『家族じまい』桜木紫乃 ★
家族じまいーー 何気ない言葉だけれど「家族を終わらせる」ということだろうか。「じまい」には「仕舞い」「終い」のどちらの字も充てることができるが、両方とも「終わり」を表している。家族という形になんらかの決着を自分でつける、またはそんな決断を迫られたそれぞれの想いと行動とは。
各章には人の名前がついており、5人の女性の視点で語られる連作短編集になっている。もうすぐ50歳になる智代は、夫の円形脱毛症を発見したことを何かの予兆にも感じる。妹からの「ママがぼけちゃったみたい」という電話を受け、人が老いることを痛感し、自分がなすべきことを考えていく。
自分とは境遇は異なるのに、それぞれの登場人物がほんの僅かな所では一致している部分もあって、どうにも人ごととは思えない。そう、彼女たちは、どこにでもいる人でそれなりの悩みを抱えたまさに私たち自身なのだ。50歳になる男性の元へ嫁いだ27歳の陽紅(ようこ・ピンク)がその後どうなったのか気になった。
サックス奏者の紀和の章で、この作品のタイトルに触れられていた。
ふと、終わることと終えることは違うのだという想いが胸の底めがけて落ちてきた。心地よいパーカッションの音がする。新しい一歩を選び取り、自分たちは元家族という関係も終えようとしているー自発的に「終える」のだった。終いではなく、仕舞いだ。(240頁)
そうか、家族を終えることか。自発的に能動的に動いていくこと。一見マイナスの行為だとしても、なんと前向きで希望に満ちていることか。仕方なく、と流れで終わってしまうのではなく、自ら終えることの清々しさ、潔さ。
直木賞受賞作『ホテルローヤル』をはじめとして、桜木さんの小説は何冊か読んだけれど、この作品が一番良かった。心の深いところに棲みつき、否が応でも人が歳をとることはどういうことなのか、そして家族ってなんなのだろうかと考えさせられた。家族という砦にこだわる時代はもう終わったのかもしれない。
解説によると、タイトルの「じまい」について桜木さんは「仕舞う」イメージで、衣服を畳んで棚に収める感覚と言っているらしい。あぁ、なるほど。この小説がまさにそんな感じだ。心の奥に丁寧に綺麗に仕舞い込んでおく作品である。