書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『少年は世界をのみこむ』トレント・ダルトン|ディテールの積み重ねが人生を彩る

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『少年は世界をのみこむ』トレントダルトン 池田真紀子/訳

ハーパーコリンズ・ジャパン 2021.5.31読了

 

く知らない作家だし、なんなら出版社も聞いたことがない。2019年にオーストラリアで1番売れた小説らしい。壮大なタイトルと、ペラペラめくった時の字体と印刷のセンスにピンときて思わず手に取る。

れ出る比喩と空想世界が文章を彩る。どういう表現がぴったりくるのかわからないけれど、読みながら浮遊しているような感覚。結構珍しい独特の世界観なのだが、とても心地良い読書時間だった。

人公はイーライという12歳の少年。空想が得意で素直で優しく、将来の夢はジャーナリスト。イーライの1つ歳上の兄はひとことも口をきかない。言葉を話せないのではなく敢えて話さない。話す代わりに空で文字を描く。イーライはいつもそれを読み取る。聡明な兄のことをイーライは誰よりも尊敬している。

の兄弟と両親、そして父の代わりとなるライル、さらにイーライの1番の親友である元脱獄王のスリムらと共に、悲しいけれど希望に満ちた冒険譚が繰り広げられる。読み終える頃にはイーライはたくましく成長する。

われているのは犯罪、脱獄、麻薬取引などダークなものなのに、イーライが語るそれは全く重苦しい感じがしなくて、むしろ虹がかかったかのようにすっきりと清々しい。どうしてだろう?イーライが善良な人間になるために常に前向きであることと独特な文体が理由かもしれない。

紙を書く時には「ディテールを具体的に書け」とスリムはイーライに伝える。「堀の中の連中は、日常生活のつまらんディテールに飢えてる。自分ではもう経験できないわけだからな」手紙を書く相手に選んだのは、かつてスリムが入っていた刑務所にいる銃の密輸入で服役しているアレックス。  

まらない日常の些細なあれこれに飢えているということは、単なる日常が実は1番大切なものだということ。その積み重ねが人生を彩る。そもそもこの小説自体、通してディテールが具体的だ。ちょっとした風景、僅かな心の動き、流れてくる音楽、テーブルにある食べ物、そしてイーライの空想の産物さえも細やかな表現で、まるでそこに生きているかのようだ。

『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行|知らない世界を知る楽しさ

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『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア高野秀行

集英社文庫 2021.5.26読了

 

っと前から高野秀行さんの本を読んでみたくてようやく手にしたのがこの本。書店には数多くの文庫本が並んでいた。1番分厚くて躊躇したけれど、講談社ノンフィクション賞を受賞されており1番売れている本だったためこの本を選んだ。

マリランドってどこ?ソマリアは聞いたことあるけれど、ソマリランドとは別?いまいちピンと来ない。アフリカということはわかるけれど位置もわからない。そんな無知の状態だったのだが、読了した今、かなり詳しくなった。     

から出たことのない子供が外に初めて出た時に何でも興味を持つように、または籠の中の鳥が自由になった途端羽ばたいていくかのように、知らない世界を知ることの楽しさみたいなものを再認識した。

フリカ東部の北側ソマリランドは、実は国連からは国と認められていない。縦に長いソマリアは「ソマリランド」「プントランド」「南部ソマリア」の三国のような状態にある。紛争が絶えないソマリアがある一方で、ソマリランドがどうして平和な民主主義になり得ているのか、これを探ろうとするのが高野さんの出発点だ。

ート宴会というもので、高野さんは現地人と仲良くなる。カートとは、葉っぱの一種で麻薬植物だ。それをむしゃむしゃ食べながら自分もハイになり現地の人の生の声を聞いていく。お酒を交わして仲良くなるようなものだろう。

マリランドは安全安心なところだとわかったが、帰国後、プントランドソマリアを実際に見てないのにどうしてそう言えるのか疑問を持つ。比較していないのに大言出来ないのではと思った高野さんは、再度ソマリランドへ、そしてプントランドソマリアに行くことにした。一度の滞在記ではなく、2回に及ぶ滞在が1冊の本になっていたのだ。

