書に耽る猿たち

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『邯鄲の島遙かなり』貫井徳郎|イチマツ痣は永遠なり、日本に希望を

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『邯鄲(かんたん)の島遙かなり』上中下 貫井徳郎 ★

新潮社 2021.12.27読了

 

年の9月から3ヶ月連続で刊行された貫井徳郎さん最大の長編小説で、執筆人生の記念碑的作品である。単行本で全3巻ととても長いのだが、読み始めると物語にガツンとのめり込み、とてもおもしろかった。さすが、貫井さんだ。

「邯鄲(かんたん)」とは何かと調べたら、虫(こおろぎ)の一種の意味がある。また、邯鄲市という中国河北省に存在する市の名前でもある。さらに、中国で「邯鄲の夢」という故事があり、これは「人の世の栄枯盛衰は儚きものである」の意だ。本作の「邯鄲の島」とは、関東地方の離島、神生島(かみおじま・架空の島)が舞台である。この島に生きたある一族、そしてこの島の物語なので、おそらく中国の故事から連想したものだと想像できる。

 

上巻 【明治・大正時代】

神生島に、イチマツが帰ってきた。イチマツこと一ノ屋松造は、代々伝わる一ノ屋の家系の最後の1人であり、一ノ屋は島に幸をもたらすと言い伝えられている。美貌のイチマツは何人もの女性を虜にし子供を孕ませ、血を絶やすことはなかった。

イチマツが残した子孫たちには唇のような痣が身体にある。章(部)によって、主人公が変わりひとつの短編のようにも読める。少しずつ重なりあう。イチマツの子供、孫の視点からだけではなく、友達や親など、視点がそれぞれ異なるところが飽きさせず新鮮な気持ちで読める。

作中に出てくる「くが」というのは本州のことであろうか。そこで起きることが口々に語られると、日本の近代史を学んでいるかのようだ。

与謝野晶子の文学に敬意を示し、女性たちに読み書きを教えた容子の章で「男性は好戦的」だとあった。確かに戦争を起こすのは必ず男性からだ。女性が指導者になれば暴力でやり合おうとは思わないかもしれない。美貌の鈴子の章でも男性たちが決闘するシーンがある。男性は昔から戦うことが好きなのだ。

イチマツの血が流れる者には何らかの才能があると言われている。才能を生かすも殺すも、そして才能を見つけられるかもその人次第。才能がなくても、懸命に生き、島のために何を成せるかを考えている。才能とは何なのだろうか。最後の章で良太郎の父は「苦手なことに諦めず挑み続けたこともまた才能だったのではないか」と思うのだ。

上中下巻に分かれているが、全部で十七章あるものを3巻に分けただけのようだ。上巻には七部あり、最後は関東大震災で終わる。もうこれ、続きを読まずにはいられないほど興奮して上巻を閉じた。

 

中巻 【昭和初期 戦前・戦中】

普通選挙法が施行され、一ノ屋の血を受け継ぐ孝太郎が立候補する。第一回男子普通選挙ということで、立候補する側も投票する側も何をどうしていいかわからない。選挙運動をしていくなかで、お金やモノで人の気持ちを揺さぶる候補者や、支援する立場の思惑、投票する人たちの気持ちの変わりようなど、いみじくも、人間の本質を見てしまったかのよう。

選挙運動という一連の流れの中で、政治の指導者には何が求められるのかだけでなく、人間は、国や地域の単位の中でどのように助け合い生きていけばいいのかを深く考えさせられた。

一橋産業の当主が亡くなり、一ノ屋の本家の血筋をひく親族が集まり、突然現れたイチマツ痣がある少女についてひと騒動起きる。神生島に心中が続出し幽霊騒ぎが起きる。そして超能力少女が見世物になるなど、この巻はいささかオカルトめいた雰囲気を醸し出していた。

イチマツの血筋をひく征子には子供がいない。だが、血のつながりのあるイチマツ痣をもつ子達を自分の子供のように可愛がっている。男女平等を訴えるメイ子のような女の子は昔はいなかった。ここでも、男性が政治を動かしているから戦争が起きるという話になる。

この中巻には、第八部から十三部が収められているが、終わりに差し掛かるにつれて戦争の恐ろしさと残酷さに胸が締め付けられるのだった。

 

 

下巻 【戦後・平成】

ついに最終巻。本の1枚めをめくった頁の人物相関図(イチマツから始まる家系図)がどんどん伸びてきているのが、時代を感じさせる。神生島とともに私も生きてきたように思えて感慨深くなる。

第十五部は野球小僧の話。一番のボリュームを費やしており、試合の詳細な運びが生き生きと描かれている。イチマツ痣のことはほんの数行しか出てこない。あぁ、貫井さんはきっと野球が大好きなんだろうなぁ。

上中巻で行方が気になった人が登場したり、あのときあんな風だった人がこうやって語り継がれる。空襲で孤児となった勝利(かつとし)が主人公の第十四部はとても感動的だった。

いつの間にか昭和は終わり平成になり、東日本大地震のボランティアの話になる。ここまで来ると、もうついこの間の出来事のように思える。あれよあれよという間に令和という時代を迎える。一ノ屋は滅びない。イチマツ痣は何十年も何百年も続いていくのだろう。そんな希望とともに結ばれる。

 

 

かなかのボリュームだったけれど、連作短編のように読め、バラエティに富んだ各章を存分に楽しめた。面白おかしく読めるものもあれば、感動的なものもある。以前『空白の叫び』を読んだ時は、多少だらけた感があったのだが、これは圧倒的に長いのにそんなことを感じなかった。ただ、単行本3冊はなかなか購入するのに勇気がいるとは思う。

生島という架空の島が主役であるが、本土で起こる様々な出来事から日本の近代史を同時に読んだかのようだ。歴史も絡ませるこの手腕に惚れ惚れする。

井さんの小説は昔貪るように読んでいた。『愚行録』や『プリズム』を読んだ時、こんなにおもしろいものを書く人がいるなんて、と鳥肌が立ち、この人はいつか直木賞を取るんじゃないかなと予想していた。しかし、他の文学賞を多く受賞されすでにベテラン作家なので、もう新進気鋭の作家ぎ対象の直木賞にノミネートされる存在ではない。息長く第一線で活躍される数少ない作家の一人、これからも読者を楽しませて欲しい。

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