書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『世界はゴ冗談』筒井康隆|インパクトがありすぎる短編集

f:id:honzaru:20210625082035j:image

『世界はゴ冗談』筒井康隆

新潮文庫 2021.6.26読了

 

題作を含めた10作品が収められた短編集である。筒井康隆さんの作品を読むのは久しぶりだ。そして彼の短編というのも初めてだ。いや〜、奇想天外なストーリーづくしでたまげる。一話めから、タイトルからし『ペニスに命中』だもんなぁ。強烈な痴呆老人のある1日を描いたこの作品は、ボケっぷりが強烈でなんだかたくましいほどだ。

10作品の中で印象的だった2作品について簡単に。

 

『不在』

男性の生き残りが少なくなっていき、女性だけになりつつある世界を描いたこの小説はディストピア作品と言える。生きている妻は普通に老いていくのに、震災を機に寝たきりになってしまった夫は、時が止まり老化もなくそのままの状態で数十年後に目覚める。冷凍保蔵された人間を描いたハインライン著『夏への扉』を彷彿とさせる。

別の世界を生きた夫は過去に妻が知っていた夫ではなくなっていた。妻の心情を思うとなんとも苦しいが、もしかしたら今を生きる人同士でも同じ時間が同じように流れているわけでもないのかなと思ったりもした。

 

『三字熟語の奇』

ただ三字熟語だけがひたすら書かれているだけのもので、インパクトがありすぎた。電車の中で文字を追っていたら、隣にいたサラリーマンのおじさんにジロジロと見られてしまった。漢文でも読んでいるのかと思われたかも。

一体何語書かれているんだろう?関連のある言葉が並び、「羽二重」や「五目鮨」なんて見てるだけでちょっとお腹が空いてきたり。終盤は、こんな三字熟語なんてあるのかな?と思っていたら、当て字をはめた筒井さんならではのジョークだった。参った、参った。

 

井さんのこの手の作品群が好きかどうか聞かれたら…、個人的には決して好みとは言えないのだけれど、強烈なインパクトを残すことは確かだ。こんなモノの見方をしていて、独自の世界観を生み出せる才能は恐るべし。鬼才、怪物と言われる所以がわかる。

『ミドルマーチ』ジョージ・エリオット|結婚がもたらす絆のかたち

f:id:honzaru:20210617083847j:image

『ミドルマーチ』1〜4 ジョージ・エリオット 廣野由美子/訳 ★★★

光文社文庫 2021.6.24読了

 

いに読み終えてしまった。いつまでもこの小説に浸りたい、読み終えるのが惜しいという感覚をひさびさに味わえた至福の読書時間だった。期待を裏切ることのない英国古典文学の名作。すばらしく良かった。大好きなトルストイ著『戦争と平和』に勝るとも劣らないほどで、大切な作品となった。

性作家の地位がまだまだ低かった19世紀のイギリスで、メアリ・アン・エヴァンズさんは男性名ジョージ・エリオットの名でこの作品を世に送り出した。タイトルの「ミドルマーチ」とはイギリスの架空の街の名前である。副題が「 地方生活の研究」とあるように、特定の誰かが主人公というよりも、この街に住む人物が、その街そのものが、ひいてはどこかに住む誰か(読者も含めて)が主役である。

明で献身的な精神を持つドロシアの物語と、エネルギーに満ち溢れた医師リドゲイトの物語が軸となっている。地主・判事であるブルックを伯父に持つドロシアは、若く将来を渇望された男性よりも、思慮深い学者で30歳近くも歳の離れたカソーボンと結婚する。地方からミドルマーチにやってきた医師リドゲイトは、街で1番の美貌と音楽の才能に恵まれたロザモンドと結婚する。

れら2組のカップルの話が同時並行で進み、徐々に交差していく。他にもたくさんの登場人物がミドルマーチを軸にして多彩な人間模様を形成する。応援したくなる人物もいれば、憎たらしい振る舞いをする人物もいる。それぞれの人物に思いを馳せながら読み込むことができる。中でも作中では忌み嫌われているカソーボンだが、ある程度の歳を重ねた読者であれば、カソーボン的生き方もある意味理解できるだろう。