たちは自分で見たことや聞いたことがない物事に対して、マスコミやネットの情報を鵜呑みにしてしまう癖がある。癖というよりほとんどの人が当たり前のようにそうしていて、でもそれはやはり危険なこと。自分で確かめること、これが大切で忘れてはいけないことなのだ。

説家ではないから独特の文体というものはないけれど、文章はとても読みやすくところどころに笑いと感動がある。何より全て高野さんが体験したことだから、臨場感に溢れ真実味がある。これぞノンフィクション作家たるお手本のような文才だ。

うなると、同じくノンフィクション作家・探検家である角幡唯介さんの著者も読んでみたい。早稲田大学探検部出身とのことで、高野さんの後輩になるようだ。数年前話題になった『極夜行』がいいのかなぁ。

『オルタネート』加藤シゲアキ|繋がること、その手段

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『オルタネート』加藤シゲアキ

新潮社 2021.5.24読了

 

校生限定のマッチングアプリ「オルタネート」を題材にした小説である。いま世の中にあるマッチングアプリは結婚を前提としたものが多い。マッチングアプリ自体は数年前から流行っていて、私の知り合いには実際に結婚した人もいる。

の小説の中では、高校生が恋人をつくるため、または自分と同じ興味を持つ相手を探したり、さらには連絡を取るための手段としての意味合いとなっている。Facebookの高校生限定バージョンのようなものだろうか。

まり期待していなかったこともあってか、なかなか楽しく読めた。調理部の部長の蓉(いるる)、音楽好きでドラムを奏でる尚志、オルタネートを信奉する凪津(なづ)の3人を中心とした青春群像劇である。若くみずみずしい感情が溢れている。学生の頃、青春時代を少し思い出すような。アプリがこの作品の主役だからもっとAI任せでシステマチックなのかと思ったら、大切なのはやっぱり人との繋がりだとわかって安心した。

(いるる)という、最初は男なのか女なのか区別が出来ず、しかもキラキラネームっぽい名前が出てきて多少面くらったが、読み終わるころには素敵な名前に思えてくる。作中には同性愛カップルも普通に存在するし、時代を象徴しているかのようなジェンダーレスな空気感。

う少し登場人物の背景を詳しく書いてほしい、悪者も登場して欲しい、なんて注文はあるのだが、そう思うのは私が中年の世代で今までに結構多くの本を読んでいるからだろうか。若い学生さんなら間違いなく面白いと感じるだろうし、ただジャニーズファンというだけでも本を手に取るきっかけになるなら喜ばしいことだ。

直、この本が直木賞候補になった時に、単行本の段階で読むつもりは毛頭なかった。ジャニーズだし話題性のためにノミネートされたのかなぁと。それでも読もうと思ったのは吉川英治文学新人賞受賞のニュースを見てからだ。私は同賞がわりあい好みに合うので読んでみるかと。イラストの女の子とアプリのマークのような刻印があるジャケットにもなんだか惹かれた。

ャニーズのアイドルという超多忙な中での二足の草鞋はそれだけでも単純に尊敬するし、加藤さんが小説を本当に好きだからこそ出来るのだと思う。本当は執筆を専業にしたいんじゃないかな?でも作家は何歳になっても出来るけど、アイドルはそうはいかないか。そして、加藤シゲアキさんに注目がいきがちだが、新人賞ではない吉川英治文学賞は、村山由佳さんの『風よあらしよ』、これはよりおすすめ。

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『花のれん』山崎豊子|商いに賭けた女の一生

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『花のれん』山崎豊子

新潮文庫 2021.5.23読了

 

本興業創設者の女主人(吉本せい)をモデルにして書かれた小説で、山崎豊子さんが直木賞を受賞した作品である。山崎さんの長編はほとんど読んでいるがこの本はまだ未読だった。

