書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『ラウィーニア』アーシュラ・K・ル=グウィン|古代ローマに生きる女性

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『ラウィーニア』アーシュラ・K・ル=グウィン 谷垣暁美/訳

河出文庫 2021.2.15読了

 

は私は『ゲド戦記』をちゃんと読んだことがない。アニメでも観ていない。ル=グウィンさんは『ゲド戦記』の作者であるが、他にも色々なSF・ファンタジー作品を残している。この『ラウィーニア』は著者最後の長編小説である。文庫のジャケットだけ見るとインドの小説なのかと勘違いする。

しぶりに壮大なファンタジーを堪能した。…と言いたいところなのだが、序盤、ラウィーニアと詩人が語り合う場面はファンタジーに感じていたのに、途中からは古代ローマの史実に基づいた歴史小説のように思えた。

そらく、古代ローマに実際にいた・あったであろう名前・地名が登場したからだろう。先月ジョン・ウィリアムズ著『アウグストゥス』を読んだからかもしれない。ファンタジーはたいてい著者が一から全てを作り出した名前が多いのに。

代ローマの詩人ウェルギリウスが残したとされる『アエネーアス』という叙事詩に登場するのがこの作品の主人公ラウィーニアだ。詩では脇役でほとんど存在感がないようだが、ル=グウィンさんがこの小説で生き返らせた。なんと77歳でこの作品を完成させたそう。

代ローマは領地を巡る争いが絶えない。そしてラティウム王の娘ラウィーニアは、誰が自分の婿になるのか気が気ではない。婿選びも、領地拡大に伴う政略結婚が世の常。それでも、詩人からの言霊を信じて両親に立ち向かう。女性目線で古代ローマを生き生きと力強く生きた彼女は尊かった。

ウィーニアは詩人から未来に何が起こるのかを聞かされる。それを誰にも話さず大事なものとし心の糧として生きていくのだが、やはり自分の運命を先に知るなんて絶対嫌だな。

説によると、詩人ウェルギリウスアウグストゥスの側近だったとか。当時の女性は脇役であり表に出る幕がなかったそう。まさにわきまえていた。だからか女性目線のこの作品がとても新鮮なのかもしれない。もちろんこれもル=グウィンさんの妄想だけど。たまには異世界に没頭できる作品も良いものだ。

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『終りなき夜に生れつく』アガサ・クリスティー|ジプシーが丘の秘密

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『終りなき夜に生れつく』アガサ・クリスティー 矢沢聖子/訳

ハヤカワ文庫 2021.2.13読了

 

リスティー作品のなかでポワロもミス・マープルも出てこないノン・シリーズだ。一番有名なのは『そして誰もいなくなった』だろう。この『終りなき夜に生れつく』は、「ジプシーが丘」という地に建つ館をめぐる、少しオカルトめいた幻想的なストーリーになっている。

プシーとは、日本ではあまり聞き慣れないが、ヨーロッパの放浪民族と言われている。独特の格好をした神秘的な流浪人で、盗みを働くなどあまり良い印象はない。私の中では、髪をなびかせて駆け巡る女性のイメージである。

人公はマイケル・ロジャーズという若者。表紙のデザインから女性が主人公かと思ったが、男性の語りで回想される。クリスティーさんの作品にしては、人の心理や感情がかなり細かく描かれている印象を受ける。そうか、これはフーダニットの探偵ものではなくて、ミステリー、それもホラー要素がある作品だ。

初から最後まで不吉で歪な空気が漂う。「ジプシーが丘」という土地の名前もそうだが、奇妙な噂もあり、恐怖が忍び寄る。それでもマイケルの語り口に、先が気になってのめり込んでしまう。クリスティーさんの筆致にまたもや脱帽する。

ステリーでありながらも恋愛物でもあり、いつものクリスティー作品とは一風異なるが、これもまた印象に残る作品である。登場人物がいつもより少ないため混乱しない。

が本当に欲しているものは何なのだろうか?全て手に入れたらどうなるのか?そんなことを考えながら読んだけど、深夜に読むと先が気になり睡眠時間がなくなるので注意。

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『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』東浩紀|失敗力をいかす

