書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『なずな』堀江敏幸|赤ちゃんは周りの人との関わり方を変える

f:id:honzaru:20220329002132j:image

『なずな』堀江敏幸

集英社集英社文庫] 2022.3.30読了

 

の本のタイトルである『なずな』は、生後2ヶ月ちょっとの赤ちゃんの名前である。道端に生えているぺんぺん草の「なずな」、春の七草の一つ。ジンゴロ先生は、どうして子供にそんな名前をつけたのかと言うが、ひっそりと咲く花だからこそいいのだと思う。

の名が名前になっている子のことを昔羨ましく思っていた。スミレ、百合、椿など。名前の響きもいいし美しく可憐なイメージだから。でも、主役級の花ではなくて、たんぽぽ、くるみ、かすみ(草)など、どこにでも咲いているような植物の名前のほうが実は強いんじゃないかってそのうち思うようになった。雑草魂見せてやれ、じゃないけど、強くすくすくと育つから。だからこの『なずな』が名前だと知った時は、理想の名前だと思った。

の作品の舞台は伊都川市。伊都川が流れるこの街は田舎の景色を思い浮かべるのだが、日本のどこなのだろうか。実は存在しない架空の街だった。架空の街をテーマにした『雪沼とその周辺』が思い出される。

うすぐ50歳に届きそうな40代独身男性の独り暮らしの元に、突然赤ちゃんがやってきた。訳あって弟夫婦の子供を一時的に預かることになったのだ。もちろん生活は一変するが、何より変わるのが周りの人たちとの関わり方だという。今まで見えなかった世界が見えてくる。それだけ、新しい生命、赤ちゃんには周りの人を明るくさせ、笑顔にさせる。話しかけずにはいられないパワーがあるのだ。

ずなちゃんの成長というよりも、本当の親のように育てる彼の心の変化と日々の生活が瑞々しく映し出されている。関わり合う小児科の先生、その家族、近隣住民など、周りの人がみなあたたかい。育児小説であるということは心があたたかくなる小説なのかもしれない。

んで驚いたのが、いつもの堀江敏幸さんの作品とは全く異なるということ。たぶん著者名を伏せていたら、堀江さんの作品とは気付かないと思う。書かれているメッセージは違わないが、文体が全く違う。そりゃあいつものほうが好きだけど、これはこれで悪くない。読みやすいからきっと万人には読まれているんだろうなと思ったら、やっぱりAmazonのレビュー数は結構高かった。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

『異常』エルヴェ・ル・テリエ|この異常事態、どうする?

f:id:honzaru:20220327141856j:image

『異常(アノマリー)』エルヴェ・ル・テリエ 加藤かおり/訳

早川書房 2022.3.28読了

 

の小説は、フランス本国で100万部超え、2020年にゴングール賞を受賞されている。ゴングール賞とはよく聞くけれど、フランスの最高峰の文学賞らしい。2016年には、先日読んだレイラ・スリマニさんの『ヌヌ 完璧なベビーシッター』が受賞となった。

honzaru.hatenablog.com

し屋のブレイクの話から唐突に始まり、小説家兼翻訳家であるミゼル、映像編集者リュシー、、など数人の紹介が続き、これは一体どんなストーリーなのだろうと訝しみながら読み進める。所々に飛行中のボーイング機を操縦するパイロットのやり取りが挟まれる。

んな展開は初めてだ。どうしたらこんなストーリー、構造を思い付くのか、著者の頭の中はどうなっているのだろう?いつの間にか異常事態が起こっていることに気付く。それも国際問題にまで発展する。ノーベル賞を受賞した各分野の専門家、科学者たちが集められる。

の作品は多くを語るとネタバレになってしまうから、何も情報なしで読み始めるのが良い。SF作品に入るのだろうが、ユーモアや文学性もふんだんにあるためSFが苦手な人でもかなりとっつきやすい。途中、私にはついていけない部分も多少あったけれど、あっという間に終盤になる。哲学的で宗教的、知的興奮が高まる作品だった。