阪の天満と言えば、今は飲み屋街だ。立ち飲み屋が軒を連ねる光景は訪れた者を圧倒させるものがある。この地に、吉三郎の元に嫁いできた多加は寄席経営を始める。粋な大阪弁がこの小説にはなくてはならないもので、商人の街「大阪」の空気を存分に感じられた。

女にはいろんな一生の賭け方がある。夫に賭ける女、子供に賭ける女、情夫に賭ける女、二夫に目見えぬ象徴(しるし)の白い喪服を着てしまった多加は、商いに賭けた。(124頁)

沢亭を買い取り、花菱亭と名付けて「花のれん」を掛け、多加の生涯をかけた商いの道は続く。資本を借りるための策、冷やし飴を売ること、玄関で預かる下足広告の工夫、地方からの安来節芸人の呼び寄せ、競争相手の元からの引き抜きなど、商売繁盛のためにとことんなまでに商才を発揮させる。

たちは、通常は舞台そのものに娯楽を見出しそれを演じる人物に注目するが、周りで支える人物たちを忘れてはならない。これはお笑いの世界だけではない。演劇も、歌手も、画家も、主役となって光を浴びる人だけでは成り立たない。多加のように陰から支え財を生み出す縁の下の力持ちが必ずいる。商才を思う存分に発揮させた男勝りな多加であるが、本当は誰よりも女っぽかったのだと思う。

ちろんフィクションではあるけれど、吉本興業がこれに近い経緯で生まれたとは読むまで知らなかった。大阪・新世界の通天閣を吉本が購入していたことも。漫才など2人以上のコンビでやるお笑いが今の吉本のイメージであるが、当時は1人で行う落語がメインだったことも新鮮だった。

はり山崎豊子さん、安定の上手さとおもしろさがある。この作品で1958年に直木賞を受賞しその後も数多くの名作を世に送り出すことになる。実在の人物や物事にスポットをあて、綿密な調査と取材をし、巧みな文章とストーリーテリングによって作品を編み出す力はすでにこの時からあった。既読の作品も含めて、山崎さんの作品を読み返したくなった。

 

『動物農場』ジョージ・オーウェル|滑稽なのに恐ろしや

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動物農場ジョージ・オーウェル 山形浩生/訳

ハヤカワepi文庫 2021.5.21読了

 

『一九八四年』と並ぶオーウェルさんのもう一つの代表作『動物農場』を読んだ。ブタの独裁政権の話であることは広く知られている。刊行されたのは1945年で古典の部類になるだろうが、今もなお色褪せない名作だと感じた。

ル中のジョーンズさんの農場にいる動物たちは、偉そうな人間たちに対し反乱を起こし人間を追い出す。他の動物よりも少し頭の良いブタがリーダーとなり、動物だけの農場が誕生する。人間のいない世界で、唄を歌い、仲良く秩序を保ち生活していたのだがー。

の作品はもともと「おとぎばなし」という副題がつけられていたようだ。つまり、実話ではなく風刺のように描かれた「ものがたり」であることを強調しているのである。何故なら、明らかにロシア(旧ソ連)の独裁政権を批判している内容だからだ。

物目線で子供にも馴染みやすく、文章も簡潔で読みやすいのだが、内容としては怖いものがある。滑稽なのに、描かれているその世界は末恐ろしい。この感じわかるだろうか。

初は一致団結していた動物たちだったが、徐々にブタが優位に立っていく過程が見事だ。そしてブタの中でもナポレオン(スターリン)がスノーボール(トロツキー)を抑えのし上がっていく。間違っていることでも声を出せない周りの動物たち。なんだかんだ面倒なことはせずに同調してしまう。このような構造は、どんな社会や組織にも当てはまる。  

治風刺小説としては、最近だと百田尚樹さんの『カエルの楽園』を思い起こす。政治批判が描かれた作品は数多くあるが、世界で最も有名なのが『動物農場』だろうし、ここから他の作品も追随したと思われる。