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『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』東浩紀

中公新書 2021.2.13読了

 

くの方がこの本を紹介され、かつ絶賛されているため、私も気になり読んでみた。「ゲンロン」という思想誌や「ゲンロンカフェ」という企画が存在することは知っていたが何をやっているのかあまり知らなかった。ただ、大好きな川上未映子さんが写真に映っているのを目にして興味はあった。また東浩紀さんのことも、名前をよく目にする人気がある人なんだなというくらいの認識しかなかった。

から、私が東さんの書いたものを読むのはこれが初めてだ。東さんが自ら創った「ゲンロン」という会社の10年間の軌跡がこの本にしたためられている。経営に携わる人にとって為になる本だと思うけれど、単純に読み物として、特に言論という文化的テーマに興味がある人にはおもしろく読めると思う。

ンロンはオンラインが主役だと思っていたけど、実はオフラインを大切にしていたと知って驚いた。時代の先端を行っていたというのは後からそう言われただけで、東さんが言うには嬉しい「誤配」だっただけ。未来のゲンロンも「誤配」が何かを生み出す、そうありたいと東さんは強く願っている。

社が最大の危機、資金繰りに苦しんだ2015年、Twitterで炎上しようがSNSでバズろうがどうでもよくなったそうだ。直面しているのは資金繰りであったから。「SNSの論争が生活に余裕がある人の遊びにみえた」と東さんは言う。本当にそうかもしれない。スマホを片手に打つ行為、本当に辛い状況ならそれすら出来ないんじゃいかと思う。だから、本来の叫び声は私たちは見落としてしまっているのではないだろうか。

ンロンカフェにとても興味を持った。動画で観るよりも、コロナが収束したら会場に足を運んでみたい。東さんは「ゲンロンでは才能あるクリエイターではなく、それを支える批判的視点をもった観客も一緒に育てたいと考えている」と言う。「知の観客をつくる」とはこういう意味だったのか。

敗だらけの会社設立10年間を惜しげもなく披露しているけれど、世の経営者って本当は同じように失敗ばかりしてるのではないか?それを表に出さないで、失敗してしまったらひっそりと影をひそめ、盛り返した人は失敗を認めないだけではないのだろうか。

から、こういった体験を出来たこと、こんなふうに大っぴらに出来る神経(変な言い方だけど)、それだけでもう別格なことで、東さんを信用できる気がする。東さんの発言力、行動力、失敗力をもってすれば未来のゲンロンもなんだかんだうまくいくのではないだろうか。

うやら東さんは過去に三島由紀夫賞を受賞したことがあるらしい。ということは小説。こういう思考回路の人が書いた小説、気になる。余談だが、東さんの奥様がライトノベル作家ほしおさなえさんだったことに驚いた。どうしてだか勝手に2人の共通点があまりないような気がしていた。食卓で知の会話が繰り広げられるのだろうか。いやいや、家ではたぶんごく普通の他愛もない会話だろう。

『水と礫』藤原無雨|文藝賞どうなのよ|巻き煙草とらくだ

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『水と礫(れき)』藤原無雨(むう)

河出書房新社 2021.2.12読了

 

注目を集める河出書房新社主催の文藝賞。この『水と礫』は去年の第57回受賞作で一番新しい作品である。文藝賞が何故注目されているのかというと、『推し、燃ゆ』で芥川賞を取った宇佐見りんさん、『破局』で芥川賞を取った遠野遥さんがそれぞれ過去の作品で文藝賞を受賞しているからなのだ。ということはまずは膨大な作品の中から発掘する河出書房の編集者、担当者が優秀なのだろう。見る(読む)目があるということか。

者の藤原無雨さんという方の作品はもちろん初めてで、文藝賞受賞ということで新人なのだろうけど、切れ味の良い文体、独創的なストーリーに数頁読んだだけで虜になる。なんだ、この話は?クザーノという名前の21歳の男性が主人公。名前もさることながら、砂漠へ旅をするという設定。それ以上にも目を見張るのは、構成の大胆さだ。度肝を抜かれた。

