書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『ひとりの双子』ブリット・ベネット|生まれた自分で懸命に生きること|素晴らしい作品

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『ひとりの双子』ブリット・ベネット 友廣純/訳 ★★★

早川書房 2022.4.17読了

 

み始めてすぐに、これは自分の好きなタイプの作品だと感じた。まずストーリーが抜群におもしろい。そして何より登場人物たちの息づかいが真に迫り感情に訴えかけてくる。どのキャラクターもその懸命な生き方に心をえぐられるのだ。特にアーリーとリースの優しさと強さには震える。じっくりゆっくり大事に読んだのだが、最後は読み終えるのが惜しくなってしまった。

ラードという小さな街から双子の姉妹が消えた。父親を亡くした記憶と貧困から、そして自分を変えたいと故郷を捨てたのだ。しかし姉のデジレーは子供を連れて町に戻ってくる。一方で妹のステラは身分を偽り裕福に暮らしていた。2人は本当に離れ離れになってしまったのかー。

メリカには未だ人種問題が根強いことを改めて感じ、それによりもたらされる心の傷は一生癒えないのだと思った。見た目の肌の色ではなく、黒人の血が一滴でも混ざっていたら黒人となる。もちろん人種に優劣はない。それが何故こんなにも差別になってしまうのか。

人の女性が白人に成り切って生きること。周りを騙すことができればそれが「本当」になるなんてことあるのだろうか。見た目だけで白人と黒人を区別するのであれば、ステラのことを白人だと疑わなかった周りにとっては本当になる。ただ、偽る自分にとっては相手をも自分をも欺くという二重の重荷がのしかかる。

題は『ひとりの双子』になっているが、実際の原語タイトルは『The Vanithing Harf (ヴァニシング ハーフ)』、解説によると直訳で「消えゆく片割れ」である。直訳だとなんとも哀しい雰囲気を帯びている。確かに、この物語は哀しみを含んでいるが、邦題のほうがしっくりくる。例え離れ離れになったとしても双子であったこと、2人はどこかで繋がっていることが生きるための心の糧になる。

語は叙情的かつミステリアスで、最初から最後まで大満足できた。おもしろかったというのは同時に真剣に向き合う問題も多かったからだ。人種問題だけでなく、貧困、暴力、トランス・ジェンダー、女性蔑視などあらゆる分野を内包する。最後はもう、母と娘の絆に尽きると思う。

にある西加奈子さんの文章に思わず反応してしまった。帯の文句に騙されることも多々あるのだけど、これは文句なくおもしろかった。これからも死ぬまで(目が見えなくならない限り)読書生活は続くと思うけれど、読める本の冊数は限られる。なるべく良本を読むために、そして自分にとって大事な本に出会うために、選書の眼を養うこともまた大切だと思った。だってこういう本になるべく多く出会いたいから。

近の早川書房の外文担当編集者さんはかなり頑張っていると思う。毎月続々と新たな作品・作家を日本に広めてくれている。訳者の友廣さんの名前をどこかで見たことがあると思ってきたら、ディーリア・オーウェンズ著『ザリガニの鳴くところ』を訳した方だった。あの作品も傑作だった。

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『運命の絵 もう逃れられない』中野京子|強く印象に残る絵

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『運命の絵 もう逃れられない』中野京子

文藝春秋[文春文庫] 2022.4.13読了

 

3年近く前に、東京・上野で開催された「コートルード美術館展」を訪れた。まだコロナが始まる前で美術館はどこも混雑しており、本当は近くで開催されていた別の美術展を観に行くつもりが、2時間待ちとのことでしぶしぶながらこちらの美術展にしたのだ。見どころのある展示が多く、期待していなかったこともあってか大満足だった。特に目と心を奪われたのが、展示の目玉であったエドゥアール・マネ作『フォリー・ベルジェールのバー』である。それがこの本の表紙の絵(実際は大型のサイズなのでごく一部)だ。

ーカウンターでお酒を提供する若い美女に目が行くが、何よりも絵の構成が不思議だった。鏡に映っているのに定位置と違うものが映っている。画家のマネ自ら狙いをもっての演出なのだろうが色々と想像を掻き立てられ、今でも強く印象に残っている。私は鑑賞する際は音声ガイドを借りず自由に観るのだが、この本で中野京子さんの解説・考察を読みとても理解が深まった。

