書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『さびしさについて』植本一子 滝口悠生|いろんな感情を大切にしたい|滝口さんの思想がたまらんく好き、んで、植本さんのことも好きになった

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『さびしさについて』植本一子 滝口悠生 ★

筑摩書房ちくま文庫] 2024.02.23読了

 

んでいるあいだ、ずっと胸がいっぱいで、喜びと苦しさとが一緒くたになったような気持ちになった。儚いけれど心地の良い往復書簡だ。

 

口悠生さんの本だ!と嬉しくなって買った本だが、共著の植本一子さんの名前は知らなかった。植本さんは写真家である。それなのに、なんて淀みのない素直であたたかい文章を書く人なんだろうと思った。文筆業でもやっているんじゃないかなって思っていたら、やはりエッセイストでもあるようで既に何作か刊行されている。

 

口さんがフィクションを書く理由というか小説観をこんなふうに記していた。これがとてもしっくりきたのだ。

「小説でなくては書かれえなかった場面を書けたらいいな」

「劇的なシーンや事件に限らず、一見なんでもないような時間がそのひとにとってはどうしてか忘れがたいものになる、みたいな瞬間で、そういう名前のつけにくい経験に、小説という散文の形は行き着くことができて、現実に生きているひとが経験する同じような場面を忘れたり気づきそびれてしまわぬよう支えることができるのではないかと思っている」(34頁)

 

えば滝口さんの小説は何を読んでも心地よくて、私の読書生活(もはや人生の)の大事な要素になっている。小説でも滝口さんの思想や文体に溺れてひたすら「うんうん」と共感しまくりだが、特にこれは書簡という形で自身の出来事や思いを綴り、また植本さんという具体的な方に話しかけているものだから、より一層滝口さんの思考が溢れている。

 

口さんは言わずもがなだが、植本さんの文章もとても読みやすく何よりあったかい。魂が込められている。表題の「さびしさ」がより強いのは植本さんで、それをやんわりと受け止めているようなのが滝口さんかな。植本さんの文章を読むと、心配症だし自分を卑下しすぎなんじゃないかとかそんな気配がある。どこか寄り添ってあげたくなるような感じに思えるのは、彼女が旦那さんを癌で亡くした経験があるからかも。

 

びしさというのは男性よりも女性のほうがより感じやすいのかもしれない。かつてある男性に「さびしいという感情がよくわからない」と言われたことがある。人による「さびしさ」の感じ方の違いだったり、どういう状態が「さびしい」のか線引きが難しいからどうしても主観的なものになる。今この時に感じたさびしいという気持ちは辛くて悲しいものだけれど、それが時間を経てなくなっていくことにも植本さんは寂しいと書いていた。植本さんは「さびしい」という感情をとても大切にしている。喜怒哀楽という四文字の中にあるわかりやすい感情だけでなく、人が感じる感情全てを愛おしく思うこと、それが大切なんだと考えるとなんだか楽になれる気がした。

 

本さんは「ひとりじゃないとわからないことがある」「ひとりでいることの寂しさが反転して、喜びみたいなものに変わったように感じた」と書いている。それに重ねるようにして滝口さんは「本はひとりで読むもの」だし、「文章を書くこと」もひとりでないと出来ないとしている。

 

々、子供について書き留めておいたいということから、それぞれの子供を目にしながら、子育てについてのあれやこれやが思いのままに綴られる箇所が多い。2人の子供たちがいつかこの本を読んだときに、かけがえのない財産になるだろうと思う。

 

供を育てるという経験は、おそらく人が生きていくなかで重要な出来事なのだろうが、私はそれを選ばなかった。後悔しているわけではないし自分で決めた人生だけれど、なんとなくこういう本を読むと少しだけ「さびしさ」みたいなものが生まれる気がするのだ。でも、そういう感情になることもある意味ひとつの得難き感情であるのだ。

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『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス|自分が自分になるために

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『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス 鈴木美朋/訳 ★

