書に耽る猿たち

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『街とその不確かな壁』村上春樹|自分だけのとっておきの幻想世界|読んだ人にしかわからない満足感

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『街とその不確かな壁』村上春樹 ★★

新潮社 2023.6.10読了

 

濡れたふくらはぎに濡れた草の葉が張り付き、緑色の素敵な句読点となっていた。

み始めてすぐ、7行めに出てくる文章である。裸足で水の上を駆ける少女のふくらはぎが濡れてそこに葉っぱやらが引っ付く。この情景がありありと浮かび、本来なら汚れた足のはずなのに、「句読点」という文学めいた比喩を使うことによって場面が鮮やかに美しく切り取られる。英語なら、他の言語ならどう訳されるのだろう。ピリオドやスペースしかない言語だったなら、受け取った文章からはまた違う印象を覚えるはずだ。

 

つ前に読んだ内田樹さんの『サル化する社会』の中で、村上春樹さんは多くの外国に住み小説を書いたが、結局日本に戻ってきて日本語を言語として小説を書くことが自分のあり方だと思うようになった、というようなことが書いてあった。元々は英語で書いた小説を訳すという形から作品にしていった村上さんは、彼独自の文体を作り上げた。しかし最終的には、日本の地で日本語で書くことを選んだのだ。数限りない意味を持つ言葉、美しい修飾語と、静謐な佇まいを備えた日本語の素晴らしさ。

 

17歳の「ぼく」は、16歳の「きみ」と知り合った。何でも安らかに話せる2人は自然と心を通わせ、お互いを大切に思うようになる。きみは、現実のきみではなく影である分身なのだと言う。きみは、本当の自分が存在する高い壁に囲まれた街の話をしてぼくはそれを書き留めていく。ところが突然、きみは姿を消してしまう。ぼくは、その街に行かなくてはならないと強く思う。

 

一部では浮遊感漂うファンタジーを堪能した。しかし第二部に入ると現実的な形相となる。固有名詞がようやく登場し、村上さんの小説にお馴染みの音楽が流れてくる。独特のネーミングを持った登場人物たちがハミングし踊るようだ。前図書館長を勤めた子易(こやす)さんが良い味を出している。また、私は何かを守る人が好きらしい。この作品に出てくる街を守る門衛。エドワード・ケアリー著『望楼館追想』で館を守る癖のある門番然り。どことなく小説の雰囲気も似ているように感じた。

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に『1Q84』で顕著だと思うが、村上さんの小説では同じ内容がくどいほどに何度も書かれていることがある。それが若干まどろっこしく思う場合もあるのだが、この作品では全くそう思わなかった。村上さんの作品は歳を重ねた大人が読んだほうがよりわかりみが強くなる。

 

人公である「ぼく」が「きみ」を待ち続け、自分の影(のような内面)とどう向き合うか、みたいなストーリーであるが、いくらストーリーを知ったとしても、読んだ人でないとこの満足感を得られないのが村上作品だ。通常ファンタジーと呼ばれる作品とは次元がまた違うように思う。言ってみれば心の中に広がる夢ファンタジーのようで、誰もが頭の中、心の片隅に思い描くようなとっておきの幻想世界が広がるのだ。

 

の小説には、ファンタジー作品にありがちな街の「地図」は存在しない。途中、ある人物がこの壁に囲まれた街の地図を「ぼく」に渡すが、挿入図として頁にさかれてあるわけではない。だから読者は想像するしかないのだ。そう、この街とそれを取り囲む壁はそこはかとなく深くて、常に形を変えていくから、絵にすることもできない。

 

れを読んで、自分が産まれた日が何曜日だったかを調べる人がどのくらいいるだろう?私自身は月曜日だった。マザーグースの童歌によると「月曜日の子供は美しい顔を持つ」という歌詞だ。いやはや、完全にただの言葉遊びだな…。また、どうしても焼きたてのブルーベリーマフィンが食べたくなるし、図書館にも足を延ばしたくなってしまう。

 

待感が膨らむ作品に関して私は常にそうなのだが、案の定購入してからしばらくは寝かせていた。それでも、期待を裏切らない村上さんの小説。もったいないからゆっくりと味わう。この読み心地の良さは他の作家にはないものだ。めずらしく(国内作家の単行本では珍しいし、そもそも村上さん自身の作品では滅多にない)「あとがき」がある。そこで村上さん自身が語ることに、本人の深い安堵と作家としての矜持を感じた。

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