(※実際に読むとすぐわかりますし、色々な書評やレビュー、サイトに載っているので問題ないと思いますが、新鮮な気持ちで読みたい方は下記に構成をバラしているので読むのはお控えください)

めに1、2、3と続いた後、また1、2、3と続くループのような構造を取っている。小説でこんな書き方をしているのは珍しい。現在から過去に向かって進むパターンはよくあるけれど、これはなかなか新鮮な感覚だ。ぶっ飛んでるなぁ、と思った。

京で働いていたクザーノはある事故を起こしてしまい故郷に戻る。しばらくして、らくだと共に砂漠へと旅に出る。そこで出逢った人と結婚して子供が産まれる。大まかにはそんな話なんだけど、それが幾重にも重なり、重なるごとに物語は厚みを増し、広大な一族の年代記になる。

目を与えられて何人かがそれぞれ書いたらこんな風になるのだろうか?と最初は思っていたが、これはやはり藤原さんならではの文章であり物語だ。らくだと巻き煙草が常にある。旅をする自由な心意気が羨ましく思う。読み終えたら「人生」というものについて考えてしまう。

原さんは何冊も書いている上級者のように思える。構成に注目されがちだが、文章も読みやすく独特の文体も歯切れがよい、そしてこなれ感が出ている。この作品で芥川賞候補作に選ばれなかったのが不思議なくらい。

して読む側に好き嫌いがはっきり分かれそうで、難易度も少し高めかもしれない。小説を読み始めたばかりの人はもしかしたらとっつきにくいかも。でもとても味がある。私はわりあい好きな感じだ。

き煙草がひたすら登場するから、スティーヴン・ミルハウザーさん著『マーティン・ドレスラーの夢』を連想してしまった。作中に出てくる道具や主人公が愛すべき癖みたいなものって、その本の思い出にもなるんだよなぁ。 

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『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ|郷愁と別れ、記憶について

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『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ 土屋政雄/訳

ハヤカワepi文庫 2021.2.11読了

 

しぶりにカズオ・イシグロさんの本を読んだ。この本は2回めの読了だ。イシグロさんがノーベル文学賞を受賞するずっと前、綾瀬はるかさんが同名のテレビドラマを演じるずっと前だから、15年近く前だろうか、イシグロさんの本で初めて手に取ったのが、この『わたしを離さないで』だった。その当時はまだ良さがわからなかった気がする。

ールシャムで育ったキャシーは、介護人をもう11年務めている。介護人とは提供者を看る役割だ。そんなくだりから始まる本書は、少しミステリ的な要素もある。ヘールシャムとは何か、提供者とは何か。キャシーが過去を回想するという形で、自らの秘密を少しづつ明かすというストーリーだ。

ャシー、トミー、ルースという3人の男女の関係をその時々で見事に映し出しているが、キャシーが語るそれはどこか違和感が感じられる。本当に3人の仲が良いのか、いぶかしく思ってしまう。これでもかというほど丁寧なキャシーの語り口で綴られる思い出は、異世界の出来事なのに私たちの世界にもありそうな、不気味で怖い気持ちになる。

まかなストーリーは覚えていたのだが、再読してみて、イシグロさんが考える「郷愁」の想い、「別れ」というものの儚さ、「記憶」の誇張とすれ違いについて深い余韻を残した。イシグロさんの小説は、読み終えて終わりというものではなく、自分の中でどうにかこうにか消化していく時間が必要である。

が特に好きなイシグロ作品は『浮世の画家』『わたしたちが孤児だったころ』だ。イシグロさんの作品についてはストーリーがどうのというよりも、作品から立ち昇る雰囲気や読み心地が好きなので、読書時間そのものがかけがえのないものになる。たぶんイシグロさんの作品が好きな人なら同じように思っているはず。

月には、イシグロさんの新作『クララとお日さま』が世界同時発売のようだ。AI friend(人口の友達)がテーマになるという。今度はどんな異世界を見せてくれるのか。うんと楽しみだ。 