文藝春秋 2024.02.21読了

 

章になっていて句点もついているし「なんだかタイトルがださいな〜」と思っていたけれど、全世界で600万部も売れているというこの小説。よくX(旧Twitter)で読む本の参考にさせていただいている方のレビューを見ると絶賛していたので読んでみた。

 

リザベス・ドットと一緒に、笑って泣いて怒って、本当に物語のおもしろさがギュッとつまった小説だった。読み終えると勇気を貰える、そんな(意外と)稀少な本。アメリカのテレビドラマみたいに(そんなに観たことがあるわけではないが)エリザベスをはじめ、登場人物らの大袈裟な動きというか生き生きした様子が伝わってくるようだ。

 

は1950年代のアメリカ。エリザベスはある科学研究所の女性研究者。この時代、今以上に女性が自由に発言できず何かと不都合を強いられていた。仕事でも女性は蔑まれる。そんな時にエリザベスは天才化学者キャルヴィン・エヴァンズと出会う。初めて、一人の人間として接してくれたのだ。2人は恋の化学反応を起こす。

 

分のルーツを知るために、エリザベスの娘マデリンが図書館で牧師と話をする場面がある。自分が自分になるという意味を考えさせられる。

「親戚にすごい人がいるからといって、力があったり賢かったりするわけじゃない。きみがきみになるのは親戚のおかげではないよ」

「じゃあ、どうやってわたしはわたしになるの?」

「何を選ぶか。どんなふうに生きていくかで決まる」(337頁)

 

ートの漕手である産婦人科医のメイソン博士と、先に挙げた牧師ウェイクリーがとても魅力的だ。もちろん、一人娘マッド・ゾット、ハリエットやウォルター・パインも。それに女性を目の敵にする悪役たちも良い味を出している。こういう一見脇役の人って実はとても重要で、物語を物語たらしめているのは彼らのおかげ。

 

ちゃくちゃ読みやすくて、テンポも良くて痛快で存分に楽しめる娯楽化学エンタメという感じ。ストーリー、キャラクターが際立つ。それでもただ娯楽なわけではなくて学ぶことは多くある。仕事をするということ、子どもを育てること、社会で人とどう関わっていくかということ。

そして、自分をどうやって変えていくのか。

 

ょっと長めではあるが前向きになれる良作だ。特に女性が、いや女性がというのはエリザベスに怒られてしまう。どんな人たちにすすめたくなる作品だ。

『新版 思考の整理学』外山滋比古|寝かせる、忘れる、考える

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『新版 思考の整理学』外山滋比古

筑摩書房ちくま文庫] 2024.02.18読了

 

大生、京大生に一番読まれた、とかなんとかの帯を外して、安野光雅さんの素敵なイラストのジャケット姿をパシャリ。ちくま文庫で長らくベストセラーとなっていた『思考の整理学』に、2009年の「東大特別講義」を巻末に収録した新版である。やはり長く読み継がれている本というのは、それなりの理由がある。それが小説であれ、評論であれ、何であれ。

 

とつめの章「グライダー」を読んだだけで、目から鱗が落ちたという感じ。まさに「もっと若いうちに読んでおけばよかった」というキャッチコピーそのまんま。できれば論文を書く学生の時に読むのがベストなんだろうけれど、何歳になって読んでも遅すぎるということはないし、読まずに終わるよりはずっと良い。

 

大生云々という帯やうたい文句があると、何やら難しそうだなと感じてしまう。私もその1人で、だから手を出していなかったのだ。でもそれがなんのその、めちゃくちゃに読みやすかった。やはり、井上ひさしさん曰く、「難しいことをいかに易しく伝えられるか」の代表と言っていいと思う。

 

