書に耽る猿たち

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『一九八四年』ジョージ・オーウェル|洗脳政治とはこのこと

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『一九八四年』ジョージ・オーウェル 高橋和久/訳 ★

ハヤカワepi文庫 2021.1.26読了

 

の小説、読んだ人も多いと思うが、読んでいなくても存在自体はほとんどの人が知っているのではないだろうか。書店に行けばハヤカワ文庫の棚に平積みされているし、紙の本や電子書籍をネットで買う人は、本のランキングで常に上位にあるのを目にする。

府によって厳しく管理された世界を描いたディストピア小説オーウェルさんがこの本を世に出したのは1949年だ。世界的にも超有名な作品だが、難しそうで今まで手を出せていなかった。SFやディストピアが苦手なためとっつき難いイメージだったのだがこれがすんなりと入れ、むしろとてもおもしろかった。自分の読書耐性が向上したのか?わからないけれど、とにもかくにも抜群のおもしろさ。

ッグ・ブラザーという独裁者が率いる党が支配する1984年のオセアニア(この作中では英米連合したエリア)。真理省で過去の歴史を改ざんする仕事に就いているウィンストンは、政府のやり方に疑問を抱いていた。美女ジュリアとオブライエンという理解者(?)が現れたことで事態は動いていくー。オーウェルさんが考えた、もしかすると未来にあり得そうな政策が興味深い。

「ニュースピーク」という政府の試み。これは言葉の無駄を無くすため、言葉を破壊していく行為で、最終的にはニュースピーク語しか話せないようにさせる。一つの単語はそれ自体に反対概念を含ませることができるから、例えば「良い」の反対を「悪い」ではなく「非良い」にする。「素晴らしい」「申し分ない」を不要の言葉として「超良い」「倍超良い」にするというのだ。

然とする。普通、時代とともに新しい言葉は、発明されたり自然発生するから増えていくもの。もちろん死語として消えゆく言葉もあるだろうけれど、圧倒的に増える言葉が多いはずだ。特に文芸を愛する人たちにとっては悲しいことこの上ない。

して二重思考という能力。これは、ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱きながらも、その両方を受け入れる能力のこと。意識的な虚偽を抱きながら誠実さを維持する、つまり正反対の気持ちをその状況に応じて使い分ける能力だ。これって結構難しいこと。他にもオーウェルさんが作った仮想単語とその意味がとても興味深い。

人は愛されるより理解してもらうことを望むものなのだろうか。(390頁)

んだかとても突き刺さる文章だ。結局ウィンストンが選んだ、というか求めていたのは「理解されること」だったのかもしれない。自由に生きるために。広義の意味ではもちろん、愛されることも理解されることの一つだけれど。

界が独裁洗脳政権になり、人類もそれを受け入れてしまったらこんな風になるのだろうか。恐ろしい世界だ。これを読んで何とも思わない思考の人がいたとしたら、それも恐いかもしれない。ところで、ウィンストンが1984年だろうと話しているだけで正確な時代は定かではない。年代すら洗脳されているかもしれない。いつ、なんどき、どこの国でこうなったとしてもおかしくない。

人に読みやすい小説ではないのだが、設定が独創的で、素晴らしくよくできた大作だ。どうしたらこんな設定を思いつけるんだろう。私はどちらかというと文体やその作品が持つ空気、心地よさ、はたまたストーリーが優れていると、好きだとかおもしろいと感じるのだが、この小説で感じたおもしろさは少し違う。多くの方に影響を及ぼしたのがよくわかる。ずっと忘れないだろうし、そして再読したいとも思えた。

の本がまたすごいのは、トマス・ピンチョン氏が解説を書いているところだ。彼が解説を書くことなんてあるのか?早川書房の担当者が依頼したのか?ピンチョン作品は新潮社から刊行されているのではなかったか?など疑問だらけだが、、とりあえず本文を読み終えてもなお解説を楽しみにできる幸せ。もちろん、先読みなんて手荒なことはせずに。予想通りの解説だった。なんというか、数頁読んだだけでも知能レベルの高さを感じる。

はまだ読むつもりはなかったのだけど、最近購入した別の本を読む前に『一九八四年』を読んでからのほうが良さそうだったので急いで手に入れた。少しでも楽しむために努力は惜しみたくない。何を読もうとしているかは、そんなに日をあけずにまた紹介するつもりだ。あと『動物農場』も近いうちに読む!