ーウェルさんは、報道の自由を訴えるための序文を考えていたようだ。文庫本の巻末にも序文案の邦訳が載っている。『動物農場』ではロシア革命とその後のスターリン社会主義政権への批判を込めたことと、出版に伴う言論・報道の自由について述べている。ウクライナ語訳の序文(これも巻末にある)には、彼自身の経歴や思想が詳しく述べられている。この2つの序文と、訳者による解説がとても優れており、より理解が深まった。

ーウェルさんの『一九八四年』はハヤカワ文庫、というイメージだったけれど、少し前に角川文庫から新訳が刊行された。おっ!と驚いた。訳による違いを読み比べをしようと早くも目論んでいる。『一九八四年』は、なんだか中毒性があるんだよなぁ。オーウェルさんはルポタージュや随筆も書かれているようで、そちらも是非読んでみたい。 

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『邪宗門』高橋和巳|ある宗教団体の盛衰興亡

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邪宗門』上下 高橋和巳

河出文庫 2021.5.19読了

 

藤優さんが世界に誇る日本文学と謳っている高橋和巳さんの『邪宗門』を読んだ。高橋さんの作品は先日『非の器』を初めて読み、なかなか好みの作風であると感じた。ただ、読み応えがある故にどっしり重く結構エネルギーを要する。今回も中身が濃いだろうと心して取りかかった。

葉潔という少年が神部駅に降り立ち、亡き母親の願いを叶えるべく、ある城跡に骨を埋めようとする。そこで餓死寸前となった潔を拾い面倒をみてくれたのが「ひのもと救霊会」という宗教団体であった。この宗教団体の盛衰興亡を背景に、大河小説のように描かれたのが本作品である。

イトルが『邪宗門』、人を惑わす、邪悪な、有害な宗教。であれば宗教の悪い面が表現されているのかと思っていたがそんなことはなかった。この世には宗教の自由があり、人が何を信じようとそれは個人の自由であり尊重されなくてはならない。ただ信じるものが異端である、少数派であるが故に、世間から一見疎んじられるだけなのだ。いつしか、自分も救霊会という組織に属しているかのように物語世界に没頭した。

生がベールに包まれ、鋭い眼をした魅力的な主人公の潔もさることながら、教主行徳仁二郎の娘である阿礼(あれ)と阿貴(あき)の姉妹、教団に仕える植田文麿と克麿の兄弟の存在が気になった。血の繋がりがありながらもそれぞれの相反する思想と生き方が非常に浮き立っていた。

は宗教というのは一つの例えであり、会社組織、地域、ひいては国のことではないかと思える。ただ宗教という団体の集まりなだけで、中身は私たちがそれぞれ属している世界と何ら変わらないのだ。人間模様も何もかもが。

下巻の2冊なのだが、それ以上にボリュームがあり、読み終えるのにとても時間がかかった。ひとつひとつの文章はそんなに難解ではないのに、頁にびっしりと埋まった文字の渦と著書の幅広く深い知識量に追いついていくのがやっとである。正直、生半可な気持ちでは挑戦出来ないのが高橋さんの作品だ。それでも、一生に一度は読破すべきだと思うしこの本を読むと宗教の捉え方が少し変わるだろう。

橋和巳さんは左翼、三島由紀夫さんは右翼で両極端の2人だけれど、どうにも2人の観念が交差し合いながらも近しい距離感にいるように思える。そして戦前戦中戦後という時代を生きた彼らには、現代作家にはない凄みがあり、作品からは生と死の重みを存分に感じることが出来るのだ。

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『郝景芳短篇集』郝景芳|現代中国人作家が気になってきた

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『郝景芳(ハオ・ジンファン)短篇集』郝景芳 及川茜/訳

白水社 2021.5.12読了

 

