書に耽る猿たち

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『無垢の博物館』オルハン・パムク|頬擦りしたくなるほど美しい作品を読んでしまった

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『無垢の博物館』上下 オルハン・パムク 宮下遼/訳 ★★★

早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.8.18読了

 

日書店に行ったらハヤカワepi文庫で刊行されていて迷わず購入した。とても美しく、身体が痺れてしまうほど素晴らしい作品だった。どうしてこんな小説が書けるのか…。本に対して「愛しい」なんて表現はおかしいかもしれないけれど、私にとっては頬擦りしたくなるほどの小説だ。たまらない!

う、一文づつ、一頁づつ、ゆっくりと丁寧に大切に読んだ。こんな風に一途に何年も1人の女性を愛せるものなのか。これが真実の愛というなら、世間に蔓延る愛と呼ばれるものが薄っぺらに思えてしまう。本当の愛って苦しいけど、そうでなくては愛とは呼ばないのか。

 

約者がいる30歳の実業家ケマルという男性と、ケマルの遠い親戚にあたる17歳のフュスンの愛の物語。ケマルは過去を回想しながら、フュスンの想い出の品々を博物館に展示し読者に語りかける。最大の幸福の瞬間から物語は始まる。わすが40日間ほどの2人の蜜月は、その後の苦しい愛の苦悩の日々に転じていく。ストーリーとしては予想通りの展開にほぼ進むのだが、おもしろく感じるのは文学性豊かで知的好奇心を揺さぶられるからだろうか。

マルはところどころで冷静な自己分析をしている。例えば上巻に「愛の苦痛の解剖学的位置づけ」という章があるのだが、愛の与える苦痛が身体のどこに現れ、どこでより痛みを増すかなどが説明されている。こんなの、人によって違うだろうし答えが出ないのが恋愛だろうに、それでもこうした蘊蓄が読んでてたまらん。 

マルがケスキン家(フュスンの家)に通った8年間は「座る」ためだった。「座る」という表現は、「お呼ばれする」「通りすがりに立ち寄る」「一緒に時間を過ごす」というトルコならではの意味があるらしい。つまり相手と「一緒に」何かをするためという大切な行為なのだ。こうした国や地方の独特の表現や言い回しが私は好きだ。物語と同時に、トルコの世相と歴史についての考察も興味深く読める。

ュスンを身近に感じようと、思い出の品や彼女が触ったものを蒐集するためにこっそりと品々を拝借するケマルは、段々と盗人のように思えてくる。フュスンの吸い殻を4213本も集めたのだ。もうケマルは相当ヤバいんじゃないかって思ってしまった。しかし、最後まで読むと、ケマルの想いに泣きそうになる。本当はみんなこうやって生きたいんじゃないかって。

中に、著者オルハン・パムクさんが登場する。途中ちらっと登場するだけかなと思っていたら、これが上手い構成になっていて、読者を楽しませてくれる仕掛けが施されている。

 

は家で1人の時、たまに声に出して本を読むことがある。じっくりと噛み締めて味わいたいと思える文章に限るが、この作品もその対象となる本だ。しかしトルコの名前の発音がとてもややこしい。「フュスン」や「スィベル」(ケマルの婚約者)なんて一回で発音できないし、口元が覚束なかった。ま、それも含めて幸せな読書時間だった。

ムクさんの作品を読むのは『僕の違和感』『わたしの名は赤』『赤い髪の女』『雪』に続き4作めとなったが、お気に入りだった『僕の違和感』以上で一番好きになった。元々恋愛小説はそんなに好まないのに、これは一級品。ノーベル賞作家が書くと、こんなにも美しく妖艶で愛おしい作品になるのか。恋愛小説というよりも知的な愛の物語。イスラム細密画のような、ペルシャ絨毯のような濃密な芳しい様が心地良い。

から気になっていたトルコは、今まさに私が一番行きたい国である。イスタンブールの街並みを歩きながら、ケマルとフュスンの壮大な愛を感じたい。そして、実在する「無垢の博物館」を一度訪れたいものだ。

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