 

『1984年に生まれて』郝景芳|哲学的かつ文学的な自伝体小説

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1984年に生まれて』郝景芳(ハオ・ジンファン) 櫻庭ゆみ子/訳 ★★

中央公論新社 2021.2.9読了

 

し前にジョージ・オーウェル著『一九八四年』を読んだのは、本作を読むための事前準備行為としてだった。オマージュ作品とも言えるようだし、さすがに先に読んだ方がいいかと。しかしこれが『一九八四年』にどハマりしてしまったのだ。さすが、20世紀文学の大作!と叫んでしまった(心の中で)。その興奮もようやく落ち着いて冷静になったので、郝景芳さんの『1984年に生まれて』を読んだ。

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さんは中国の女性作家で、実際に1984年生まれの方だ。この本は「自伝体小説」と著者が謳っているように、ノンフィクションとフィクションを交えたようなストーリーになっている。0で始まる章がいくつかあり、それが全体の中で不思議な存在感をもたらす。私にはSF要素はあまり感じられず、ひたすら哲学的かつ文学的でかなり好みの作品だった。

国の近代歴史に触れながらも、産まれた1984年を軸として語られる話が興味深い。主人公軽雲は30歳になる今、望み通りの自由を手に入れようともがき続ける。自分の出生、両親や祖父母、友人らの人生などについてありとあらゆる事実と想像とふくらませ、読者にひたすら語りかける。

ーウェル氏の『一九八四年』を読んでいてもいなくても、小説として抜群に楽しめると思う。『一九八四年』でウィンストンがビッグ・ブラザーという独裁者率いる党に監視されていたように、「カレラハオマエヲミテイル」と誰かに監視されているように感じる軽雲。さて、それは一体…。

私の観察によると、行動力にとって最も肝要な部分は行動しながら考えること。アウトラインがすべて固まる前に第一歩を踏み出すことだ。(52頁)

れは主人公「私」が将来を決める時に考えている箇所だが、ここを読んで私も妙に納得した。全て決めて行動に入ろうとすると、デメリットやリスクが見つかり、それを恐れて行動できないのだ。これは歳を取るごとにそうなると思う。でも、もしかしたら反対されてもリスクがあっても進むのが本来の行動力なのかもしれない。親に猛反対されて駆け落ちするカップルの話さながら。

み終わるとこの小説の構成に感銘を受けた。しかしそれよりも私は、生きた中国を、その景色を、登場人物の心理を、著者が生きた言葉で表現していることにただただ興奮した。絶え間ない読書の醍醐味を味わえる。郝景芳さん、おそるべき作家だと思う。白水社から彼女の短編集が刊行されているようなので読みたい。『折り畳み北京』がすごく評判が良いので気になる。

国人作家の本は、ここ数年では劉慈欣さんの『三体』、陳浩基さんの『13・67』を読んだくらいだろうか。昔ノーベル文学賞を受賞した莫言さんの本を読んだがほとんど理解出来なかった記憶がある。女性が書いたものはかなり久々だ。前から気になっている残雪さんの作品、そろそろ読もうかなぁ。小説に限らないが、日本でも世界でも最近の女性の活躍は本当に目覚ましいものがある。

『雪沼とその周辺』堀江敏幸|品のある美しい文体を味わう

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『雪沼とその周辺』堀江敏幸 ★

新潮文庫 2021.2.6読了

 

代日本における偉大な作家の1人である堀江敏幸さん。芥川賞を始め数多の文学賞を受賞し、早稲田大学の教授も務めている。現在では文学賞の選考委員もされている堀江さんは名前をよく目にするのだが、実はまだ彼の本は読んだことがなかった。

沼という架空の町を舞台とした連作短編集のような形を取っており、はじめの『スタンス・ドット』を読み始めてすぐさま心にすとんと落ちる。美しい日本語と心地良い文体。短い作品なのだが読み終えた瞬間、私にもささやかな戦慄が走った。閉館するボウリング場の年老いた店主と同じように。