率論研究者エイドリアンと位相幾何学研究者メレディスの奔放で直球な愛情表現は読んでいて気持ち良い。こんな風に愛し合えるなんて、思いっきり相手のことを好きだと言えるなんて素晴らしいなぁと。登場する人物それぞれの人生を読むと、現代人が抱える悩みそして希望がうかがえる。

語で「異常」はアノマリー(anomaly)であると知っていたが、フランス語でも「異常」はアノマリー(Anomalie)らしい。この不穏かつシニカルな作品にぴったりの響きだ。

『高慢と偏見』ジェイン・オースティン|自負心と虚栄心は別物

f:id:honzaru:20220323082919j:image

高慢と偏見ジェイン・オースティン 大島一彦/訳

中央公論新社[中公文庫] 2022.3.26読了

 

ギリスの古典小説、それもとびきりおもしろい恋愛小説のひとつが『高慢と偏見』である。サマセット・モーム氏も世界の十大小説の一つに選んでいる。男性がこの恋愛小説を名作に選ぶとは余程だと思う。

ギリスの田舎町に住むベネット家には5人姉妹がいた。特に長女ジェインと次女エリザベスの恋愛模様を中心にして物語が展開されていく。聡明なエリザベスがこの作品の主人公であるが、私は姉妹の父親ベネット氏がとても好ましく思えた。

自尊心とか自負心とかいうものは(中略)実際誰にでもあるものであり、人間性はとりわけ自負心には弱いものであると、そして、現実のものにせよ、想像上のものにせよ、何らかの性質を根拠にして自己満足の気持ちを抱かない人は滅多にいないものであると。但し虚栄心と自負心は別のものよ。(中略)自負心は自分で自分をどう思うかということに関わって来て、虚栄心は他人にどう思ってもらいたいかということに関わって来る訳ね。(45頁)

妹の中で一番登場の少ない三女メアリーが作品の初めのほうにこう語る。読書好きな彼女が多くの読み物の中から発見し確信しているのだ。この小説の核心を言い得ているセリフが、この物語の始まりを予感させる。プライドが得てして人間関係の邪魔をすることはあるけれど、誇りを持っていない人は魅力に欠ける。人間にとって、自負心と虚栄心は混同しなかなか難しいところだ。

然現れた相続人ミスター・コリンズのいまいましさったらないなと思っていたら、エリザベスに拒絶されたあとすぐさま心変わりをしている姿をみたら何故かおかしくなってしまった。なんだか、憎めないやつに思えてしまう。「え、そうなっちゃうの?」と展開もある意味喜劇である。

虚栄心だったのだ、私の愚かな振舞の原因は。一方からは甘い顔をされて気を好くし、多方からは苦い顔をされて気を悪くし、知り合ったそもそもの最初から私は無知と偏見の虜となって、とにかく二人のことになると理性を追いやってしまっていたのだ。今の今まで、私は自分のことが分かっていなかったのだ。(357頁)

リザベスは、ダーシーからの手紙を受け取り、熟考した上でこのように考える。自分の虚栄心と偏見のせいで、自分のことも周りのことも見えなくなっていたのだ。この作品では「手紙」のやり取りがさかんに行われる。ダーシーからの手紙、終盤の叔母からエリザベスへの手紙など、手紙がとても重要な意味を持つ。

と違って女性にとって「結婚」が全てと言われていた時代の話だ。現在は多様性の世の中であるし、決して結婚が到達点でもない。手紙の存在や結婚への考え方も変わってきた現代でもなおこの作品が読み継がれているのは、手段や価値観が変わっても人間の営みは普遍的だということだろう。

去に新潮文庫小山太一さん訳で『自負と偏見』を読んだことがあるので、実はこの作品を読むのは2回目である。よく言われているように大した事件は起きず、ただ延々と恋愛やら結婚やらについて女どもがあれやこれやと語るだけなのに、何故かおもしろい。この中公文庫の大島さんの訳は読みやすいのに格調高さも損なわれていない。何より当時の挿絵がふんだんに挟まれているのが素敵だ。