にも16名の画家と作品について、カラー写真とともに解説が添えられている。私はゴーギャンが大好きなので、彼の絵についての章を楽しく読んだ。とはいえ、モーム著『月と六ペンス』やリョサ著『楽園への道』を読んでいるので、真新しい内容はなかったかな。一度だけ実物を観たことがある『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は死ぬまでにもう一度観たい。

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には、最近何故か気になるターナーの絵についての章が興味深かった。あのもやがかかったような不思議なタッチと錆のような色彩が脳髄に訴えかけてくる。また、何度か目にしているローザ・ボヌール(代表作が『馬市』、動物画というジャンルを見出いた)が女性であると知り驚いた。あんなに荒々しいタッチなのに。

の画家や作品に対しても中野さんの豊富な知識と鋭い考察が興味深い。文章もキャッチーで読みやすい。絵画の入門にはとても良いと感じた。中野さんが既に刊行した本にも触れられているので、全て順番に読んだ方がより楽しめるかと思う。

は作家の中島京子さんと中野京子さんを混同しており、つい最近まで同一人物だと思っていた…。中島京子さんが美術にも造詣が深いと勘違いしていたので、中野さんに失礼極まりなく申し訳ない限りだ。絵画エッセイは、気軽に読めて目の保養にもなるからたまには良い。

『破船』吉村昭|本屋大賞「発掘部門」隠れた名作

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『破船』吉村昭 ★

新潮社[新潮文庫] 2022.4.13読了

 

屋大賞に「発掘部門」なんていつからあったのだろう?国内小説部門と翻訳海外小説部門しか知らなかった。大賞となった国内小説『同志少女よ、敵を撃て』と海外小説『三十の反撃』はたまたま読み終えていたのだが「発掘部門」なるものの存在を知り、受賞作である吉村昭著『破船』を読んだ。吉村昭さんの小説は7〜8年前に『破獄』を読んで以来だ。

作の住む村には、古くから「お船様」という風習(行事)がある。なんだか曰くありげな、もしかしてホラーなのかと疑う。この不気味さは実は終盤までずっと続く。こんな緊張感とぞわぞわした感覚を読者にもたらすとは、それだけで吉村さんの文体のすごさがわかる。この村はどこにあるんだろう、時代はいつなんだろう、子供たちは学校に通わないのだろうか、謎だらけの小さな集落が舞台となる。

間に岩礁で破船した船が、明かりにひきよせらるようにと村人が「塩焼き」をする。そして村人らは船の集荷を奪うのだ。この船の到来を願う催事が「お船様」なのだ。船に乗った人を殺すこともある。要するに、村きっての犯罪である。生きるためにはこの悪事をするしかない。そして、この寒村に徐々に不幸が忍び寄る。

人公の伊作が主語なので「伊作は」で始まる文章が多いが、ところどころで「かれは」となっている。文脈からの繋がりでそうなっているたわけでなく、敢えてそうしている箇所が多く気になる。違和感をずっと持ちながらも、これが筆者の意図する仕掛けかもしれないと思い直す。

後の伊作の気持ちがとても重い。飢えよりも、疫病よりも、家族が離れ離れになることよりも、その時の彼が一番辛いことから目を背けたいという表れであり、読んでいて苦しくなった。

んだろう、このしっとりと胸にじんわりと来る余韻は。私はやはり昭和の文豪が織りなす文章に心を奪われるし、読んでいる時間にただただ満足できる。吉村さんの文体は簡素で無駄がないのだが、それがなおのこと一層想像力を掻き立てられるのだ。

はもともと書店員が選ぶ本屋大賞よりも、小説家やプロの書評家が選ぶ文学賞のほうが好きである。それでも本屋大賞の功績は大きい。読者を増やし、文学に注目してもらえるにはとても影響力がある。映像化されることもしばしば。

にとっては、本屋大賞に選ばれた2作よりも俄然強く印象に残った。よく考えたら発掘部門に選ばれるほうが素晴らしいことではないだろうか。何十年経っても名作として残り続けるのだから。こういった賞をもっと増やしてほしい。

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『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー|ユーモアたっぷり、爽快な宇宙SF

