書に耽る猿たち

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『シーラという子 虐待されたある少女の物語』トリイ・ヘイデン|人が人に与えられる素晴らしいものを胸に

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『シーラという子 虐待されたある少女の物語』トリイ・ヘイデン 入江真佐子/訳 ★★

ハヤカワ文庫 2021.1.31読了

 

版ということで書店に並んでいたが、過去にベストセラーになったノンフィクションだ。ネットで調べてみると、昔刊行された本のジャケットは確かに記憶にある。いま読み終えて、これはこの先ずっと残さなくてはいけない作品だと強く思った。

者のトリイ・ヘンデンさんが「くず学級」(色々な障害を持つ子を分類するが、その分類に漏れた行き場のない子のクラス)で実際に教えた子供のうち、シーラという少女と過ごした約7ヶ月の記録である。作中でシーラが体験したことは、同じ女性として胸が痛むし目を覆いたくなるほどだ。

6歳であるシーラは、3歳の男の子を焼き殺そうとした事件で、精神科病棟に行くよう判決が下りた。しかし小児科の空きがないため、一時的にトリイが預かることになる。6歳の子供がこんな事件を起こすなど信じがたい。普通なら関わりあいたくないはずなのにトリイは受け入れる。

シーラは頭をかき、考えにふけるようにわたしを見た。

「あんたも頭、おかしいの?」

わたしは笑ってしまった。「そうじゃないといいけど」

「なんでこんなことしてるの?」

「なんのこと?ここで働いていること?それはわたしが子どもたちが大好きで、教えることが楽しいからよ」

「なんで頭のおかしい子と一緒にいるの?」

「好きだからよ。頭がおかしいのは悪いことじゃないわ。ちょっと人とちがうっていうだけ。それだけのことよ」

シーラはにこりともせずに頭を振り、立ち上がった。「あんたもやっぱり頭がおかしいんだね」(108頁)

れは、シーラとトリイとの最初の掛け合いで印象に残ったシーンだ。なかなか喋らず心を開かないシーラに対してトリイは少しずつ歩み寄る。トリイは、何人かのうちの1人の子どもでなく、1人の人間として全身全霊を持って接する。まずそのことに感動したし、普通なら虐待する親に対して非難するのに、ある意味被害者であるとしわかり合おうとする。シーラはトリイと出会うことができ本当に幸せだと思う。

育の現場だけでなく、誰もが意識しておかなくてはいけない大切なことがある。私たち人間は自分の価値観で物事を決めつけてしまうことがある。私もそういう時があり、いつも反省だらけだ。とても大切なところなのでもう一箇所引用する。

この子は何を考えているのだろう、とわたしは思った。そして悲しいことにこう悟ったのだった。わたしたちが自分以外の人間がどんなふうであるかをほんとうに理解することは決してないのだ、ということを。そして人間はそれぞれちがうのに、浅はかにも自分は何でも知っていると思いこみ、その真実を受け入れることができないということも。(254頁)

さい頃から多分3回は読んだ『星の王子さま』が作中に登場する。童話のようで簡単に読めるのに、とても大事なものを教えてくれ、少し怖い物語だ。子供のときは何が言いたいのかわからない話で、実は大人が読むものなんだと2回めに読んだときに感じた記憶がある。6歳のシーラは、これを一生のバイブルとし、トリイとの思い出とともに大切にするのだろう。

は、別れが必ず来るのがわかっているなら、深入りしないほうがいいと思っていた。さよならが辛くなるから。決して小さい頃からそうだったわけではなく、これは大人になるにつれ、勝手にそのように思うようになったのだ。

かし、この本を読んで考えが変わった。どんな時でも、心を込めすぎることはない、愛しすぎることはない。例え短い期間であっても、相手と深くわかり合うことが大事なのだと。トリイは、いくら別れの時が辛くても「人が人に与えられるもので思い出ほど素晴らしいものはない」と信じている。別れは辛いものだけど時間が解決するし、それ以上に大切なものを人間の心に残すのだと。

リイさんは、この本を刊行した後も何冊か本を出されているようで早くも読みたくなる。シーラがこの後どうなったのかも気になる。それにしてもこの本が最初に刊行されたのが40年前、児童虐待は今だに全世界で後を経たないことが悲しい。たくさんの人に読んでもらいたい作品だ。
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