書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『リトル・シスター』レイモンド・チャンドラー|マーロウ、余裕がないぞ|突然の山本文緒さんの訃報

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『リトル・シスター』レイモンド・チャンドラー 村上春樹/訳

ハヤカワ文庫 2021.10.18読了

 

誌『BRUTUS』とても売れているみたい。それもそのはず、村上春樹さんの特集が組まれているから。やっぱり彼の人気は改めてものすごい。村上主義者(本人はハルキストよりこっちのほうがいいらしい)まではいかないけれど、私も彼が作る物語世界に惹かれるし何より文体が好きだ。

近村上さんの本を読んでいないなと、ふと思ったが特に新刊も出ないし、、では翻訳家村上春樹のものを読もうかと、チャンドラーさんのこの作品を読んだ。訳者といえども訳し方や言葉の選び方によって、その人なりの癖みたいなものが確実にあって、村上さんが訳したものは村上さんの味が出る。

て、この『リトル・シスター』は、チャンドラーさんの「探偵フィリップ・マーロウ」シリーズ全7作のうち5作目の作品になる。私が読むマーロウものとしては3作め。もうマーロウのカッコ良さはわかっているから言うまでもない。この作品には美女がたくさん出てくるのだが、そのたびにいつも以上にマーロウのセリフがキザに思えた。

ーロウの事務所に、オーファメイという女性が、兄オリンの行方を探して欲しいと依頼をしに来る。このオーファメイの登場の仕方とツンツンしたキャラが、あぁ、マーロウものだなと思わせる。嫌々ながら(と見せかけて)仕方なく調査を始めていくマーロウだが、アイスピックで首元を狙った殺害現場に遭遇し、あれよあれよと自身も巻き込まれてしまう。

画を観ているかのように鮮やかに、スピーディーにストーリーが展開する。登場人物が多く、場面の移り変わりも多いから結構やっかいだ。整理して読まないとついていけなくなる。なんだか今までに読んだ2作と比べると生き急いでいるかのような、息つく暇がないような印象だ。「マーロウ、なんだか余裕がないぞ!」

まにハードボイルドを読みたくなるのだが、今読むにはちょい疲れ気味だったかもしれない。探偵もの、ハードボイルド、ミステリなどが好きな方はひたすら読んでるのだと思うが、よく続けて疲れないなと感心する。映画も1日に何作も観られる人ってすごいと思う。でも映画マニアの人からしたら本読みのこともそう思ってるのかもしれない。

んなことよりも、昨夕、突然山本文緒さんの訃報が飛び込んできて驚いた。大好きな作家の1人だったから、戸惑いと悲しみでそれこそ心にぽっかり穴が空いた感じだ。初めて山本さんの作品で読んだのが忘れもしない『群青の夜の羽毛布』だ。すごい小説家がいるなとそこからかなりのペースで作品を読み、『恋愛中毒』で完全に打ちのめされた。

愛のことしか頭にない若い女性にとっては、絶対にのめり込むはず。恋愛の楽しさ、苦しさ、怖さ、惨めさ、神々しさ、そして永遠に続くループを知ることになる。先日『自転しながら公転する』が中央公論文芸賞を受賞したばかりなのに。まだまだ新たな作品を読みたかった。でも、素敵な作品たちをありがとうございます。ご冥福をお祈りします。

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『さよなら、ニルヴァーナ』窪美澄|人間の中身を見たい

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『さよなら、ニルヴァーナ窪美澄

文春文庫 2021.10.16読了

 

撃を受けた事件といえば、私の中ではオウム真理教による地下鉄サリン事件、4人の幼児・幼女を誘拐し殺人した宮崎勤事件、そして、神戸児童連続殺傷事件である。子供を殺し首を小学校の門に置いた自称酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)。衝撃だったのは、加害者がまだ14歳という中学生だったこと。子供なのにあのような残忍なことができるなんてと、同じくまだ子供だった私も恐怖に慄いた。

年法に守られ、加害者の名前や住所だけでなく処遇についても明らかにされないことから、少年法の意義や問題点がたびたび論点になった。私が大学で法学部を選び、「犯罪心理学」をテーマにしたゼミに入ったこともこの事件による影響が大きかったかもしれない。でも、今となっては文学部に行けばよかったかなと思う。