てが逐一細かく書かれている小説よりも、結局何が言いたかったのだろうと判断を読者に委ねられているような小説の方が気になるし意外と心に残る。これは自分に「考える」隙間があるから。それは学校教育の在り方と少し似ているのかもしれないと思った。なんでもかんでも丁寧に一から教えまくる、詰めまくる、これじゃあせっかくの脳がどんづまりになってしまう。自分で考えさせるくらいの隙間がないと、まさにグライダー人間まっしぐらなんよな。

 

山さんがこの作品で伝えたいポイントは下記の3点だと感じた。

1.何かを思い付いたら、しばらく寝かせてあたためる必要がある

2.思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である

3.知ること、つまり知識を得ることよりも、考えることが大事である

 

こんなブログでさえ、伝えたいのに上手く表現できないから下書きのまましばらく置いておいて、翌朝とか(まさに外山さんの言う朝飯前)に、ふっと言葉が湧いてくるのが「寝かせる」のわかりやすい例えといえるだろう。「忘れる」ことをしないと無駄な知識で頭の中がパンクしてしまう、自然と忘れてもよいものを取捨選択できるようになりたいと思った。例えば読書では、やみくもに本を読むよりも、読んでから自分の言葉で考える時間が大切だと改めて思った。そういう意味では、読書ブログを続ける価値も少しはあるんだなぁとちょっぴり自信にもなった。

『哀れなるものたち』アラスター・グレイ|生きることは哀れさを競うようなもの

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『哀れなるものたち』アラスター・グレイ 高橋和久/訳

早川書房[ハヤカワepi文庫] 2024.02.17読了

 

画でエマ・ストーン演じるベラと、圧倒される衣装やセットが話題になっている『哀れなるものたち』の原作を読んだ。旅の道連れとして選んだ本だったのだが、いつも通り旅中ではほとんど読めず、読了するのに随分と時間がかかってしまった。

 

ラ・バクスターとは一体何者なのか

一度命を絶ったベラは、天才医師バクスターの手により蘇る。身体は大人の女性なのに脳は胎児という歪な姿に蘇ったベラは、庇護された元を飛び出し駆け落ちをする。世界を旅した彼女は何を見て何を知り何を感じたのか。無垢で自由奔放で、性への活力に満ちた彼女を見ていると、まっすぐひたむきに生きることの大切さを教えられる。

 

中作や手紙による語りの手法は結構あるが、この作品の構成は度肝を抜く。編者アラスター・グレイ(小説の作者と同名)が、個人出版物や手紙などの資料をまとめあげた歴史書という体をなしている。とはいえ、一筋縄ではいかず、二重三重の重層的な構成が読者を翻弄させる。

 

ともと脚注はすっ飛ばして読み進めることが多いのだが、途中まで読んで「失敗した!」と思った。そもそもグレイが作者でなく編者というのが味噌で、この脚注も含めてすべてが物語なんだよな。

 

語に登場する多くの人物が「哀れな」と修飾される。ベラが見た周りの人はみな哀れで可哀想なのだ。逆にベラのことを哀れに思う人もいる。つまり世界に存在する人間は全て哀れなものなのだ。生きるということはある意味哀れさを競うようなものかもしれない。それがまたこの世の常なのだ。

 

ノクロの医学イラストや肖像画が、奇怪さ・おどろおどろしさを一層際立たせている。なんとこれ、全て著者アラスター・グレイによって描かれているというのが驚きだ。まるでエドワード・ケアリーみたい。ストーリーテラーとしての才能だけでなく、画家としての才能も際立つ。

 

みがわかれるとは思うが、私は結構好きな作品だった。訳者高橋和久さんのあとがきもアラスター・グレイの筆致を思わせる文体のようで、最後まで興味津々に読めたのだ。

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画化に際しまるっとかけられた全面カバーがこちら。最初に写真をUPした元のジャケット(イラストはもちろん著者グレイさんにより描かれたもの)のほうが好きだけれど、エマ・ストーンの豪華で奇抜な出で立ちが目を惹くので一応貼っておく。それにしても、この小説をどうやって映像化したのか気になって仕方がない。