ョージ・エリオットさんの作品ほどの重厚さはないが、恋愛と結婚にまつわる人間の心理が巧みに描かれるオースティンさんの作品は、とびきり楽しく生き生きとしている。これを書いたのが二十歳そこそこというのも驚きだ。彼女が残した全ての作品に登場する女性は結婚しハッピーエンドになるのだが、本人は独身を貫いたということがなんとも言えないところ。

honzaru.hatenablog.com

角川武蔵野ミュージアムに行ってきた

f:id:honzaru:20220317201834j:image

一度は行ってみたいと思っていた埼玉県所沢市にある「角川武蔵野ミュージアム」を先日訪れた。住宅エリアと自然が混在する武蔵野の地に2020年11月に出来た文化複合施設である。株式会社KADOKAWAが展開する「ところざわサクラタウン」の中に位置する、アート、文学、博物などを楽しめる総合ミュージアムである。

f:id:honzaru:20220317203110j:image

まずは驚くのが外観である。建物は隈研吾さん監修、まるで要塞のようなゴツゴツした岩のような物体が存在感ありまくり。近くで触ってみると、分厚い石が貼られている。コンクリートの上に張り詰めたのだろうが、この複雑な立体に仕上げる技術は素晴らしい。いや〜、本当に圧巻の建物だ。

一番楽しみにしていたのがフロアの4階と5階部分を繋げて縦におよそ8メートルもの高さで本棚がそびえる「本棚劇場」である。一昨年の紅白歌合戦でYOASOBIがここで熱唱したことでこの施設が広く知られることになった。こんなに本に囲まれることはないので壮観ではあったのだ、けれども。

f:id:honzaru:20220319130901j:image
f:id:honzaru:20220319130907j:image

実はテレビやネットを見て想像していたのと少し違っていた。もっともっと本が敷き詰められているのかと思ったし、古めかしい古書が多く内装もヨーロッパの図書館のようなイメージを想像していたのだ。あとは本の裏側(場所によっては裏側が通路や階段になっている)がベニヤ板感があり少し残念に思ってしまった。

この本棚劇場の景観は相当に「映える」ものなのだ。むしろ映え過ぎてしまう。映えるものは、実物を見て映え負けしないようにしなくてはならない。そういう意味では、いくら「映える」ようにして宣伝効果を高めても、実物がそれと同等もしくは超える感動を与えるために運営側が相当な努力をすることが必要なのだと感じた。何であれ、一度行けばいいや、一度食べればいいや、一度聞ければいいやと思ってしまうものは、一時期な流行りはあっても絶対に廃れてしまうから。

30分おきに、本棚を使ったプロジェクションマッピングが催される(ブログの最初の写真を参照)。暗闇に浮かび上がる本棚は神々しくさえある。本が燃えるという出だしの演出で、レイ・ブラッドベリ著『華氏451度』を思い浮かべた人は私だけではないだろう。

エディットタウンの一角にある荒俣宏さん監修「不自然な植物展」コーナーで、タブレットに映し出される「人間以外の生物の目から見る世界」が一番興味深かった。犬は白黒で世界を見ており、馬は意外と薄ぼんやりとした視界しかない。鳥や猿は結構目がいい。何より驚いたのが、甲殻類のシャコの視力が人間とほぼ変わらなかったこと。
いくつかのブースを満遍なく見学して、気づいたら4時間ほどがあっという間に過ぎていた。私が行ったのは平日で、1DAYパスポート3,000円というのを利用したのだが、少し高過ぎるかなと感じる。金土日はなんと1,000円増、ヒ〜。この時期にイベントで開催されていた浮世絵劇場の一コマと、隣接するサクラタウンで食べた「角川食堂」のランチをパシャリとしたので載せておく。

f:id:honzaru:20220319155709j:image
f:id:honzaru:20220319155705j:image

ともあれ、この建物がなかったらきっと東所沢駅に降り立つこともなかったろうし良い機会になった。初めて訪れる場所はわくわくするし、それが本にまつわる場所であるならなおさらだ。割高な料金設定がちょっと心配ではあるけれど…。外観は間違いなく映え負けしていなかったし、内観も少しの企業努力で変えられる。本好きを増やすせっかくのチャンスなので、末長く運営されることを願うばかりだ。