国系アメリカ人作家のケン・リュウさんが郝景芳さんの『北京 折りたたみの都市』を絶賛して英訳し、作品はヒューゴー賞を受賞した。ケン・リュウさんがこの作品を含め中国SFアンソロジーとして何人かの短編をまとめた本(早川書房より出版)を読むつもりだったのだが、先日『郝景芳さんの『1984年に生まれて』がとてもおもしろかったから、郝さんに特化しよう!と思いこちらの短篇集を読んだ。もちろん『北京 折りたたみ〜』も収録されている。

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7つの短編が収められているが、どれもなかなか読み応えがあった。中国SF作家と言われている郝さんであるが、SFに慣れていなくとも読みにくさは感じられない。現代社会が抱える闇のようなものをテーマにしており、考えさせられる作品が粒揃いだ。

でも『北京 折りたたみの都市』、これがやはり突出していた。北京という都市が3層の空間に分かれており、一定の時間になると都市自体が折り畳められてしまうという作品。よくある立体の絵本や飛び出すバースデーカードのようなものを想像してしまう。こんなストーリーを思いつくこと自体がセンスの塊だ。

ミ処理の仕事をする老刀(ラオダオ)が主人公で空間を行き来する。機械化によりいずれは労働力が不要になるかもしれない未来を予想してしまう。将来、どうなるんだ?と少しの不安を抱く。結局どんな世界に住みどんな地位にいても、人の幸福なんてものは変わらず、考え方さえ変えれば誰にでも享受されているんだと思う。この世界にいるから幸せ、というものはそもそもなく自分がどう生きるかなのだ。

者の解説によると、早川書房から刊行されているアンソロジーは、ケン・リュウさんの英訳を和訳したもので、今回私が読んだ訳とは異なるらしい。読み比べたいなぁ。そして、他の中国作家の作品も少し気になり始めてしまった。

して、郝さんはこの作品を長編小説として執筆しているようで、映画化の計画もあるという。この解説が書かれたのが2019年のようだから今はどうなっているのだろう。いずれにしても長編になったらよりおもしろいはず!いつか邦訳が出ることを期待しよう。

『地球星人』村田沙耶香|ぶっ飛んでる

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『地球星人』村田沙耶香

新潮文庫 2021.5.11読了

 

田沙耶香さんが芥川賞を受賞した『コンビニ人間』は、刊行当時大変話題になった。コンビニ人間なんて、時代を象徴しているなと思ったりしたけれど、これからは無人のお店も増えたりして、いつかは古くさく感じたりするのかとも思ったりもする。歴代の芥川賞受賞作の中では、物語性もありなかなかおもしろく読めた。

田さんの作品を読むのはそれ以来だ。この『地球星人』は、なんとも奇妙奇天烈でぶっ飛んだ話でびっくりした。途中まで読んで、ちょっと気持ち悪くなってしまう。その気持ち悪さは主人公奈月の幼少期までがピークで、大人になってからは幾分ましになったのだが。でもまた最後がちょっとグロテスクだ。

月は自分のことを魔法少女だと思い、従兄弟の由宇は宇宙船から捨てられた宇宙人ではないかという。そんな従兄弟同士の2人は年に一度、お盆の時にしか会わないのだが、いつしか共通のこの想いから婚約をする。そしてある事件が起こってしまう。

互いの家庭の複雑な事情から疎外感や孤独を感じ、自分の居場所はどこなのか、どうしたらうまく生きていけるのかを自分なりに考えた結果が、地球人を客観的にみることだったのだ。なんとまぁスケールの大きい、けれど散りばめられた断片は実際にありそうなストーリー。さすが「クレイジー沙耶香」と呼ばれているだけあるかも。

初の数頁を読み、タレント小倉優子さんの懐かしき「こりん星」がよぎった。また、三島由紀夫さんの『美しい星』を少し想像してみたりしたが、作品としては全然違った。そうそう、今4週に渡ってNHK の番組『100分de名著』で『金閣寺』が取り上げられているから(しかも解説は平野啓一郎さん!)、三島作品また読みたくなってきたなぁ。

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『タタール人の砂漠』ブッツァーティ|良い人生だったと思いたい