『東京都同情塔』九段理江|時代の先端を突き進む

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『東京都同情塔』九段理江

新潮社 2024.02.11読了

 

んて端切れの良いスカッとするラストなんだろう。たいてい芥川賞受賞作を読み終えたときは「ふぅん」「そうかぁ」「上手い文章で良いものを読んだとはわかるけど、イマイチ何を伝えたかったのかわからない」みたいな感想になることが多い。しかしこの作品はわかりやすかった。時代の先端を突き進んでいて、鋭さと新しさが物語に共存する。

 

称「東京都同情塔」を建築することになる38歳の牧名沙羅(まきなさら)、美しい容姿から牧名に声をかけられた高級ブティック店員22歳の拓人、そしてジャーナリストのマックス・クライン、3人が入れ替わり語り手となる。マックス・クライン、マックス・クライン…?なんか聞いたことあるなと思っていたら、、『スクイズ・プレー』の主人公なのさ。これは九段さん、わざとですよね?

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イプ犯や殺人犯が幸せに暮らす目的で作られることになった「シンパシータワートウキョウ」は、人々は皆平等であるべきという考えから生まれている。罪を犯した犯罪者に同情するわけではく、生まれや育ちなどのバックグラウンドをまずは理解しようという意味。幸福のベースになる特権を持っているかどうかというのが根底にあるという考え方だ。性的マイノリティを差別しないのと同じで、あらゆる差別をなくしていこうということなのだろうか。

 

作中に出てくる幸福学者の祝辞に耳を傾けてみる。

「言葉は、他者と自分を幸福にするためにのみ、使用しなければなりません。(中略)かつて私たちは、言葉を十全に使いこなし、言葉を平和や相互理解のために、大いに役立ててきたのです。しかし今となっては、言葉は私たちの世界をばらばらにする一方です。勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなりました。」(115頁)

昨今のSNSによる誹謗中傷。しかしこの作品はそのことに警笛を鳴らしているだけではない。言語、言葉の持つ力、そして思考と行動について、言葉や思想が狂気になり得ることを説く。そのくせこれらの手段はとても重要で、なくすことはあり得ないとも伝えている。言語こそが人間たらしめている所以であるかのように。

 

月発表された第170回芥川賞受賞作である。2年前に同賞の候補作として選ばれた『schoolgirl』を読んだ時にも才能の片鱗を感じたが、あれからわずか2年なのに格段にレベルが高くなっている印象を受けた。

 

川賞に作品のおもしろさを求めてはいないし、そういう作品が選ばれることはないとわかっていたが、個人的にはなかなか興味深く読めたし好きな作品である。九段さんが次にどんなものを書くのか楽しみだ。

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『みどりいせき』大田ステファニー歓人|小説って自由なんだな

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『みどりいせき』大田ステファニー歓人

集英社 2024.02.09読了

 

イトルも著者の名前も個性的だからひときわ目立つ。第42回すばる文学賞受賞作であることよりも彼の名前を知らしめたのは、その受賞スピーチであろう。「なんかおもしろそうな人が出てきたよ」と知人に教えてもらい、誰かがUPした音声だけのYouTubeを聞いた。出だしの「うぇいー」という挨拶、最近結婚したことともうすぐ父親になるという寿話、そして圧巻の詩の朗読。

 

かの記事で、歓人さんは川上未映子さんと町田康さんの文体に影響を受けたと書いてあった。「小説って何でもありなんだな」と感激したそうだ。確かに2人が書く文章に近いものがある。若さと今風のエモさがマシマシな感じだ。

 

登校になり怠惰な生活を送っていた高校生百瀬(あだ名はモモぴ)は、小学生のときに少年少女野球でバッテリーを組んでいた春(はる)に偶然出会う。いつの間にか薬物売買に手を染めてしまい、抜けだしたくても抜けられなくなる。というよりも、むしろ仲間という繋がりで居心地の良さを感じていく。

 