『最果てアーケード』小川洋子|余韻を楽しめ、優しい気持ちになれる

f:id:honzaru:20220321213128j:image

『最果てアーケード』小川洋子

講談社講談社文庫] 2022.3.22読了

 

んの数ページ読んだだけで、小川洋子さんの書く可憐で美しい、そして儚げな文体に落ち着きを感じる。心にストンと落ちていく。ゆっくりと、一つ一つの文章を噛み締めながら読んでいく。

こは、世界で最も小さいアーケード。商店街の大家を父に持つ少女がこの小説の主人公である。店からの荷物をお客様のところに配達するアルバイトをしながら、アーケードを探索しアーケードと共に生きている。相棒のべべという犬と一緒に。

作短編集になっており、それぞれの短編ごとに店の店主や訪れるお客さんにスポットを当てて書かれている。完全な単独のストーリーというわけではなく、少しづつ重なり合う部分がある。連作短編集ってよく聞くけど、今は長編小説とあまり変わらないように思う。長編と謳っていても、章ごとの固まりで一つの作品になっているものはたくさんある。

こには、日時生活で使う八百屋やお弁当屋クリーニング屋さんなどは日常使いの店は出てこない。もちろん商店街の中には存在してはいるとは思うけれど。どう考えてもたまにしか(もしかしたら一生に一度あるかないか)使わないような、義眼屋、レース屋、紙屋、勲章店など小川さんが好みそうなお店ばかりにスポットが当たる。例え扱っているものが中古だとしても、人の思い出が詰まったものはその品物が輝く。

ビトって、誰かの名前なのかと思っていたら兎の「ラビット」だったのに気づく。『ノブさん』という章で、これが「ドアノブ」のお店の店主のことだと誰が思うだろう。ノブタカとかノブコとか名前の一部を略して呼んでいると普通は考えるだろうに。小川さんの手にかかると、一つ一つの品物も名前も、かけがえのない大切なものになるようだ。決して光り輝く宝石ではなく、ひそかに、ある人にしかわからない輝きを放つようなもの。

逢いと別れが多く、特に死と隣り合わせになる話が多い。でも不思議と辛さや哀しさはそんなに多くなく、静謐で敬虔な雰囲気が漂う。余韻がいい。あのあとどうなったんだろうとか、あの人はきっとこんな気持ちだったんだろうとか想像するのが楽しい。

うしてこんなに優しい気持ちになれるんだろう。時々、思い出したかのように小川さんの作品に触れたくなることがあって、読み終えたあとには充足する。実は『百科事典少女』を読み終えたとき、この本はもしかしたら一度読んだことあるかも、と気付いてしまったのだけれど、、そんなことはどうでもいいと思えて、ただただ余韻に浸れるのが小川さんの作品なのだ。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

『Blue』葉真中顕|知りたい欲求そのままに展開される

f:id:honzaru:20220320120009j:image

『Blue』葉真中顕

光文社[光文社文庫] 2022.3.21読了

 

真中顕さんの作品は、昨年刊行された『灼熱』という小説がとても評判が良いので読みたいと思っていた。単行本を購入しようか思いあぐねていたら、ちょうど先月この作品が文庫新刊として書店に並んでいたので迷わず手にした。

梅事件と呼ばれる一家惨殺事件は、4人を殺害したのちに風呂場で自殺または事故死したとみられるこの家の次女夏希の犯行と思われていた。しかし警察は、公表していない別人が現場にいたという形跡を証拠として掴んでいた。同時進行で進むBlueの章が差し挟まれる。Blueとは一体誰なのか。恐るべしサイコキラーなのか。

庫本でかなり厚めの本なのが、予想以上に読みやすい。どうしてこんなに読みやすいのかと考えてみると、著者の流れるような筆致はもちろんだが、ミステリなのに読者が犯人や動機を考える暇がないことに気付く。なんというか、この人のこの行動が疑わしいと思ったら、次の章でその人物自ら自白をするような感じ。だから、するすると知りたい欲求そのままの順番に読める。それにより疲れ知らずで読めるのだ。

直なところ、小説を読んでいるというよりはドラマか映画を観ているような感覚になった。個人的には柚木裕子さんや太田愛さんが書く小説に近いと感じる。映像化しやすくエンターテイメント感満載。