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『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上下 アンディ・ウィアー 小野田和子/訳

早川書房 2022.4.11読了

 

年末に刊行されてから話題になり、めちゃくちゃ売れているようで気になっていた。正直、SF作品は得意ではない。それでも単行本上下巻なのに翻訳ものにしては意外と安価で思わず購入してしまった。著者の最初の作品『火星の人』は読んでいないし、映画(映画タイトルは『オデッセイ』)も観ていないけれどなんとかなるだろうと。

ジョン、ポール、ジョージ、リンゴに。

頁めくるとそこにはこう書かれていた。これってビートルズのメンバーではないのか!?と不思議に思いながら読み進めて行く。そう、途中で解き明かされるこの意味ににんまり。

が覚めたらどこにいるのか、自分が誰なのかわからない。これだけ聞くとカフカ著『変身』を彷彿とさせる。いや、これはそういう話ではなくて地球規模の話だ。記憶をなくした主人公が、少しずつ過去を思い出しながらなんとかやりくりしていく、その過程がおもしろい。

手に同意するのも、自分で独り言をいうにも「オーケイ」「イエス」などが連発する。邦訳なら「はい」にするところが訳者からするとやはりこれは「オーケイ」でないとダメなんだろうな。至る所にユーモアが溢れていて、ちょっぴり切なくもあるが爽快な宇宙SFだ。

クライナとロシアの戦争について、子供たちに絵本を読み聞かせながら戦争の悲惨さ伝えることを薦めるTV番組を観た。人間は生きる、生活する上ではみんな同じ人間なのだということ、文化だけは生き残り他国にも広まると解説者は話していた。もしかすると、地球上の文化も、異なる惑星にもたらすことができるのではないか。逆も然り。そんなことを考えてしまった。

人公は、これからの未来を担う子供たちに科学・環境問題などを引き継いで行かなくてならない、準備を整えてやらなくてはならないと言う。これは宇宙SFの世界に限るわけではなく、どんなものであれ若い人道筋を立てることは大事だ。

想はしていた通り、理系が苦手な私なので、すごくおもしろいという感覚には至らなかったのだけれど(何しろあんなに評判の『三体』も1巻だけで断念したのだ…)、なかなか楽しめた。何より訳のせいかすらすら読めた。理科の実験や物理の数式を解くのが好きな人にとっては最高におもしろいだろう。SF理解能力が高ければ超絶興奮するはず。科学脳を持っている人が羨ましい!

『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ|死にたみ、わかりみ、生きたみ

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『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ

集英社 2022.4.9読了

 

女子という言葉はもはや当たり前のように世の中にあり、俗にBLジャンル(男性同士の恋愛)にハマっている女子のことを言う。確かにBL作品は漫画にも小説にも結構増えていて、最近はドラマにもなっている。そんな腐女子の由嘉里と、キャバ嬢ライが出会う場面から始まる。ライは「死にたい」という。死ぬことが持って生まれたギフトなのだと思っている。

死にたい人に出会って初めて、私は生きたい人なのだと知る。(23頁)

にたいとは思わないけど、生きていく意味もない、ただただ食べて働いて寝てという生活をするだけの日々に疑問を感じる人は多くいると思う。誰しもが一度はそんな気持ちになる。けれどもそれは実は「生きたい」ということ。結局「死にたい」人でないのなら「生きたい」人なんだ、と妙に納得する。だって本当に死にたいなら自ら死を選ぶから。

嘉里は恋愛したことがなくオタク女子の自分を自虐的に捉え、美貌のライには自分の気持ちなんかわからないと思う。しかしそのライが死にたがっている。結局はみんな自分でバイアスをかけて周りのことを見ているだけで、本当のことなんてその人のそばにいないとわからないのだ。由嘉里はライにどうしたら生きる希望をもってもらえるのかと悩む。死にたみ、わかりみ(この小説は今風の言い回しが多い!)を考える。

つしか由嘉里はライが好きになっている。この話は百合的な話ではないのだけど、二次元の世界にしか生きる楽しみを見出せない由嘉里にとっては、初めて生身の人間に興味を持ち、この人のためになりたい、この人と一緒にいたい、誰かのために悩むことが出来たのだ。