折りハッとするような光る文章がある。出だしの数ページも素晴らしいのだが、春の漕ぐ自転車の後ろに乗って、風を切って走るときの描写なんてとても良い。雲を見ながら、全部がつながっている気分になる感覚。こういう光る文章もあれば、逆に何を言ってるか意味がわからない文章も存在するから、結構読みにくさはある。

 

慣れない漢字や言葉の意味がわからなくてつまずくのではなく、若者言葉や省略された言葉の意味、そして単語の区切りがわからなくてつまづいてしまう読書体験。おそらく辞書に載っていないような言葉が至る所にあって、今を生きる若者の言葉遣いと熱量に打ちのめされる。確かに「小説は自由でいいんだ」というのはそのままの意味、つまり「小説は正しいと言われる国語、文法で書かなくてもいいんだ」ということだった。そもそもタイトルの『みどりいせき』は、「緑(色の)遺跡」ではなかった!

 

うなると、校正する方も若者なんだろうか、とか考えてしまう。下手に丁寧に直したりしたら作家の意図や本来の文章を崩してしまうよな。そもそも、今後は校正の仕事があんまり必要とされなくなるんじゃないかなんて思ったりもしてしまう。

 

葉だけではなく、誰が何を言ってるのか、誰のことなのか、いつのことなのか、ごちゃごちゃになってしまうけど、それはドラッグのせいでもあって、そして不思議といつの間にかこの文体に圧倒され快感を覚える自分がいた。男女がいるのに恋愛要素が一切ないのもまた良かった。

 

近のすばる文学賞は、文体の美学というか、文章そのものにより重きを置いているように思う。そういう意味では河出書房新社主催の文藝賞もそのきらいがある。どちらの賞も気鋭の新人に大きく門戸が開いているようで、新たな才能を見られる作品が多く、読者としては嬉しい限りだ。

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『変な家』雨穴|間取りを見るのは生活を見ること|今売れている本を読むこと

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『変な家』雨穴(うけつ)

飛鳥新社 2024.02.07読了

 

年から、どんな書店に行っても目立つところに積み上げられているから、確かに気にはなっていた。けれど、自分が読みたいジャンルの本じゃないと思っていた。それでも、文庫になったからついつい…。朝この本を鞄に入れ、行きの通勤電車、珈琲を飲みながらの朝読書、そしてランチをしながらの読書、それでもう読み終えてしまった(いつも2冊持ち歩いても結局読めないから1冊しか持たなかったが…今回ばかりは後悔気味)。

 

可解な間取りをめぐり推理をしていくミステリータッチの小説である。私は曲がりなりにも一応不動産系の会社に勤務しているので、かなりの頻度で家の図面を見る。だから表紙の間取りを見てすぐに違和感アリアリ。そもそも家の間取りって見ているだけで楽しいよなぁ。

 

れは文学ではなくドキュメンタリーに近い。インタビュー形式の頁も多く映像化に向いている。次々と仄めかされる疑惑と推理から目が離せなくなり、あっという間に読み終えてしまう人がほとんどだろう。正直、明かされる真実よりも、間取り図を見てあれやこれやの推測・議論している過程がおもしろい。あとは、この圧倒的な読みやすさが広く読まれている所以だろう。

 

んせ去年一番売れた小説らしい。最初は、事故物件サイト・大島てるさんが書いたのか(大島さんが覆面作家なのでは?)と思っていたがどうやら違う。雨穴さんは、覆面作家でウェブライター、そしてYouTuber。文学の世界なのに、動画を作る専門家のYouTuberに負けちゃうなんて!でもYouTuberなら、時代の最先端を行くから、何が売れるのかも把握している。この覆面作家というのが、作品の奇妙さと相まって読者の興味をより引き立てているような気もする。

 

分が何を読もうとも一切自由だ。本当は自分が好きな(好きそうな)作品だけを好きな時に読むのが楽しい。だけど、今この時代にどんな本が多く読まれているのかを知ることって結構大事だと思う。自分の趣味嗜好のためとか満足度を高めるという意味ではなく、今を生きるという上で。