成史を社会学的側面からなぞったような作品だ。私も平成という時代をまるっと生きているから、全ての出来事が印象の濃い薄いはあるとはいえ走馬灯のように駆け巡った。文化的、政治的、経済的、国際的側面、そして震災や気候変動、事件やテロに至るまで、数えきれない要素をうまく取り入れてまとめあげる手腕には舌を巻く。

希と一緒に住んでいたことのある女性が語るE.G.スミスのルーズソックスとHARUTAのローファー、プロミスリングという1990年代に流行った高校生のスタイルが出てくる箇所を読んだ時は懐かしいなぁと思った。E.G.スミス、よく売ってたなぁ〜。ちょっと高額だったから手が出なかったし、そもそもあれは細長い脚でないと似合わないソックスだった。    

会学者でありコメンテーターでもある古市憲寿さん著『平成くん、さようなら』もこれに近いのだろうか。あちらはミステリではないけれど。古市さんの本もまだ読んだことがない。最新刊は長編小説のようで少し気になっている。

『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ|人間は一体何を見ているのか

f:id:honzaru:20220316083630j:image

『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ 雨沢泰/訳

河出書房新社河出文庫] 2022.3.19読了

 

然目が見えなくなってしまったら。今まで見えていた世界が白い闇に変わってしまったらどうなるのだろう。本を読むことを何よりも楽しみに生きている私にとってこれほどキツイことはない。おそらくいま目が見えている人にとって一番失いたくないものが視力ではないだろうか。矯正できない、視覚を失うという意味において。

かもこの小説で書かれている失明は、感染症なのだ。精神病院に隔離される感染者の姿と政府の対策は、さながら新型コロナウイルスが流行し始めた時の日本を含む世界の状況を見ているかのようだ。濃厚接触者を隔離するように、失明した人々はまるで犯罪者であるかのように扱われる。

の作品には人の名前が出てこない。「医者の妻」「車泥棒」「サングラスの女」などがその人を示す単語となっている。固有名詞の名前がないことが、かえって万人に起こり得ることだという予感をはらむ。しかし、彼らはどうやって相手を呼び合っていたのだろうか。

わたしたち人間は弱みを見せまいとすると、かりに死にかけていても、なんでもないと答えるものである。これは困難に立ちむかう行為として一般に知られており、人類にのみ見受けられる現象といっていい。(48頁)

ラマーゴさんらしい人間の哲学がそこかしこに盛り込まれる。これが楽しいのである。先月読んだジョゼ・サラマーゴさんの『象の旅』がとても良かったのだが、この本も期待に違わずとてもおもしろかった。

間はいかに他人の目を気にしているかがよくわかる。人の目を覗いて生きていると言っても過言ではない。しかし、実は私たちがいま見ているものは真実ではなく、本当に大切なことは目に見えないものなのだと気付かされる。サラマーゴさんはこの作品を思いついた時に「人間はみな盲目だ」と話していたという。

が見えないと、音と臭い、つまり聴覚と嗅覚が冴え渡る。作品では聴覚よりも嗅覚の話が多く、特に「臭い」という感覚にみなが苦しめられる。よく考えたら目が見えない人や耳が聞こえない人はいるけど、鼻が効かないという人は風邪をひいてる人を除いてほとんどいない。初期の新型コロナウイルスでは鼻が効かないという症状をよく聞いたけど。

れまた本の頁にぎっしり埋まった文字の渦に目眩がしそうになるけれど、不思議と読み心地は良い。改行や会話文の括弧がないのは『象の旅』だけではなくサラマーゴさんの文体の特徴だったのか。いかんせんこの長さのため、最後まで読める人は多くないかもしれない。

の小説は『ブラインドレス』という作品として映画化されていたらしい。映像で表すのは難しそう…。だってこれは目に見えないものを考える作品なのだから。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

『ミシンと金魚』永井みみ|圧巻の語りに打ちのめされる

f:id:honzaru:20220316071523j:image

『ミシンと金魚』永井みみ

集英社 2022.3.16読了

 

