『この道』古井由吉
久しぶりに古井由吉さんの本を読んだ。古井さんの文体に触れるときは雨の日が似合う。現在このような静謐な空気をまとう文章を書く人はいないのではないか。
基本的には古井さん本人だと思われる老人の想いや生活について連ねられている。所々に過去の体験が多く導入され、戦時下のこと、入退院を繰り返したことなどが走馬灯のように駆け巡る。古井さんは季節の移ろいを大切に感じ、そして松尾芭蕉をはじめとする詩人を敬愛し古代ローマの神々の意思を尊重している。
物語性は全くない。ただつらつらと、浮き輪がぷかぷかと浮くように、言葉がゆらりと紙面を浮いているようだ。抗えない老いというものは、これまた抗えない自然の摂理と同じであるように、ただそこにあるのだろうか。
松浦寿輝さんの解説によると、この本は一つ一つの短編として読んでも、連作短編集として読んでも、はたまたエッセイのようにも読めるという。古井さんの生前最後に出した作品集であるからか、常に「死」の匂いがつきまとう。しかしそれは必ずしも暗いものではなく、悟りの境地に達したようでどちらかというと神聖なものとなっている。