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タタール人の砂漠』ブッツァーティ 脇功/訳

岩波文庫 2021.5.10読了

 

代イタリア文学の鬼才で、カフカの再来と呼ばれているブッツァーティさん。神秘的、幻想的で、不条理を描いたら右に出る者がいないと言われている。元々気になってはいて、堀江敏幸さんの小説の中にも登場したことで余計に読みたい意欲が高まっていた。この『タタール人の砂漠』はブッツァーティさんの代表作である。

待以上に好ましい文体と漂う空気感があった。特段大きな事件は起こらないのに先が気になってしまうというこの感じ(作家にとってはこれ以上ない褒め言葉だと思う)を持てる数少ない作家の1人かもしれない。砂漠という乾いたタイトルなのに、何故だか私にはしっとりした作品に感じられた。

のしっとりした重みを感じたのは、おそらく一度バスティアーニ砦に腰を落ち着けたら二度と他の世界に出られなくなったジョバンニ・ドローゴの生き方から連想したのかもしれない。あぁ、まさしく世の中のほとんどの人の生き方がこれ。なんだか読んでいて虚しくなるような、儚い生き様に、虚無を感じた。これってもはや自分自身のことだと。

タタール人は作品の中で登場しない。登場しないというか、砦の北側の遥かなる砂漠からタタール人が攻撃を仕掛けてこないかを注視し続けるというのがドローゴたちの任務なのだ。そこに自らの存在の意味と希望を持ちながら。この砦という小さな世界で何十年も生きる彼らの生き方は、一体何を表しているのだろう。

れを読むと「慣れ」というものは良いものであると同時に恐ろしいものでもあると感じる。この小説は、社会人になったばかりの新入社員が読むべき、なんてよく言われているそうだが、会社に限らず、どんな組織や場所にも同じように言える。

じ場所に留まることが悪いというわけではない。自分が生きる希望や果てない挑戦を夢見て、何かに立ち向かうことが出来ればとみんな思っているのだが、それが叶わない(むしろ慣れてしまいそういった希望すら忘れてしまう)のが、哀しいかな人間の性なのかもしれない。

んな人生を歩もうとも、自らの人生に幕を閉じる時、「良い人生だった」と思えるかどうかが大切だ。せめてそう思えるように、限られた自分の人生をどう生きるかを考えないと。人間の生という普遍的なものをひっそりと問いただした名作だ。

『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介|ルポタージュ風の小説集

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『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介

講談社文庫 2021.5.8読了

 

内悠介さんのことはずっと気になっていた。鬼才大才と呼ばれている。本を読んでいて、この著者は天才だなと思ったのは、最近だと小川哲さんだ。『ゲームの王国』を読んだ時は、どうしたらこの物語世界を、この登場人物を生み出せるのかと小川さんの才能に脱帽した。 

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の本は表題作を含む6作の短編が収められている。ノンフィクションのルポタージュのような体をなすフィクションである。インタビューする人物はどれも共通なのだろうか。著者の宮内さんによれば「疑似科学シリーズ」と名付けているそう。科学では捉えきれない題材を通し、SFのようなミステリのようなちょっと変わった作風で、どれもなかなかおもしろく読めた。

るほど、確かに文体だけ目にしても才能を感じられる。ときおりハッとするような文章がある。切れ味鋭い文体と洞察力、「そう来るか」という展開。普通の作家からはあまり出てこないような単語がぞくぞくと出てくるのが、知識の幅を感じさせ、頭の良い方なんだろうと思わせる。

を起こす猿の生態を探った『百匹目の火神』と、終末医療として死を待つ「白樺荘」という施設の謎に迫った『薄ければ薄いほど』が個人的にはおもしろかった。 こうやって紹介していても、小説というよりドキュメンタリーのように聞こえるかもしれない。

ごく好みかと聞かれるとそういうわけでもないのだが、何故か気になり時おり読みたくなりそうな予感がする。単行本刊行時に妙に興味をそそられた『あとは野となれ大和撫子』は文庫化されたら読みたい。