庫本の見開きを読むと、この僅か30頁にも満たない『スタンス・ドット』という作品で川端康成文学賞を受賞していた。老店主の過去と現在、難聴の彼が感じる音の連なり、若いカップルと自分たち夫婦などが見事にシンクロしている。そして行間から漂う深み。いやもう、現代日本文学の優れた作品を久しぶりに読んだ気がする。

の短編も素晴らしいのだが、個人的には『送り火』が気に入った。絹代と母親との穏やかな生活が書かれているのかと思っていたが、2回りも離れた歳上の夫と絹代との心あたたまる話だった。風態の上がらない夫に惹かれていく絹代と、老年になっても優しい夫の姿にしみじみと癒される。

沼という田舎町に住む人たちの日常と過去を映し出し、人間らしくそして謙虚に生きる登場人物たちに共感し応援したくなる。どの作品も終わり方が絶妙で、あっと驚く様な不吉なような、僅かばかりの恐怖を感じる作品もある。

江さんの書くものは、一言で表すと品があり美しい。ストーリーそのものにスリルや緊迫するような展開はないけれど、ほのかなあかりを灯し、切なく心に滲み入る作品たちだ。最近読んだ『オリーヴ・キタリッジの生活』に雰囲気が似ている。やっぱりこういう波長のものは好きだなぁ。

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『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング|子供だけの世界で何が起きるか

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『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング 黒原敏行/訳

ハヤカワepi文庫 2021.2.5読了

 

ーベル文学賞受賞作家、ウィリアム・ゴールディング氏の代表作だ。ハエはカタカナが一般的であるが、この小説では「蠅」である。「蝿」ではなく「蠅」なのが、視覚的に怖く感じる。調べてみると、正式な漢字が「蠅」のようだ。ハエは汚いものや臭いを発するものに群がり、近くで飛ぶとうるさく、良いイメージはない。

の本のタイトルでもある「蠅の王」とは、聖書に登場する悪魔であるベルゼブブを指しており、作品中では蠅が群がる豚の生首を「蠅の王」と形容している(Wikipediaより)。有名な作品だけれど、実は読んだ人は多くない気がする。少なくとも私の周りで話題になったことは一度もない。

供だけの島、大人がいない子供だけの世界。そこで繰り広げられる生活と崩壊。もう少し明るい冒険譚のようなものだと思っていたのだが、震える話だった。子供だけの世界にも、邪悪な人間の心や獲物を捕らえる快感のようなものが沸き起こってくることがなんともおぞましい。〈大人がいない島〉という設定なだけで、もしかしたら現実の学校や子供だけの集団でも、子供たちには同じような心理が働いているのではないだろうか。

ヤカワepi文庫に収められているこの作品、おそらく元は児童文学だと思う。主人公が子供たちであることから、同レーベルのアゴタ・クリストフ著『悪童日記』が思い浮かぶ。子供だけに末恐ろしい。辛酸をなめた大人のなかで狂気の人物がいるのはわかりやすいが、本当は子供だって際どい世界で生きている。

『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』シェーン・バウアー|民間刑務所の驚くべき実態

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アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』シェーン・バウアー 満園真木/訳

東京創元社 2021.2.4読了

 

メリカの人口は世界の5%であるのに、囚人数はなんと世界の25%を占めている。序章で語られたこの数字を見て驚く。確かに銃社会であり毎月のように起こる暴動やテロ、銃発砲による事件。最近では、トランプ前大統領支持者が連邦議会議事堂に乗り込み、死者まで出した銃撃事件が思い浮かぶ。

もそもジャーナリストである著者のシェーン・バウアーさんが、その身元を隠して(決して虚偽するわけではなく明かさないだけだが)刑務所で働くという行為ができるのだろうか?信じがたいが、民間企業が運営している刑務所ならあり得るのだろう。そしていざ研修が始まり、他の人たちもアルバイトのような感覚で働きに来ていることに驚く。