花はきれいで、今日は、死ぬ日だ。(129頁)

に包まれた帯にも書かれているこの文章が突き刺さる。容易な言葉でたった3センテンスの短い文章なのに、妙に気になる。そして不思議と美しい。人間、死ぬ当日というものはわかるものなのだろうか。

巻の語りに圧倒される。安田カケイさんというおばあちゃんの視点で最初から最後まで語られる。痴呆が入っていて支離滅裂なところもあるのだけれど、ほとんどが理解できるし、理解できなくてもいいんじゃないかという気さえする。軽快でユーモアで、皮肉もある口語体がこの作品の最大の特徴である。  

くでお世話をしてくれる「みっちゃん」というのは、著者の永井みみさんのことだろうか。いや、でもみっちゃんはたくさん出てくるから、ヘルパーさんみんながみっちゃんなんだろう。この呼び方の理由は、作品の終わりの方になってカケイさんから明かされる。

タスタ歩く、ではないお年寄りの歩き方は「ポクポク」歩くになるという表現や、女の赤ちゃんはギャアギャアと泣くのではなく「ふみふみ」泣くんだとか表現方法が独特である。カケイさんの考えることや仕草など、実際に毎日高齢者の近くで過ごさないと出てこないよなぁ。カケイさんの語りがリアルで、本当に目の前にいるかのよう。

をとること、つまり老いることはマイナスなイメージが強い。確かに若いときに比べて出来ることは少なくなり、鈍くなる。何より外見上の問題が気分をげんなりさせる。でも、誰しもが平等に歳を重ねるわけだし、楽しむことも大事だ。カケイさんが言うように幸も不幸も1人の人間にとってちゃんと帳尻が合うように出来ているんだと思う。『老いてこそ生き甲斐』と石原慎太郎も書いている(まだ未読だけど)ように、老いたからこそ理解できるもの、老いてからしかわからない喜びというものがあるのだと思うと、老いることに抵抗がなくなってくる。

者の永井みみさんにとってこの作品がデビュー作で、第45回すばる文学賞を受賞された。ケアマネジャーをしながらこの作品を書いたそうだ。昨年の同賞受賞作は木崎みつ子さんの『コンジュジ』で、あれもよかったなぁ。1年はあっという間だ。選考委員が好みの作家ばかりだからか、すばる文学賞受賞作は結構相性が良いような気がする。永井さんが次回作はどんなものを書くのが楽しみであるし、来年のすばる文学賞もまた楽しみだ。

honzaru.hatenablog.com

『死の味』P・D・ジェイムズ|ダルグリッシュの過去に一体何が?

f:id:honzaru:20220310154823j:image

『死の味』上下 P・D・ジェイムズ 青木久惠/訳

早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫] 2022.3.15読了

 

ーデリアシリーズがおもしろかったので、ダルグリッシュ警視ものに手を出してみた。犯人や動機、トリックを探るミステリなのに、私にはどう考えても濃密な文学作品の範疇に思える。過去に読んだコーデリアシリーズ2作と比べて、長さもあるが故に内容も構成もさらに混み入っており、まぁおなかいっぱいになった!

会の聖具室で、元国務大臣のポール・ベロウン卿と浮浪者ハリー・マックの死体が発見された。殺人なのか自殺なのか。2人を結びつけるものはない。ダルグリッシュ率いる警察のチームは捜査に乗り出す。相棒の2人は、過去にも仕事をしたことのあるマシンガム主任警部と、初登場らしい女性警部ケイト・ミスキン。このミスキンがなかなかカッコいい女性である。

会の司祭であるバーンズ神父は、ベロウン卿の腕に「聖痕」があったという。この聖痕という言葉が聞き慣れなかったのですぐに調べたところ、磔になったイエス・キリストの腕についた傷、または信者の身体に現れるとされる類似の傷の意味がある。「奇跡の顕現」とも言われるそうだ。

識のキナストンが死体に向かい自らの任務を遂行する姿を見て、ダルグリッシュは敬意を払う。キナストンの姿が優雅にも映る。ストーリーにはほとんど関係のない脇役についても細かく記されるから、まるで重要人物であるかのように彼らの過去を暴き想像してしまう。これが作品全体を深淵な世界に仕上げているのだろう。目眩がするほど濃厚かつ重厚。