い現代女性の典型的なストーリーだろうなと思っていた。まさしくそうなんだけれども、金原さんの胸を打つ言葉、表現が胸を打つ。生きる意味がわからない、他人と比べてしまう人たちにとって、とても心に響いてくる作品だと思う。

原さんは昔から同性の若者を書くことが多い。同世代だった頃に書く主人公たちよりも、歳を重ねた今の金原さんが書く若者のほうが、どうしてか生々しく勢いがあるように感じる。そういえば金原さんの小説のタイトルはカタカナが多いよなぁ。

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『暁の死線』ウイリアム・アイリッシュ|若い2人の推理と行動のプロセスを楽しむ

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『暁の死線』ウイリアムアイリッシュ 稲葉明雄/訳

東京創元社創元推理文庫] 2022.4.7読了

 

日読んだアイリッシュ著『幻の女』に心を奪われたので、2作目にこの作品を読んでみた。同じくタイムリミットサスペンスと呼ばれており、アイリッシュ氏の代表作のひとつと言われている。

対面の相手で、趣味があう人、嗜好が合致する人とは話が合い盛り上がる。中でも一番ぴたりと合うのは同郷の人ではないだろうか。住んでいた街が同じ、行きつけの飲食店が同じ、通った学校すら同じであれば自然と相手のことを知ったかのような気持ちになる。ダンサーのブリッキーとクィン、この若者2人の偶然の出逢いから始まり、犯罪捜査にまで乗り出していくストーリーである。

リッキーが初めて死人を見た時の描写には鬼気迫るものがある。普通に生きていて、病に瀕した人が死にゆく姿以外で死体を見ることはまずない。こと殺人となるともっとない。死体の髪の毛だけは艶を帯びているのは、死んだ後ですら髪は伸び続けるという現象を表している。髪の毛の生命力って、食べる直前までエビやイカが最後まで動くあの姿(いわゆる踊り海老のような)と同じなのかしら。

察でも探偵でもないのに、死体を目にして悲鳴をあげないなんてことあるだろうか。素人が推理をして実際に捜査をし始めることなんてあるだろうか。他にも強引な展開やそんな偶然が重なるかなと、あまりにも現実離れしてる感は否めないのだが、それでも十二分に楽しめた。

人は誰なのか、動機は何なのかというのは実はどうでもいいのがこの小説だと思う。2人の推理と行動のプロセスを楽しむのが真骨頂なのだ。ちょっと期待しすぎてしまったからか『幻の女』のように圧倒されなかったのが正直なところだ。『幻の女』はもっと文学的だったからなぁ。

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『少年』川端康成|未完の原稿のような作品

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『少年』川端康成

新潮社[新潮文庫] 2022.4.5読了

 

十歳になった「わたし・宮本(川端康成さん本人だろう)」が、全集を出すために昔書いた作品を読み直す作業をする。『湯ケ島での思い出』という未完の原稿をゆっくりと読み進めながら、過去に想いを寄せていた清野少年に対する愛を連ねていく。

れは小説なのだろうか。昔から書き溜めた日記や原稿、手紙を書き起こしながら当時を思い出しつらつらと書いている体である。まるでこの『少年』という作品そのものが未完の原稿のように思える。

野の信仰が描かれた場面では、何かそこはかとない神の力が清野に宿っているようで、それが宮本にも憑依するかのようである。清野が信仰しているのは大本教(おおもときょう)と呼ばれる神道から広がった新興宗教である。   

端さんが今でいうところのBL(ボーイズラブ)作品を書いていたとは知らなかった。しかし川端さんが書くとめっぽう美しい純文学となる。少年愛を描いているのに、際どい表現も行為もないからか美しさすら感じる。そもそも、女性同士よりも男性同士の愛の方が美しくみえるのは何故だろう。

にとって川端さんは、三島由紀夫さん、谷崎潤一郎さんほど好きな作家ではないのだが、完成された文章や文体は誇り高く気品があり、独特の魅力があるのは確かだ。

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『物語 ウクライナの歴史』黒川祐次|ヨーロッパの中心にあるウクライナ

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『物語 ウクライナの歴史』黒川祐次

中央公論新社中公新書] 2022.4.4読了

 