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今春、映画にもなるようで全面カバーに包まれた姿がこちら。特典としてこの栞もついていた。背が高そうな人だな、雨穴さん。

『イギリス人の患者』マイケル・オンダーチェ|読み終えてから押し寄せる余韻

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『イギリス人の患者』マイケル・オンダーチェ 土屋政雄/訳

東京創元社[創元文芸文庫] 2024.02.06読了

 

イトルだけ見ても気付かないかもしれないが、これはあの有名な映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作である。私は実は映画を観ていない(あんなに名作と言われているのに何故観ていないんだろう…)。単純な恋愛映画だと思っていたのが、原作を読むと一筋縄ではいかない多重的な作品であった。

 

二次世界大戦が終わる頃、イタリアのある廃墟にハナという若い看護師と、全身に火傷を負った名もない謎の男性患者がいた。そこに、かつてハナの父親と親しかった元泥棒のカラバッジョと、爆弾処理班の工兵シンが加わる。謎の男こそが、このタイトルになっている「イギリス人の患者」なのだ。

 

争を経験してきた4人は、過去をたゆたうように語り合う。視点や時空がどんどん切り替わり、ストーリーがわかりづらい部分もあるが、幾重にも重なる重層的な連なりが神秘さを増し、美しく魅惑的な世界が広がるかのよう。

 

れ、どうやって映画にしたんだろうと不思議に思った。映画での恋愛は、ハナと患者、またはハナとシンの関係かと思っていたら、実際の映画脚本は原作とかなり違っていて、イギリス人患者とキャサリンの物語であるという。おそらく、映画と原作は別物として捉えた方がよさそうだ。

 

の廃墟にいる人たちは、戦果を通り抜けてきたのに人間らしさがあり、それが親しみを感じさせる。カラバッジョは、泥棒をしている最中でも人間的な事柄に強く惹かれる。ペットから歓迎されるほど。シンはかつて実験班に応募して合格した時、サフォーク卿とモーデンに快く迎え入れられてイギリス人を好きになっていった。

 

国で最も権威のある文学賞ブッカー賞である。そのブッカー賞が生まれて50年記念となる2018年に、ブッカー賞の頂点を決める催しがあったそうで、それにこの『イギリス人の患者』が選ばれたとのこと。キングオブブッカー賞なんて、それだけでもう快挙喝采。日本人では選ばないであろう、言ってみればノーベル文学賞の選考に挙がりそうな作品かな。

 

者のマイケル・オンダーチェスリランカ生まれでカナダ国籍を持つ。一文が短く、詩的で美しい文体は、アンナ・カヴァンヴァージニア・ウルフを思わせる。一読しただけではわかりにくさはあるものの、まるでカズオ・イシグロの作品のように、深い余韻と味わいをもたらす。私自身も読んでいる最中よりも読み終えてしばらくしてからのほうが、残響を味わえた。

『シャーロック・ホームズの凱旋』森見登美彦|ワトソンなくしてホームズなし

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シャーロック・ホームズの凱旋』森見登美彦

中央公論新社 2024.02.03読了

 

もそも、ホームズとワトソンが何故京都にいるんだ?そして、ホームズがまさかのスランプだと?寺町通二条通四条大宮に嵐山、南禅寺下鴨神社、、京都の名だたる名所を駆け巡る…。これは一体何なのだ!?日本の、それも歴史ある街並みにイギリス人らしき人がいる違和感。でもそんな気持ちもいつの間にか気にならなくなって森見ワールドにずぶりと引き込まれていく。

 

リアーティ、ハドソン夫人、メアリーなど、お馴染みの登場人物たちがわんさか登場する。ホームズものを全て読んだわけではないけれど、登場人物の名前には見覚えがあって、懐かしさを感じつつ、ズッコケおとぼけホームズには親しみがわく。

 

