『滅ぼす』上下 ミシェル・ウエルベック 野崎歓 齋藤可津子 木内暁/訳 ★
河出書房新社 2024.01.29読了
ウエルベックの小説ってどうしてこんなにカッコいいんだろう。ストーリーも文体も、登場人物の会話も、もう何もかも。鋭く光るセンスは誰にも真似出来ない。この本はジャケットもカッコいい。言わずもがな、現代フランス作家のなかで最も影響力のある一人だ。去年の暮れに、浅草の鮨屋で隣り合ったフランス人とウエルベックについて話が盛り上がったのを思い出す。
経済財務大臣補佐官のポール・レゾンが主人公。大統領選を間近に控えた中、テロ事件が勃発し政治の世界がスリリングに描かれる。また一方で、ポールの父親が昏睡状態になったことから、周りの家族や親しい人たちとの関係性が密接に物語に影響を及ぼす。
途中まで、近い将来ということはわかるけれど具体的にいつの時代なのかがわからなかったが、しばらくするとこの舞台が2027年(始まりはその前年の2026年)と明かされる。2027というのが不吉な数字であるとポールは訝しみ、それが素数であることを知る。素数というのは昔から多くの人を虜にした数字。
推理小説みたく先が気になる!というわけではないのに、どうしてかぐいぐい読み進めてしまう理由は、ストーリー性が優れているだけではなく、ざくざく研ぎ澄まされた章の終わり方が、次もこの感覚を味わいたいと思わせる仕掛けになっているのかも。また、ポールが就寝すると、必ずと言っていいほど夢の中の情景が文章になる。これがまたなんともいえずスリリング。
ポールの父とマドレーヌ、妹セシルとその夫エルヴェ、弟オーレリアンとマリーズの関係は、ゆるりとした空気感が心地良い。そして何と言ってもポールと妻のプリュダンス。最初は冷え切っていた関係がこんなふうになるなんて。「政治」の物語ではあるけれど、根底にあるのはまぎれもなく「死」と「愛」についての壮大なタペストリーだ。あぁ、これが本物の愛。
死を意識したときに、人は小説を読むのだという。それは自分の人生ではなく「他人」の人生が書かれているから。この先に待つ死、それに至る痛みと苦しみを考えずに、別の人物の人生を辿ることで自身の死を考えずに済む故か。この作品ではアーサー・コナン・ドイル、アガサ・クリスティーが読まれており、それが助けとなっている。死の直前まで推理小説を楽しめるなんて、なんと素晴らしいこと。
今まで読んだウエルベックの作品のなかでは一番理解しやすかった。ストーリーが掴みやすいと言った方がいいだろうか。そういえば、いつもの性描写が途中までほぼなくて、刺激という意味ではインパクトは少ないかもしれない。いや下巻にはあるけれど、美しく気高いのだ。
全ての言語の中でフランス語が一番美しいとよく言われるが、それは文字のつらなり、発音が耳に心地良いというだけでなく、フランス人の名前も影響していると思う。美しい響き、かぐわしい香り。マドレーヌ…、お茶したくなる。