シアがウクライナ侵攻を始めてからもうすぐ1か月になる。日本からは遠い地の出来事で、できることは何もないかもしれないが、何が起きているかを知ることは出来る。私たちは目を背けずに、今起きている現実を見届けなくてはならないのだと思う。ウクライナの歴史を知ることもそのひとつのきっかけである。

パラリンピックでのウクライナの応援や、紛争が始まって間もない頃、渋谷でウクライナ人が抗議デモをしているニュースを見たのが印象に残っている。日本人が話す、棒読みでどちらかというと「ラ」を強調する「ウクライナ」の読み方ではなく、「ウ、ク、ラ、イーナ」と「イ」にアクセントを置き少し長めに伸ばすのを聞き、その叫びが頭から離れなくなった。

者の黒川祐次さんは外務省に勤務していた頃、駐ウクライナ大使を務めた方である。もっと日本人にウクライナのことを知ってもらおうと2002年にこの本を上梓した。20年ほど前に出版されたので今起きている戦争に直接結びつく内容は書かれてはいないが、ウクライナという国の歴史を学ぶという意味ではとても勉強になった。タイトルに物語とあるが、小説ではない。中公新書の歴史シリーズの冠としてついている。

エフ・ルーシ公国は3人の兄弟と1人の妹が町を作ったことから始まったと『原初年代記』には記されているらしい。現在キエフ市内の公園には、三兄弟と妹の群像が立ち写真も載せられていたが、とても精密で素晴らしい。この像は今無事なのだろうか。

ンゴルの征服によりキエフ・ルーシ公国は衰退し長い統治の時代に入る。ウクライナという国は位置的にもヨーロッパの中心にあるため色々な国に帰属し支配下に置かれる。国という体が曖昧だからか独自の文化や歴史が目立たないように見えるが、実際には独特の文化があり多くの著名人をも輩出している。

治的な武装集団コサックの結婚式には驚く。村中の人々が新婦の処女性と新郎の男性能力の証人となるのだ。また、フランスの文豪オノレ・ド・バルザックキエフ近くの村に住むある伯爵夫人と懇意にしていたというエピソードも初めて知った。

二次世界大戦でウクライナは多くの被害を受けたことに心が痛む。ポーランドとの関係も良好ではなかったのに、現在ウクライナ難民を一番受け入れているのはポーランドだ。だから、ロシアとウクライナもいつかきっと良い関係になるはず。

近の私は、平野啓一郎さん言うところの「小説バカ」になっていたので、小説以外を読もうと書店をうろうろしていたら、この新書が目に付いた。どうやらネットでもこの本は売上1位のようだ。日本人にとっても今の世界情勢に対する意識は高い。ゼレンスキー大統領とプーチン大統領のことをもっと知りたいので、より近代に近いものを読みたいと思った。

『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン|実体験に基づいた生の声

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『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 岸本佐知子/訳

講談社講談社文庫] 2022.4.3読了

 

紙の女性が著者のルシア・ベルリンさんと知って驚いた。気高くとても美しい女性である。小説のようなエッセイのような、全てがルシアさんの実体験に基づいているようなので、私小説といったところだろうか。人生で色々な経験をしてきた彼女からの「生きた声」が聞こえてくるようだ。無骨で乱暴な言葉遣いもあるのに、何故だか美しい作品たちだと感じた。

急手術室で乗馬服を脱がせるのにひどく時間がかかるという『わたしの騎手(ジョッキー)』のある場面で、「三ページもかかって女の人の着物を脱がせるミシマの小説みたいだ」と表現している。三島由紀夫さんの作品、やはり読んでいるのね、となんだか嬉しく思う。

 

この短編集には表題作を含めた24作が収められている。印象に残った2作を簡単に。

 

『ドクターH.A.モイニハン』

歯科医院をつとめる祖父の元で働いている「わたし」が祖父の仕事ぶりと生活を見つめる物語。偏屈ではあるが入れ歯作りについてはピカイチの腕を持つ祖父は、最高傑作と名付けて自分の総入れ歯を完成させる。

数少ない残りの歯を「わたし」が抜く場面。読んでいるだけで痛いのに何故かユーモラス。他の病院に比べて歯医者は決して嫌いではなく、私は歯医者の匂いが好きだ。最後の母親の一言にウィットを感じた。