の作品は5つの章にわかれており、本家のホームズの短編集さながら、それぞれ事件のタイトルのように名付けられているのだが、一つづつ事件を解決するような短編にはなっていない。そもそも、推理小説にみせかけているけど違っていて、そしてこれは全体を通した長編小説である。

 

分に何かスランプが起きた時、または何かに自信をなくした時、はたまた何もかもうまくいかず投げ出したくなったとき。そんなときはこのグータラホームズを見習うがよい。なんだかちょっと元気が出てくる。ホームズだってこんな風になるんだと。そして何度も出てくる「ワトソンなくしてホームズなし」、どんなに成功した人物であろうとも、その人だけの力ではなり得ない。相棒であれ、家族であれ、仲間であれ、必ず支えとなる人がいる。名脇役こそ主役同然だ。

 

ャーロック・ホームズのパスティーシュといえば、昨年読んだ『辮髪のシャーロック・ホームズ』もおもしろかった。いや、そもそもこの森見さんの作品はパスティーシュといえども推理ものではないと断言できる。まさに森見ワールド。

 

森見登美彦さんの作品を過去に2冊ほど読んだときに、自分にはあんまり合わなかったので敬遠しがちになっていた。でも、先日万城目学さんのX(旧Twitter)でこの『シャーロック・ホームズの凱旋』を買ったという記事を見つけて、「おぉ!万城目さんが買うなら」と勇み足に。万城目さんでも本を買うことにも驚いたけれど。なんとなくあれだけの作家さんなら出版社から貰えたりするものなのかなと(本当は貰ってるかもなぁ)。

 

の作品の舞台が京都というのも万城目さんを夢中にさせたのかも。歴史上の実在の人物の名前が出てきたら、もしかしたら万城目さんの作品にもちょっと似ているかなぁなんて。ファンタジックだし。まぁでも、読んで良かった。なんだか京都に行きたくなってきたし、本家本元のホームズものも読みたくなってきた。

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『星月夜』李琴峰|漢字は読みたいように読んでもいいかも

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『星月夜(ほしつきよる)』李琴峰(り・ことみ)

集英社集英社文庫] 2024.01.30読了

 

本語って本当に難しいと思う。最初に出てくる日本語の文法問題では、私たち日本人なら当たり前にわかることでも、多言語を使っている人からしたら相当難しいだろうなとつくづく感じる。言語って勉強しようと思って身につくというより慣れるしかないものだと思う。まさに「習うより慣れよ」だ。

 

を歩いていて、電車に乗って、飲食店でご飯を食べて。隣にいる人が日本人ではないことなんて、今はざらにある。30年くらい前には、外国人がいるだけで振り向いてしまったのに。中国人、台湾人、韓国人、ベトナム人。昔はアジア人だとほぼ中国人だったのに、結構な確率でベトナム人が多いような気がする。

 

湾出身の日本語教師と、新疆ウイグル地区から留学してきた女性同士の恋愛と言語にまつわる話。最初は語り手が誰なのかわからなかったが、交互に視点が入れ替わっていると気付く。その境目が星と三日月マークで区切られているのだ。2人の名前が星と月にちなんでいるから。

 

イトルの『星月夜』は、本来なら「ほしづきよ」と読むのが正しいのだろうけれど、あえての「ほしつきよる」としている。その理由は作品を読むとわかる。それはそうと、間違えた漢字の読み方をする人に対して今までは「そんなことも知らないの?」とどこかで嘲笑う自分がいたけれど、特に日本語を母国語としていない人については、読みたいように読んでもいいのでは?と少し考えを改めた。ある意味漢字の良いところでもあるから。

 

琴美さんの小説を読むと、自分が日本人であること、日本語という言語のことを深く考えさせられる。日本人以上に美しく繊細に書かれた文章からは、一日一日を丁寧に生きることの大切さを教えられるようだ。ただ、李さんの小説はほとんどが同じテーマのものなので、違うテーマを取り扱った作品を読んでみたいかな。

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