に理解しようと、より想像できるように、寄り添えるように言葉や文体を紡ぎ磨いていったのかもしれない。

から自然界の植物や昆虫、動物、景色などの描写が生き生きとしている。石牟礼さんの作品はゆっくりと読むことが大切だと解説の池澤夏樹さんは言う。文章自体は決して難しいわけではないのに、言葉選びとそのつながりのセンスの良さが際立っている。熊本地方の方言が石牟礼さんの文体の特徴でもあるが、標準語よりもなお一層美しく感じられる。宮尾登美子さんの文体に少し似ているように思う。こういう文章を書ける人、現代ではほとんどいないだろう。