美澄さんのこの小説は、酒鬼薔薇少年の事件から着想を得て書かれている。もちろん事実とは全く異なるフィクションだ。加害者少年A晴信(はるのぶ)、被害者の母親なっちゃん、晴信を信者のように追いかける莢(さや)、そして小説家志望の今日子。それぞれの視点で語られ、交錯しながら徐々に混ざり合っていく。

4人がそれぞれ抱える重たい過去に、心をぎゅっと抉られるようで辛くなる。特に加害者少年晴信の手記による章は読んでいて苦しい。が、引き込まれてしまう。決して本当の少年ではなく窪さんの想像で書かれたものなのに重ね合わせてしまう。小説家ってやはりとんでもない人たちだなと思う。すさまじい想像力と創造力。

直、莢と今日子には共感できない部分が多い。読んでいて嫌な気持ちにもなる。それでも読者は犯罪に関わる心理、人とは異なる心情に興味を持つからこういったテーマの作品に夢中になるのだ。いつもながらに窪さんの作品はおもしろい。ただ、語り手4人の人物像の主張度が強いから、作品の中で分散され過ぎている印象を受ける。一つの小説にしてしまうのはもったいないと感じるのだ。テーマを分けて二つの作品に出来そうな。

信は「人間の中身を見たい」からあのような事件を犯した。決して、決して許されることではない。ただ、誰しもが、物理的にではなくとも人間の中身(心理)を知りたい。小説を読む理由のひとつもそんな欲求が大きいからではないだろうか。

のジャケットを見ただけでは、作品の重さを想像することはできない。窪さんの作品は結構こんな感じのジャケが多くて、中身とのギャップがある。ニルヴァーナは「涅槃(ねはん)」もしくはロックバンドの名前のイメージが浮かぶが、実際にこの言葉がそれぞれ一度づつ作中に出てくる。

在書店に並ぶ窪さんの新作は、真っ赤なジャケに斧が描かれた『朔が満ちる』という小説である。家庭内暴力をテーマにした作品のようで、こちらも気になっている。

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『狭き門』ジッド|宗教的信念を貫くアリサ

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『狭き門』アンドレ・ジッド 中条省平・中条志穂/訳

光文社古典新訳文庫 2021.10.14読了

 

聖書・マタイによる福音書七章抜粋

狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出す者すくなし。

この小説の『狭き門』というタイトルは、聖書の中のこの一節からきている。大きく門戸が開いた路には入りやすいが滅びの運命がある。救いがある狭い路に入るのは困難であるという意である。

 

んな恋愛小説はまぁ読んだことがない。ジェロームは従姉妹である2歳年上のアリサと相思相愛になる。周りからみても、そしてお互い愛し合っているのにもかかわらず、アリサの独特の美徳のせいで前進しないのだ。歯がゆい。じりじりする。

通、他に好きな人が出来てしまったり第三者が現れたり何かあるのがお決まりだ。それなのにこの作品で語られるアリサは、キリスト教における神への信仰心のために自らを犠牲にするのだ。まるでどんどん茨の道に進んでいくかのように。

構じれったい。でもすんなりハッピーエンドも物足りない。それでも、波瀾万丈な恋模様でもない「純愛」をこうして読ませるジッドの筆致は、さすがにノーベル文学賞を受賞しているだけある。風景描写も美しく、中盤からの手紙の構成も見事である。

はまず物語の冒頭に驚いた。「僕以外の人ならこれで一冊、本を書けたに違いない」こんな文章から始まるのである。「え、今からそのあなたが書いた本を読むのだから書けてるでしょ!」と突っ込みたくなった。

分が望めば簡単にジェロームとの愛が手に入るというのに、こんなにも宗教的信念がある女性がいるのか。信仰心をあまり持たない日本人にはわかりづらいのかもしれない。むしろアリサの妹であるジュリエットが現実的だ。奔放で決断力がある現代風の女性。それでもジュリエットが幸せといえたかどうかは…。

愛がもたらす悲恋小説という解釈が多いが、本当に悲恋だったかは読む人により異なるだろう。ジッドはどう考えていたのか。訳者の中条さんの解説を読むと、ジッドの実体験に基づいて書かれた作品であるようだ。ジェロームとアリサがたどる運命とは異なるけれど。

『長い一日』滝口悠生|断片的な知識やエピソードが息づいている

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『長い一日』滝口悠生 ★

講談社 2021.10.12読了

 