 

『喪の仕事』

掃除婦の「わたし」が、住人が死んだ家の片付けをする話だ。この作品集には掃除婦やコインランドリーが度々登場する。ルシアさんがそれだけこの掃除婦という仕事に重きを起き、洗濯をまわすランドリーでのひとときになんらかの生活の意味を見出していたのだろう。

家がいろいろなことを語りかけてくるのは、本を読むのに似ていると言う。素敵な表現だと思った。住人がいなくなった家からも、ルシアさんの研ぎ澄まされた目と耳で、その人の香りと生き様を感じることができるのだろう。

 

の本は、2020年本屋大賞翻訳部門第2位を受賞している。確かに2〜3年前に書店に平積みされているのが目立っており気になっていた。翻訳ものでこんなに早く文庫になるのは珍しい。それだけ人気があるということ。絶賛されている岸本佐知子さんの訳もとても良い。そして、作品に何度も出てきたアメリカのサスペンス映画『ミルドレッド・ピアーズ』が気になって仕方がない。

『高慢と偏見、そして殺人』P・ D・ジェイムズ|原作の世界観を損なわずに書くこと

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高慢と偏見、そして殺人』P・ D・ジェイムズ 羽田 羽田詩津子/訳

早川書房[ハヤカワポケットミステリー] 2022.4.2読了

 

大な小説の続きを別の作家が書くことは、大いなるプレッシャーがあるだろう。マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』の続編の『スカーレット』、スティーグ・ラーソン著『ミレニアム』の続きを書いた『ミレニアム4』以降の作品群など、世の中にはそういった作品が多くある。日本だと夏目漱石氏の小説の続きを現代作家が書いたものが多く見られるように思う。

は今年に入って、今更ながらP・ D・ジェイムズ作品に密かにハマっている。ダルグリッシュ警視シリーズでもコーデリアシリーズでもないノン・シリーズのこの本を読むために、少し前にジェイン・オースティン著『高慢と偏見』を再読した。内容をいま一度思い出そうという理由ではあったが、さすがの古典名作、存分にその物語世界を楽しんだ。

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ロローグに『高慢と偏見』のあらすじがまとめられている。基本的にあらましは合っているのだけれど、エリザベスの印象が私が思っていたのと少し違って拍子抜けした。ジェイムズさんはこんな風に人物像を捉えていたのか?はたまたこの作品のために多少イメージを変えて書いたのだろうか?

直、オースティンさんの作品とジェイムズさんの作品は対極にあるように感じる。かたや田舎町の恋愛作品、かたや殺人事件が起こるミステリーなのだ。それをどう融合しているのかがとても気になっていた。

台は、エリザベスとダーシーが結婚した6年後、夫婦と産まれた子供たちが住むピングリー館である。嵐の夜、エリザベスの妹リディアが馬車から半狂乱で飛び降りてくる。夫のウィリアムと友人が森で何かあったかもしれないと。捜索にいくと死体が発見される。

さかあの小説の続きを殺人事件に絡めるとは、オースティンさんにとっては思いもよらないだろう。いつものジェイムズ作品にある複雑な人間関係など込み入った要素はなくストーリーは比較的シンプル。当時のイギリスでは警察組織がまだ確立されておらず、検査審問や裁判が主だったものでその過程が興味深かった。

いの外エリザベスの存在が薄く、ダーシーが主人公のように繰り広げられる。プロローグでは『高慢と偏見』を思い起こす場面がダーシーから次々と語られる。ここでは原作の雰囲気に近しくほっこりとした気分になれた。

作の世界観を損なわずに続編を書くことはとても難しいと思った。私はジェイムズさんの作品が好きなのでおもしろく読めたのだが、なんだか奥歯にものが挟まったような、違和感があったのは否めない。あまりにも世界観が違いすぎるからかな?本家本元の『高慢と偏見』を読んでからでないと楽しめないのは確かだけれど、全く違うものと心して読むべきだと思った。

の作品はジェイムズさんが生前最後に書いた小説である。ジェイン・オースティンさんと作品を敬愛していた彼女にとって、好きな小説の続きを自ら書くということは、本当に素晴らしい体験でとてつもなく楽しい執筆だったに違いない。

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