書に耽る猿たち

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『まともな家の子供はいない』津村記久子|「まとも」「ふつう」って何?いいことなの?

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『まともな家の子供はいない』津村記久子

ちくま文庫 2022.1.14読了

 

年の後半は津村記久子さんの作品を結構読んだが、今年はこの本から。表題作ともうひとつ『サバイブ』という短編が収められている。

 

『まともな家の子供はいない』

津村さんの作品にしてはめずらしく、中学生の女の子目線で描かれている。自分の家族、特にだらしない父親のことが大嫌いで、自宅にいることが我慢ならないセキコは、図書館に通い続け、友人のナガヨシとつるんだりして夏休みを過ごす。常に宿題のことを気にかけながら。

結局どの家庭も何かしらおかしなところはあり、「まとも」「普通」なんてないと気付く。たぶん、誰もが通り過ぎる中学3年生の反抗期なんだろう。それにしてはセキコの父親への当たりは強烈だ。自分の居場所を模索しながらも成長していく中学3年生のひと夏。セキコは大人顔負けの物言いだけれども、これができ得る限りの自分なりの主張なのだ。

パラリンピックの開会式、車椅子で演技をした和合由依さんが、あるテレビ番組で「大人は“普通は…”という言葉をすぐに使うのがずるい」と話していた。「普通ってなに?普通じゃないといけないの?普通はいいことなの?」って疑問符だらけの和合さん。そうだよな、大人が多様性を否定しまっているんだよな、って思ったのをこれを読み思い出した。

 

『サバイブ』

表題作に比べると半分ほどの文量のこの短編は、スピンオフ作品だった。セキコの友達で、物静かな室田いつみが主人公である。セキコは図書室で隣になったのをきっかけに、いつみの家にまで行くようになる。セキコからみたいつみは、少し贅沢な家庭で料理自慢の母親がいて、優雅に暮らしているように見えたのに、実態はみんなと変わらない中学生の女の子だ。

いつみの家庭にも問題はあった。それも、セキコのそれと比べると傷つける相手がいる問題。大人になりかけの複雑な中学生の心理を鮮やかに描く。人は見た目では内面までわからないこと、そして子供にだって相応の悩みがあるんだよなぁと中学生の頃を思い出した。

 

の本は、たぶん津村さんファンでないと読まない作品かもしれない。他の作品に比べると若干読み劣りしてしまうけれど、読み心地の良さは健在だ。

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