れは私小説になるのだろうか。日記のようなエッセイのような。語り手が個人事業主青山七恵さんや柴崎友香さんが登場、極め付けは滝口さんと呼ばれている箇所を読んだこと。いや、これはもう滝口悠生さん本人が主人公の話なんだ。8年間住んでいた家から新しい住まいに移る話を軸として日常のことが書かれている。滝口さんの周りにいる人(窓目くんなど)も含めて、知り合いになったかのような気分になった。

山七恵さんが紹介したという、画家の不染鉄(ふせんてつ)さんの回顧展が出てくる。さっそくググってみるとなんとも味わいのある画を描く人だ。また、しわ犬と呼んでいたシャーペイという犬種のこと、夫婦が愛すべきスーパーオオゼキのこと、その他諸々、知らなくてもいい色々な細かな知識やエピソードが息づいている。きっと何年かたって「何の本に出てきたんだっけ?」と思い出しそうな、ストーリーよりも断片的な部分が印象に残るような作品である。

イトルにある『長い一日』だが、決して一日の出来事を1冊にまとめたわけではない。約350頁が全て1日の動きだとしたらこれも驚きだがそういう小説もたまにある。確か、ジェイムス・ジョイスの有名な作品はそうだったんじゃなかったろうか。

なにかについて話そうとすると、それ以外のことがたくさんついてきて、話がどんどん長くなってしまう。(201頁)

口さんの思いや考えを書き出したらとてつもない量になる。実は人はみなこんな風に多くの思いを抱えているが、1日のうちに口で発するものはほんのひと握り、思いのなかの100分の1にも満たないんじゃないかなぁと思ったり。

んな長い語りなのに私には飽きることもなく、やはり滝口さんの文体と書かれている内容は私にとって腑に落ちるのだ。やっぱり好きだなぁ。読んでいるだけで心地よく密度の濃い読書時間になる。あぁ、幸せなひととき。

常のあれやこれやがだらだらと続くだけで、人によっては冗長でつまらなく感じる人もいるかもしれない。私はどうしてこれがおもしろく感じるのだろう。滝口さんが日々の生活や関わる人たちに愛おしさを持ち、それを大切な言葉にする術を持っていることが理由だろうが、そもそもの空気感が合っているのだ。

気のせいかもしれないけれど、それは自分の気なのだから無視しようがないじゃないか。(52頁)

んなセンスの良い文章を書ける人はなかなかいない。「気のせい」だからと気にしないようにする、が普通ではないだろうか。

愛着を語ることの本質的な愛おしさは、その愛着を失ってからしか語り合えない本質的な愚かさかもしれない、と夫は言った。(207頁)

えてもよく意味がわからない妻は、夫のことをこんがらがっているのではないか、小説の書きすぎなのではないかと思っている。作中に出てくる妻はもちろん実際の滝口さんの奥さんなのだろうけれど、とてもお似合いだ。作品の中で愛がどうのとか好きだとか語られるわけではないのに、2人が相手をとても大切にしているのがわかる。 

にもブログに書いたかもしれないが、堀江敏幸さんの書くものが好きな人は絶対に好きだと思う。そうそう、これを読んでいて、岸政彦さん編集の『東京の生活史』をやっぱり買おうと思った。他人の日常は自分には全く関係ないけれど、普段の生活の中にこそ人生の豊かさや幸せが隠れているから。

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『狼王ロボ シートン動物記』シートン|動物たちも感情豊かに生き抜くのだ

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『狼王ロボ シートン動物記』シートン 藤原英司/訳

集英社文庫 2021.10.10読了

 

供の頃に夢中になって読んだ『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』。全巻揃えたのか図書館で借りて読んだのかは覚えていないけれど、動物や昆虫など生き物について学ぶのにとても役に立ったことは確かだし、何よりも本を読む楽しさを教わった。多くの話を読んだはずなのに、狼王ロボと熊の話しか記憶にない。それだけ印象深かったのだがストーリーが曖昧である。急に、無性に読みたくなってしまった。

 

『狼王ロボ』

アメリカ・ニューメキシコ州のコランポーに1頭の灰色狼がいた。牛や羊をくい散らかし、人間の罠も見事にかわす、頭の良い巨大な狼王ロボ。あんなにも憎かったはずなのにその最後はどうにも切なくなる。狼といえども最愛の者を失ったら弱くなってしまうなんて人間と同じではないか。

ロボがブランカを探して泣き続ける声とは一体どのようなものだろう。これを読み終えて、ロボのラストに泣かない子供はいないのではないだろうか?

