書に耽る猿たち

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『一人称単数』村上春樹/やわらかく心地よい作品たち

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『一人称単数』村上春樹

文藝春秋 2020.8.23読了

 

そらく今年の文芸誌部門でベストセラーになるのでは、と予測する人も多いだろう、先月刊行された村上春樹さんの6年ぶりの短編集だ。8つの短編が収録されている。表題作『一人称単数』だけが書き下ろしで他は文芸誌に掲載されたもの。短編集では前作の『女のいない男たち』がすごく良かったから今回も期待していた。

つものとおり、予想を裏切らない心地よい文体。全体を通して柔らかい印象を受けた。流れる時間も急(せ)いておらず穏やかだ。私小説に近いようで、どの作品の主人公も村上さん自身に似ている。年齢も思考もエピソードも。耳のことも、音楽のことも。小説にも登場しそうな透明感がありそして謎めいた女性が登場する。私が中でも気に入った作品は『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』と『品川猿の告白』である

『ウィズ・ザ・ビートルズ』の始まりは、高校生の僕が、ビートルズのアルバムを持った美少女とすれ違う場面。世界中でビートルズが大流行していた時の話だ。「僕」とガールフレンドのお兄さんとのやり取りがシュールなんだけど和ませる。たった1日数時間の出来事なのだが、18年後に偶然にしかし必然であるかのごとく再会する。

ートルズが世間を騒がせ、ニュースで色んな出来事があった。しかし世界で起こっていることよりも、個人的な出来事しか高校生である「僕」には興味がなかったし、自分と身の回りを取り囲む環境が世界の全てだ。それは、18年後の「僕」にも言えるし、私たちにとっても結局そうなのだ。いいのか悪いかはさて置き、そんな風なもの。

か今年の初め、文芸誌「文藝界」の表紙に『品川猿の告白』とあるのを見て、思わず買おうとした。大好きな「猿」がどうやら主役のようで言葉を喋る、これは気になると思っていたらこのタイミングで今回の短編集に収録されていた。群馬の小さな旅館で働く猿は、かつて品川のインテリ夫婦の元に暮らしていた。その時の身の上話なんかを語る。猿が当たり前のように言葉を話す。お風呂で背中を流してもくれる。

生に戻れない猿の苦悩と、品川猿なりの生き方がなんだか読んでいる私にも自信になる。何より老猿がこうやって話をする姿を想像するだけで私としては楽しいのだ。数十年後とリンクし、構成としては『ウィズ・ザ・ビートルズ』に似ている。

と『ヤクルト・スワローズ詩集』もエッセイ風で楽しめた。私もある球団を応援しているから、一野球ファンとして共感できる部分が多かったのだ。球場で観戦する独特の雰囲気が病みつきになるのは、おそらく試合展開が大きな要因であるし、その場に居合わせるドキドキ感はライブを生で聴くのに近い。やはり自分が行った試合が勝つと気分も良くなるし、負けたらどっと疲れがくる。

も、これを読んで、負けることも必要なんだと思えた。村上さんが言うには「まぁ、人生、負けることに慣れておくのも大事だから」と。最初は負け惜しみだったのかもしれないけれど、この考えは人生においてすごく重要なエッセンスだ。

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こうしてみると、このブログを始めてから、村上さんの作品は短編や対談のようなものばかり読んでいる。長編はほぼ読みつくしているからなぁ。そろそろ再読をするタイミングかもしれないとふと思った。