『みどりいせき』大田ステファニー歓人
集英社 2024.02.09読了
タイトルも著者の名前も個性的だからひときわ目立つ。第42回すばる文学賞受賞作であることよりも彼の名前を知らしめたのは、その受賞スピーチであろう。「なんかおもしろそうな人が出てきたよ」と知人に教えてもらい、誰かがUPした音声だけのYouTubeを聞いた。出だしの「うぇいー」という挨拶、最近結婚したことともうすぐ父親になるという寿話、そして圧巻の詩の朗読。
何かの記事で、歓人さんは川上未映子さんと町田康さんの文体に影響を受けたと書いてあった。「小説って何でもありなんだな」と感激したそうだ。確かに2人が書く文章に近いものがある。若さと今風のエモさがマシマシな感じだ。
不登校になり怠惰な生活を送っていた高校生百瀬(あだ名はモモぴ)は、小学生のときに少年少女野球でバッテリーを組んでいた春(はる)に偶然出会う。いつの間にか薬物売買に手を染めてしまい、抜けだしたくても抜けられなくなる。というよりも、むしろ仲間という繋がりで居心地の良さを感じていく。
時折りハッとするような光る文章がある。出だしの数ページも素晴らしいのだが、春の漕ぐ自転車の後ろに乗って、風を切って走るときの描写なんてとても良い。雲を見ながら、全部がつながっている気分になる感覚。こういう光る文章もあれば、逆に何を言ってるか意味がわからない文章も存在するから、結構読みにくさはある。
見慣れない漢字や言葉の意味がわからなくてつまずくのではなく、若者言葉や省略された言葉の意味、そして単語の区切りがわからなくてつまづいてしまう読書体験。おそらく辞書に載っていないような言葉が至る所にあって、今を生きる若者の言葉遣いと熱量に打ちのめされる。確かに「小説は自由でいいんだ」というのはそのままの意味、つまり「小説は正しいと言われる国語、文法で書かなくてもいいんだ」ということだった。そもそもタイトルの『みどりいせき』は、「緑(色の)遺跡」ではなかった!
そうなると、校正する方も若者なんだろうか、とか考えてしまう。下手に丁寧に直したりしたら作家の意図や本来の文章を崩してしまうよな。そもそも、今後は校正の仕事があんまり必要とされなくなるんじゃないかなんて思ったりもしてしまう。
言葉だけではなく、誰が何を言ってるのか、誰のことなのか、いつのことなのか、ごちゃごちゃになってしまうけど、それはドラッグのせいでもあって、そして不思議といつの間にかこの文体に圧倒され快感を覚える自分がいた。男女がいるのに恋愛要素が一切ないのもまた良かった。
最近のすばる文学賞は、文体の美学というか、文章そのものにより重きを置いているように思う。そういう意味では河出書房新社主催の文藝賞もそのきらいがある。どちらの賞も気鋭の新人に大きく門戸が開いているようで、新たな才能を見られる作品が多く、読者としては嬉しい限りだ。