 

『灰色クマの伝記』

ロボの話ともう一つ記憶にある熊の話がおそらくこの物語だと思う。読む前は全く覚えていなかったが読み進めるにつれて既読感がおしよせる。幼い頃に母親熊と兄弟を銃により失ったワーブが、強くたくましく生き抜いた一生を描いたものだ。

大きくなったワーブが白い毛をなびかせていたことから、「白い熊」を表すワーブという名前で呼ばれるようになる。ワーブは決して勇敢でも知恵が働くわけでもなかったが、「孤独」が力強く生きる力を養った。人間はまたしても銃を放ち動物を殺そうとする。動物からすると、人間がいかに忌み嫌われ、残忍な仕打ちをしているとわかる。

ワーブという名前のクマということから関連ひて『クマの子ウーフ』という絵本を思い出した。結構好きで何度も読んでいた記憶がある。あれはどんな話だったのだろう?

 

介した2作以外に『カンガルーネズミ』『サンドヒルの雄ジカ』が収録されている。そもそも児童向けの作品であるので、大人向けの本はないだろうと思っていたが、集英社からこの文庫がシリーズ3巻で刊行されていた。

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絵は画家でもあったシートン自らが描いたものだ。この挿絵は妙にリアルな感じで子供の頃は少し怖い気持ちがしたものだ(児童向けの本にも同じような絵があったからたぶん同じシートンの絵だったはず)。

説を読むと、シートンは「自然の中で生きる動物たちを、人が楽しむために閉じ込めてはいけない」と考えていることがわかる。私たちが楽しむ動物園、これは動物を苦しめているのだと改めて複雑な気持ちになる。

だ観察し物語にするだけではない。シートンの動物への愛が強く感じられた。どの作品も物語として完成度が高く、じわじわと感動が押し寄せる。

『medium 霊媒探偵城塚翡翠』相沢沙呼|話題作は気になりますね

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『medium 霊媒探偵城塚翡翠相沢沙呼

講談社文庫 2021.10.9読了

 

行本が刊行された2年前、かなり話題になっていたのも知っていたが、私は読まないだろうと思っていた。美少女チックな表紙のイラスト、城塚翡翠(じょうづかひすい)なんていうキラキラネームのような名前の主人公、私には合わないだろうなと感じていたのだ。

れるにはそれなりの理由があるのだろうし、また「読まず嫌い」は良くないと感じ、文庫化されたタイミングで「えい!」と買った。霊媒探偵自体が胡散臭く「犯人が見えました」なんていう結論も本格ミステリじゃないよな〜と思いつつも、霊的な存在自体は嫌いじゃないし京極堂シリーズも鬼太郎も大好きだ。

媒師の城塚翡翠と、ミステリ作家の香月史郎(こうげつしろう)が2人で難事件を解決していくというストーリー。翡翠には特有の「匂い」を感じることができ、「あの人が犯人だ」とわかってしまう。しかし証拠がないと犯人逮捕はできない。証拠から探すのではなく、犯人が先にあってそこから証拠や理由を探っていく。

行本刊行時に「全てが伏線」というキャッチコピーがありそれが話題になっていた。そんなうたい文句があるから慎重に心して読んでいたが、最終章では驚いてしまった。確かに違和感みたいなものがつきまとっていたから「あぁ、そういうことか」という納得感。二重の推理になっているのが斬新であり伏線回収はお見事だ。私が予想していた一部の推理が外れてしまったのはずっこけたけど。

沢沙呼さんの流れるような文章が、ページを捲る手をより早めさせる。読む人を選ばず、誰もが読みきれる作品だ。ライトノベル作家でもあるからラノベよりのミステリーだろうか。そもそもラノベの線引きがわからない…。

中学生の時に好んで読んでいたコバルト文庫の日向章一郎先生の小説群を思い出した。個人的にちょっと物足りなさはある(どうにも翡翠のキャラが苦手で。ファンの方ごめんなさい)けれど、たぶん若い読者や読書の楽しさをまだ感じられていない人にはもってこいの作品だと思う。そうそう、相沢さんは女性だとずっと思っていたから男性であることにも驚いた。

『ソラリス』スタニスワフ・レム|3つの問題意識を読み解けるか

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ソラリススタニスワフ・レム 沼野充義/訳

ハヤカワ文庫 2021.10.6読了

 