ールの母レディ・アーシュラに関する描写では「皮膚の下の頭蓋骨の光沢を予想させて」とあり、この単語を出すなんて(コーデリアシリーズ2作目のタイトルが『皮膚の下の頭蓋骨』である)…と思わずニヤリとしてしまった。さらに作中に「コーデリア・グレイ」の名前も一度登場する。こういうのがコアなファンがいる証だろうなぁ。

はいえ肝心のアダム・ダルグリッシュの人となりはベールに包まれているような気がする。私がこのシリーズを読むのが本作が初読みだからだろうか?気になるのは、ダルグリッシュが死んだベロウンに羨望をおぼているシーンがあること。辞職をしたらどうなるのかと自らに問いかけもする。過去に何があったのだろう?

当はシリーズ1作目の『女の顔を覆え』から順番に読みたかったのだが、中古では高額なものしか見つからず(もしくはかなり古びた本)、先月何故か本作の新版が出たから購入した。SNOWLOG (id:SNOWLOG)さんおすすめの『黒い塔』はもちろん、ジェイムズさんの作品はコンプリート読みしたいと思っている。読むのに結構力を要しぐったりするのに何故かハマっている。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

『動物会議』エーリヒ・ケストナー|子どものために戦争をやめよう|トリアーさんの素敵な絵

f:id:honzaru:20220310193048j:image

『動物会議』エーリヒ・ケストナー ヴァルター・トリアー/絵 池田香代子/訳

岩波書店 2022.3.10読了

 

イツで1949年に出版された絵本で、日本でもロングセラーとして読まれている。ケストナーさんといえば『飛ぶ教室』『ふたりのロッテ』が有名であるが、この絵本のことは知らなかった。本の内容も素晴らしいが何よりトリアーさんの絵が素敵すぎる。

f:id:honzaru:20220310194222j:image

れ、人間が行う戦争を批判したもので、動物たちが子どもたちのために戦争をやめさせようと会議を開く話なのだ。ユーモア溢れる語り口だけど実はかなり核心をついた作品。何より現在のロシアとウクライナの戦いをリアルタイムで見ているから、本当に身につまされる思いになる。

やキリン、ライオンの親が子どもたちから「何か読んで」とせがまれて近くにある新聞を読み聞かせる場面。戦争のことなんて子どもに聞かせる話ではないと気付く。私には子どもがいないけど、小さな子を持つ世の中の親たちは、自分の子供に今の世界情勢をどうやって話しているのだろう。

争、難民、飢饉、ストライキ、紛争、亡命などは絶えることがない。大人たち人間の行動は結果として苦しみもだえる人たちを生み出してしまう。未来を担う子供たちのこと、そして人間以外の動物や昆虫、生きとし生きる者たちに悪影響を及ぼす。この絵本を子供たちと読み話し合うことで考えるきっかけになると思う。

くの動物たちが動物ビル(記事の最後に、模倣したビルの写真あり)の大会議場に集まるのだが、ミッキーマウスや象のババール、長靴を履いたネコも絵本の中から飛び出してやってきたというのが笑えた。ちゃんとトリアーさんの絵にも描かれている!

はこの絵本を購入したのは、先日、東京・立川で開催されていた「どうぶつかいぎ展」を観に行ったから。元々動物が好きで、さらにかわいいイラストや絵も好きなので気軽に行ってみたところ、トリアーさんの絵にめちゃくちゃ心を奪われてしまったのだ。ポストカードを数枚選んでいるうちに、全部載っているこの大型絵本を手に入れてしまった。

シタケシンスケさんを始めとした数人の気鋭アーティストの作品も良かったのだが、トリアーさんの絵には敵わなかった。著者のケストナーさんとトリアーさんはずっと二人三脚で子どもの本を作っていたそう。普段は字で埋め尽くされた本をひたすら読んでいるけど、絵本もとても大事だよなぁと思う。

f:id:honzaru:20220310193800j:image

f:id:honzaru:20220310193817j:image