新潮文庫 2020.7.7読了
今年の4月以降、ヘッセ作品を読みあさっている。一貫して言えるのが、人間が生きることの意味を説いていること。特に本作品は信仰・哲学的な面がなお一層強く現れている。
原題は『ナルチスとゴルトムント』である。ナルチスは神学者・哲学者であり「知」を象徴とし、ゴルトムントは愛欲の固まりの彫刻家であり「愛」を象徴としているため、訳者の高橋さんは邦題をこのように変えた。
マリアブロン修道院で若い2人が出逢い友情を確かめ合うが、女性を知ったゴルトムントは、これをきっかけとし修道院を脱出する。このゴルトムントの恋愛遍歴と芸術創作をたどるのが小説の大半であるため、主人公はゴルトムントと言えるだろう。晩年、精神的な救いを求めてナルチスの元に戻り、友情を深めてラストに辿り着く。
作中では2人の年齢は一切書かれていない。そんなことは全く問題ではないかのように。「知」と「愛」という一見相反するものがどのように反発し混じり合っていくのか、ヘッセ氏の美しく瑞々しい文体で物語られる。『車輪の下』や『デミアン』のような波乱の展開はほとんどなく、ゴルトムントののらりくらりとした自由奔放な生活を一緒にたどるのだが、読後感はなんとも美しい。終盤のナルチスとゴルトムントの対話は圧巻である。
なぜであるかはわからなかったけれど、苦痛と快楽とが兄弟姉妹のように似うるということを知って、彼はなんとも言えず意外な驚きに打たれた。(196頁)
これは、ゴルトムントがお産を目の当たりにする時の妊婦の表情を見て、性行為の際の女性の表情に非常に似ていると感じたものだ。この場合のみならず、確かに苦痛と快楽は表裏一体だ。ヘッセ作品を読むと、世の中の理(ことわり)のようなもの、生きるために大切なことが至る所に散りばめられており、その都度ハッとして立ち止まる。
おそらく日本においてヘッセ氏の作品で有名なのは『車輪の下』や『デミアン』であろう。しかしヘッセの母国ドイツでは、『湖畔のアトリエ』という作品が一番よく読まれ、この『知と愛』がそれに次ぐ作品のようだ。『湖畔のアトリエ』もそうだが、ノーベル賞受賞のきっかけとなった『ガラス玉演戯』も日本では入手困難のようで、この円熟の大作も読んでみたいと切望するばかりだ。