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『武蔵野夫人』大岡昇平|武蔵野の雄大な自然と、登場人物の絶妙な心情の変化を読み解く

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『武蔵野夫人』大岡昇平

新潮社[新潮文庫] 2023.8.2読了

 

蔵野の雄大な風景が鮮やかに浮かび上がる。武蔵野とは、明確な定義はないものの、多摩川と荒川、埼玉を流れる入間川に囲まれ、東京と埼玉にまたがっている台地(日本地名研究所事務局長・菊地恒雄さんより)のことをいうらしい。地名でいえば武蔵小金井国分寺、立川、青梅などが思い浮かぶ。

 

蔵野の中で富士山の見える高台「はけ」に住む秋山忠雄・道子と、大野英治・富子の二組の夫婦がいた。そこに、道子の従弟で学徒招集でビルマに赴いていた勉は、生まれ育った地「はけ」に帰ってきた。道子らの家で暮らしながら富子の娘に英語を教えていたが、いつしか道子と勉は惹かれ合っていく。

 

も昔も、恋愛感情、男女のもつれ、嫉妬心などは変わらないのだと改めて思った。ふとしたきっかけでうごめく心の機微が感じられるが、著者の俯瞰した立場が挿入されるからかそんなに生々しくはない。道子は貞淑で優しい女性と評されているが、実は打算的でずるいところもあると私には思えた。登場人物はみな心の底では自分本位になっていまい、それがまた人間らしいと感じた。

 

の作品は過去にドラマや映画になったようだが、映像化するといかにも昼ドラ的な安っぽい感じになってしまいそうだ。登場人物の絶妙な心情の変化と武蔵野の雄大な自然を、小説でしか感じ得ない日本語の文章から堪能するべきである。

 

子の娘雪子の心情はいかほどのものか。登場人物のなかで唯一本人の視点では語られないのだが、若く多感な少女だからこそ感じる心理を知りたいとも思った。コケティッシュな富子の娘だし。

 

蔵野夫人とは道子のことであるが、タイトルは「武蔵野」でも良いのではないかと思う。この地そのものが主役と言える。ただ、「武蔵野」といえば、国木田独歩の同名の作品があるからなんともだよなぁ。

 

月、大岡昇平さんの『事件』を読んで思いのほか満足できたので、代表作の一つである本作を読んだ。スタンダールやラディゲなどのフランス文学を元にした不倫小説とも謳われているが、なんのなんの文学性が高く個人的にはとても好みだった。復員兵上がりの勉だからこそ、生に対してある種の脱力感があるように思えた。次はやっとこさ『野火』を読もうと思う。

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