書に耽る猿たち

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『アメリカの悲劇』セオドア・ドライサー|クライドの激動の人生を考える

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アメリカの悲劇』上下 セオドア・ドライサー 村山淳彦/訳 ★★

花伝社 2024.12.29読了

 

イトルのポップなイラスト(色合い、タッチ、英語の手書き字体も含めて)と「悲劇」という言葉が不釣り合いに思えて、書店で見かけてから妙に気になっていた。花伝社という出版社は上巻を刊行してから2ヶ月後にならないと下巻を出版しないようで、買うかどうしようかしばらく悩んでいたのだが、この作品はアメリカの小説で重要な位置付けになっていると知り下巻が刊行されたタイミングで思い切って手に入れた。大正解、めちゃくちゃおもしろかった!

 

(以下、ある程度のネタバレ含む。でもストーリーを知った上で読んでも全く問題なし。私もそうだったし、何なら本の裏にもあらすじはしっかり書かれている。

リスト教の伝道師をしながらつつましく暮らす家庭に生まれたクライド。小さな頃から自分の家庭に疑問を持ち、このままではいけないと、お金持ちになって幸せな都会生活を夢見るようになる。ホテルのボーイから始まり、叔父のつてで工場ではたらくことになったクライドは女工と良い仲になる。しかし望まない子を宿したこと、裕福な美貌のソンドラに惹かれてしまい、事故とも事件ともいえる出来事が起きてしまった。そこからのクライドの転落ー。

 

トーリーだけ説明するとこんな感じなのだけれど、小説の中にはいろいろなエピソードがふんだんに散りばめられいて、それがとてつもなくリアルで細密である。登場人物たちのエゴ、欲望、狂気と恐怖、愚かさ、、つまり人間臭さがあますところなく展開される。

 

かしクライドの転落の人生は果たして悲劇という言葉で終わらせて良いのだろうか。こんなにも力強く激動の人生を歩んだ彼の生き方、考え方から私たちは学ぶべきものが多くある。過去の自分の行いを冷静に見詰めるところは、心理学的にも興味深く読めるんじゃないかと思う。

 

ライドが初めて好きになった「ヤバい」という言葉が口癖のホーテンスとの恋愛、その後仲間と起こした大きな事故。ホーテンスは、モーム『人間の絆』に出てくるミルドレッドのようで、わがままで自由奔放な女性だ。その後も「ヤバい」というのが大袈裟に感じられるほどずっと使われているから、妙に気になってしまった。確かに現代ではどんなことでも感嘆の意を込めて「ヤバい!」を使うけれど。あと「えげつない」と訳されてる箇所もあって、なんだかくすりとしてしまう。「ツ!ツ!ツ!」や「〜だに」というのが読んでいる最中に気になり、こんな表現しないだろと思いながらもなんか笑けた。これも訳者の個性だしおもしろい。

 

ライドは恋愛において、好きになる相手がとことんなまでに外見重視で、さらにすぐに他の女性を目で追う移りげな体質。短絡的で、心変わりが早く、流されやすくて強引で、結構ひどいやつなんだけども何故か憎み切れなくて、それは私たちの中にもクライドの一面が実際にあるからなのだ。

 

バータは間違いなくクライドが好きになった女性で一番まともだ。こんなにも一途で良い子なのに。子どもができてしまいこの窮地をなんとか脱しようと奮闘する場面はなんともスリリングで、医師の心情も事細かに綴られていて、ドライサーはどうということのない人物にも息を吹き込んでいる。ロバータを溺れさせようと目論んでいるときに、クライドに死神のようなかたちで(田中慎弥さんの『死神』にある分身?のごとく)現れる悪の心の声が追いかけてくる。この悪の声を断ち切ることができるのか、それも人間力なのかも。

 

ルナップとジェフソンは有能な弁護士ではあるが、それも仕事でやっているだけだ。本当の意味でクライドの味方でいたのは、無性の愛で包み込むのは、母親だけなのだ。こういうのはいつも胸が締め付けられるよなぁ。

 

しい家庭に産まれた少年が必死になって立身出世を目指す。恋愛全開モードになる。容疑者になる。逮捕されてからの終盤は法廷小説、そして収監、最後には信仰の物語になる。色々な要素を含んだこの小説は読んでいて飽きることがなかった。

 

品のタイトルが「クライドの悲劇」ではなく「アメリカの悲劇」であることを私たちは考えなくてはならない。ある人物の栄光と衰退を捉えているだけではなく、アメリカ社会の性的問題、格差社会、宗教二世問題、司法制度問題という多重層にもなる多くのテーマがある。クライドの人生を通してアメリカの闇が浮き彫りになっているのだ。いや、アメリカだけではないだろう。

 

六判ではなくもっと大きいA5判の上下巻ということでかなり長くかかった。でも、すごく夢中になれた10日間だった。分厚い本を持ち歩くのは大変だったけれど、本を開くたびに物語世界にどっぷり入り込めるこの感覚を久々に味わえて、年の瀬に大満足だった。合掌!にしても、過去に訳された本は単行本一冊もしくは文庫本(すでにどちらも絶版)で上下2冊なのに、今回の訳は随分膨らんでしまったんだなぁ。