ウアーさんがウィン矯正センターという民間刑務所で刑務官として体験したことと、刑務所の囚人労働の歴史のようなものが交互に語られているのだが、圧倒的に体験による章の方がおもしろい。やはりノンフィクション、ルポタージュといえ、実際に著者が見たり聞いたり体験したものは、いくら綿密に調べた何事にも変えがたい、生きている文章となり読者に響くのだ。

れが現実にある刑務所の実態なのか?と驚くことばかりだ。一般囚が過ごす雑居房が44人部屋で、この部屋が8室ある棟に刑務官がたったの2人。学校ですらあり得ないのに、それ以上に罪を犯した危険とも思える人を見るのにこの人数で耐え得るのか?受刑者同士の喧嘩や自殺などのトラブルも頻発する。アメリカの公的な刑務所と比べたわけではないから何とも言えないが、読んでいて驚きっぱなしだった。

ウアーさんは、4ヶ月で刑務官を辞めた。つまり潜入捜査を終えたのだ。本当はどのくらいやるつもりだったのかはわからないけれど、刑務所で働くことに限界がきていたのだという。精神的に病んできたからだ。      

らの体験を記事にした後、アメリカ政府は連邦刑務所の契約を取りやめると発表した。州刑務所は含まれないが、それでも13の刑務所が民営でなくなったらしい。影響力はかなりあったのだ。しかしこれはオバマ政権時のことで、トランプ政権では元に戻ったらしい…。なんと…。

務所ビジネスってどういうことだろう?と疑問に思ったのと、帯に書かれた「オバマ元大統領お気に入りの本」という文句に惹かれる。去年買ってしばらく寝かせていたのだけど、こういうノンフィクション的な本は何年も経ったら時代遅れになり、読む気が失せてしまうから早めに読んだほうがいい。

てなブログで購読しているスカリー捜査官さん(id:AgentScully)のブログに、オバマ元大統領の去年のおすすめ本が紹介されていた。邦訳された本はなるべく読みたい。そしてもちろん、もうすぐ日本でも刊行されるオバマさん本人の自伝も楽しみだ。

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『コンジュジ』木崎みつ子|丁寧に育て紡がれた文章

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『コンジュジ』木崎みつ子

集英社 2021.2.1読了

 

44回すばる文学賞受賞作で、先日発表された芥川賞の候補作にも選ばれた本作品。候補になっている時から、私は受賞作『推し、燃ゆ』よりもこの『コンジュジ』のほうが気になっていた。

親が家を出て、父親も自殺未遂を2回し、複雑な家庭環境で育ったせれなは、あるときテレビでリアンという外国人歌手を知り彼の虜になる。しかしリアンは既に故人である。誰かのファンになる心理やその世界、『推し〜』の話と似ているのかな?と感じた。それでも読み進めていくと、趣きはだいぶ違った。

ンジュジとは「助け合って生きていく人」のことらしい。誰と誰のことだろう?と考えながら読む。リアルな世界をうまく生きられないせれなは、リアンとの妄想の世界にも生きる。その境界線の曖昧さが見事だ。この小説の中ではおよそ20年くらいの時が経っていて、気付くとせれなも大人になり過去のトラウマに決着をつける。

未映子さんも「ラストの美しさ」を挙げているように、確かに圧巻である。ラスト数頁を3回くらい読み直してしまった。ここに向けて物語がひとつにまとまっていったんだなと思うと、それまで自分なりに少しずつ耐えたせれなが愛しく思えてくる。

崎さんは文章をとても丁寧に紡いでいる印象を受ける。大事に大事にゆっくりと育てているかのよう。どうやら木崎さんは校正の仕事をされているようで、なるほどと思った。私は受賞作よりもこの『コンジュジ』のほうが好きだけれど、もしかしたら読む人を選ぶかもしれない。好むのは圧倒的に女性が多いだろう。

んでだろうと考えたら、木崎さんは女性らしい女性をとことん書ききる方で、宇佐見さんは男性らしい女性を書く人なのだ。だからだろうか、一見似たような世界を描いていても受ける印象がだいぶ違うのは。ともあれ、木崎さんの次の作品が待ち遠しくなる。

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