年はポーランドの作家スタニスワフ・レムの生誕100年になるという。先月、国書刊行会から『インヴィンシブル 』が新訳で単行本として刊行され、かなり売れているというから、日本でも人気があるということが頷ける。

ソラリスの謎は深まるばかり。ソラリスを観察するステーションに降り立ったケルヴィンは、異様な雰囲気に戸惑う。先陣として到着していた学者たちの様子もどこかおかしい。一体何が起きているのかー。

球以外の惑星への接触(コンタクト)をめぐるSF小説であるが、今までに読んだことがない類の作品であった。SFといえば科学や物理的な視点で繰り広げられるが、この作品から立ち昇る壮大さはもはや哲学書のような形相を帯びている。ある部分ではソラリス学の思想家たちの伝記のようで、またある部分ではラブストーリーのような印象を受けた。

「私たち人間の目に見えるのは、目の前で、いまここで起こっていることだけだ。目に見えるものは実は全体のプロセスのほんのひとかけらである」と文中で述べられている。確かに我々は、人間そして地球を大前提にして物事を判断し想像してしまうが、宇宙はもはや誰にも想像だに出来ないものなのではないか。人間の知性や人類の理性を覆えすような、価値観・世界観を変える作品であった。

は、私にとっては一読しただけでは到底理解に及ばなかった。なかなか困難な作品なのである。訳者による解説を読み、SFに詳しい心理学者丹野義彦氏の見解がすんなりきた。この小説での問題意識は「起源の問い(世界や自然はなぜかくあらねばならないのか)」「存在への問い(人間とは何か)」「認識への問い(科学)」の3点にあるという。なるほど、この問いを念頭におくと小説世界にも入りやすいかもしれない。レム自身の解説が巻末に収録されており、彼の信念と矜持のようなものがうかがえた。

誕100年を記念して、文庫本のカバーも限定となっている。写真だとわかりにくいが、3Dハガキのように角度によって光が反射してとても綺麗な具合だ。すぐれた装丁はもちろん手に取るきっかけになる。長い読書人生で必ず一度は手に取るべき作品なので、この機会に読むことができて良かった。

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『ミシンの見る夢』ビアンカ・ピッツォルノ|手に職をつけること

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『ミシンの見る夢』ビアンカ・ピッツォルノ 中山エツコ/訳

河出書房新社 2021.10.4読了

 

に職をつけること。いくら時代が変わって、工場生産やAIでほとんどのものがまかなえるとしても、最後は人の手による細かな技術と知恵が必要である。これだけは未来永劫変わらないと思う。この作品は「お針子」、つまり「縫製」という技術を身につけた、イタリアのある女性の生涯を描いたストーリーである。

全にこの装丁に目を奪われてしまった。こんなにも手に取りたい意欲をくすぐる表紙は滅多にない。特に女性にとっては。小説自体もイタリアの国民的作家のベストセラーとあり、読んでみたらとてもおもしろく、物語を読む醍醐味が感じられた。まだ女性の地位が蔑まれていた時代に、力強く生きる女性たちの姿が光っている。

行のコレラ(感染病を目にすると嫌になる!)のせいで祖母と2人だけになった主人公「私」は、自分の力で生きていくために祖母から縫製の技術を習い自分のものとする。リネン類の簡単なものからドレスまで。

人公自身の体験というよりも、お針子として富裕層の方と付き合い、その家に住み込みで働くうちに驚く秘密を知ることになったり色々な揉め事に巻き込まれたりと。もちろん恋のエピソードも。  

初の章から登場するエステル嬢は「私」の1番の理解者であり親友のようになる。自己主張をして強く生きるエステルは、当時(19世紀末頃)としては目立っていたはずだ。現代ではこういう女性は珍しくともなんともないが、先陣をきって女性の生き方を切り開いた彼女のような人は称賛に値するだろう。

者のビアンカ・ピッツォルノさんはイタリアの国民的作家として知られており、特に児童文学で名を馳せている。この『ミシンの見る夢』は大人向けの小説ではあるが、海外翻訳作品にありがちな難解さは全くなく非常に読みやすい。

れは、元来が児童向けの小説を書いているが故にストーリーがしっかりしていて、また読者の想像に委ねる部分が少なく比較的しっかりと物事の細かな説明がされているからだ。なんというか、心残りが全くなく、完全なる物語世界を堪能できる作品なのだ。

