書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『西行花伝』 辻邦生 / 仙人になる

f:id:honzaru:20190428011040j:image

西行花伝』 辻邦生

新潮文庫  2019.4.27読了

 

人であり仏教僧である西行について、弟子の藤原秋実が綴る壮大な絵巻。森羅万象—この小説のテーマであり、作中では「いきとしいけるもの」とルビが振られている。

森羅万象の仏性に触れるとは、地上に現れたすべてに—人々に月に花に風に雲に鳥獣虫魚に—柔和な仏陀の円光を深く感じることである。この万物のもつ円光の和やかさは、物の相のそれぞれの色、匂い、形の良さとなって現れる。(中略)私の修業とは、そうした物の好さに、深く心を澄まして聞き入ることであった。(中略)森羅万象の好さにこうして住みなすとは、その物の好さに心を同調させることだ。大事なのはこの点だ、物の好さに心が同調すると、心は元のままではなくなり、その好さの色に染まる。(十六の帖 584頁)

西行が人間を超えてもはや仙人となったことが感じられる。人は、人間を超えるとこのような境地に達するのであろう。西行がたびたび高野に入るのは、他所では経験できない霊気のなかで仏道専一の思いを深めるため、とある。私自身一度高野山を訪れたことがあるが、なんとも言えない霊気と深遠なる神々しさを感じたことは忘れがたい。心に静寂が訪れ、無の境地を感じられた。こういう場所って本当にあるのだなと感じた。

私が旅のなかで何か学んだとすれば、六道輪廻のこの存在(あるまま)をそっくり受け入れることだった。(中略)私は、存在(もの)がある限り、六道輪廻の涯まで、それを喜んで受け入れようと決意したのだ。悪業を見ても、私はそれを受け入れる、病苦で爛れた肉体も、私はそれを受け入れる。存在が六道のうちにある限り、それは無縁であってはならないのだ。受け入れるとは、それを慈悲で包み、自分のなかに同化することだ。(中略)六道輪廻のうちに在ることが、御仏の慈悲であるからだ。人が生れ、地上にあることが、すでに慈悲の現れなのだ。(十二の帖 406頁)

今自分が生きているこの世界、ちっぽけなことで悩み、妬み、嫉むことが恥ずかしくなってしまう。すべてを受け入れること、その心を心の片隅にでも置いておけば、静かな心で何があっても静観できるような気がした。

邦生さんの作品は『背教者ユリアヌス』を読んでその美しい文体に惚れたのだが、今回の作品も見事に綺麗で美しい日本語であった。一文一文噛み締めながら読め、文章の気高さと気品を感じられる数少ない作家であると思う。谷崎潤一郎賞を受賞した本作品は、平成の30冊にも選ばれている。あと2日で平成というひとつの時代が終わるが、次の時代にも残していくべき作品である。ただ、この文体と文字の量は読むのには少し時間がかかるし、読者を選ぶだろうことが少し残念である。

 

honzaru.hatenablog.com

 

honzaru.hatenablog.com