んな分野でもいいから「手に職をもつこと」、これを身につけておけば良かったと今更ながらに思う。それもかなり専門的に。他の人にはできない自分だけの強みがあれば、何歳になっても仕事は途切れないだろうし困ることはない。もちろん自分なりの誇りと努力、そして良好な人間関係も同じくらい大切だ。

『旅する練習』乗代雄介|好きなものと一緒に生きる

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『旅する練習』乗代雄介

講談社 2021.10.1読了

 

学受験を終えた亜美と、小説家の叔父さん(作品の中で語り手のわたし)は、コロナ禍の中ではあるが旅に出る。それも、千葉から利根川沿いを歩き、埼玉の鹿島アントラーズの本拠地スタジアムに向かうというもの。   

でこそオリンピックなどの国際大会では女子サッカーソフトボールという種目は違和感なくある。元々男子しかやらないスポーツだったのに、いつの間にか女子にも広がり、誰でも楽しめる。私が小中学生の頃なんて、ソフトボールは(若干だけど)あっても、女子サッカー部なんてなかったもんなぁ。そう、亜美はサッカーをやっているのだ。

の目的はカシマスタジアムに行くことと、その近くにある合宿所で以前亜美が勝手に拝借してしまった本を返しに行くこと。旅には条件があり、亜美はリフティングをしてサッカーを上手くなること、叔父さんは風景を文章にしたためること。生きるための、好きなもののために練習をするのだ。

わゆるロードノベル。その時々に出会う景色、人との出会いが自己を成長させる。涼やかな空気をまとった作品だった。実はびっくりするところがあるのだけれど、それがこの小説を忘れがたくしているのかもしれない。強烈な喪失感みたいなものが。

回読んだ『最高の任務』にくらべると、かなり文章が平易になっており、誰にでも読みやすく仕上がっているように思う(個人的には『最高の任務』に入っている中編『生き方の問題』のほうが好み)。おそらく小学6年性である亜美の口調が、よりそう思わせるのだ。今どきの小学生の喋り方、語尾を伸ばす思わせぶりなトーン。今にも本の中から会話が聞こえてきそうなほどリアルだ。亜美ちゃんの名前の読み方が普通の読み方でないのが良いなぁ。

供と叔父さんという関係性がまた良い。両親でも兄弟でもなく、また先生でもない程よい関係性。吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』で博識な叔父さんに色々と教わったように、亜美もこの絶妙な距離感の親戚から生きるために大切なものを教わる。

の2年間で「新型コロナウィルス」を扱った作品は数多く出ている。コロナを扱ったエッセイや評論のようなものは読んだことがあったが、小説では初めて。そろそろウィルスは消滅するだろうか。数十年後にこういう小説を読んで「コロナ」「緊急事態宣言」なんて文字を見てどう思うのだろう。

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『アサイラム・ピース』アンナ・カヴァン|書くことで救われたように、読むことで救われるだろう

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アサイラム・ピース』アンナ・カヴァン 山田和子/訳

ちくま文庫 2021.9.30読了

 

度読んだらその文体の虜になると言われているアンナ・カヴァンさん。代表作『氷』よりもまず先に、本名からアンナ・カヴァン名義に変えて最初の作品である本作を読んだ。

つの作品が10頁にも満たない短編がずらりと並ぶ。掌篇やエッセイとも呼べるようでもあり、分類に困る類の作品だ。同じ人物が何度も登場するから連作短編集のようにも思える。最初の『 母斑(あざ)』という作品から引き込まれた。

体全体、この鋭くもあり弱くもある微妙な感性はどこから来るのだろう?明らかに精神に異常をきたした彼女の思想は、事実なのか虚構なのか想像の産物なのか。常に何者かに追われているようで心休まる気持ちがせず不穏な影がつきまとう。それなのに何故か読み進めてしまう。

度にメンタル・ヘルスに問題を抱えた著者は、「ヘロイン」と「小説を書くこと」を生きる糧としていた。精神的に病んでしまうのは、心が素直で繊細な方が多い。だからこそ美しい表現が生まれるのだと思う。

む側の心理状態によっても、彼女の作品の受け止め方は変化しそうだ。たぶん、生活に疲れ果て、何かにすがりたい気持ちになったときに読む方がなお一層響いてくるような気がする。もしそんな状態になっても、本を読む行為だけはやめないようにしたい。