族をつくること、その第一歩となる「結婚」というものをテーマにした作品だ。結婚がもたらす「絆」は、些細なことがきっかけで良い方向にも悪い方向にも転じる。描かれているのは、恋愛だけではない。家族愛、信仰、政治、遺産相続、死、賭博、ミステリーなどあらゆるものが詰まったこの作品は、ストーリーだけとっても抜群におもしろい。そして、人間の心理描写が優れていることったらない。細やかな心の動き、それに伴う身体的動作や表情、「こうしていたらどうなったか」など自分の行動に対する後悔や分析をこんなにも文章で示してくる作品は他にはない。  

間の内面の奥深い部分は「他人からどう思われているか」に振り回されているのだと改めて思った。結局、人の目を気にしてしまう人間の性(さが)。これが生きていく上で余計な心配や苦悩になるのだが、それを克服してはじめて豊かな心や幸福感が生まれるのだと思う。

を信じること、これが私たちが生きていく上でとても大切なことであると感じた。大袈裟かもしれないが、自分が信じられる人、そして信じてくれている人がいれば、それだけで生きていける。

の作品には「語り手」が時折り登場する。登場人物になりきったり第三者(作者自身?)になったり。辛辣な意見や同情を、道徳的な観念を、そして人間の真理を述べる。これがまたおもしろい。トルストイ氏や、現代作家だとマリオ・バルガス=リョサさんの小説によくあるように。

庫本1冊ごと全ての終わりに、訳者廣野由美子さんによる「読書ガイド」なるものがついている。この作品の背景や読み方がわかりやすく書かれており、良い道標となる。作者ジョージ・エリオットさんの生涯も非常に興味深い。

リュームがあるが読みやすいのは廣野さんの訳がとても優れており心地良いリズムだからだろう。光文社古典新訳文庫を久しぶりに読んだが、栞に登場人物が書かれているのがとても良い。訳者を変えて2回読んだ『戦争と平和』が同文庫から新訳で刊行されたから読んでみようかしら。

f:id:honzaru:20210625003835j:image

中で語り手が述べているように「人はいかにして理想を追求するべきかという問題ではなく、人はいかに挫折を経て理想から遠ざかり、現実と折り合いをつけていくか」がこの小説ではじわじわと記されている。この文章だけ読んだら、人生とは夢も希望もないものだ、なんて誤解してしまうかもしれないが、作品を読み通したら意味がわかるはずだ。是非多くの人に読んで欲しい。

『つまらない住宅地のすべての家』津村記久子|ご近所付き合いも悪くはない

f:id:honzaru:20210615081908j:image

『つまらない住宅地のすべての家』津村記久子

双葉社 2021.6.16読了

 

本のほとんどの地域で、多くの家の集まりがある。それが密集すると一戸建てなら住宅地、マンションなら団地になる。去年読んだ柴崎友香さんの『千の扉』を思い出した。柴崎さんの作品はある古い団地の話だったが、津村記久子さんのこの小説は一戸建て(多分建売住宅)のお話である。

honzaru.hatenablog.com

の作品の舞台は、築30年ほどの戸建が建ち並ぶある住宅地の一角。ちょうど10戸が並ぶ10世帯の家に住む人たちはそれぞれ日常をつつがなく暮らしている、ように見える。というのも今はマンションだけでなく戸建でも隣に住む人のことはほとんど知らないことが多く、隣人をわかっていないからだ。

る日、横領の罪で刑期を務めている女性が刑務所から脱走し、この街の方角に逃げているというニュースを目にする。もちろん、みんなそわそわし出す。これをきっかけに隣人と接点を持つようになっていく。

まらない住宅地、つまり、見た目は何の変哲もなく個性のない家でも、その箱に住む住人はそれぞれドラマチックである。それなりの地位にならなくても、報道されるような有名人ではなくても、その人にとっての人生はなかなか波瀾万丈だ。それが人間の生活、人生なんだよなぁ。

れから何か事件を起こしそうな人でも、日常の些細な出来事や少しの親切心だけでそれを思い止まることができる。ネットでの人との繋がりは否定されがちだけれど、引きこもる寸前の人にとってはSNSを通じた友達から力をもらえることもある。そんな風に、わずかばかりのビタミンをもらえて、そして近所付き合いも悪くないなと思わせる作品だった。

村さんは芥川賞作家というだけありきちんとした文章と巧みな構成で読ませる筆力がある。逃亡犯の行方も気になり、少しミステリ要素もある。津村さんは、どこにでもいる普通の人を書くのがうまいなと感じた。常にまわりの人間を鋭く観察し、どんな人にもあるのになかなか見つけにくい長所を津村さんなら見抜けるんだろうと思う。

くまwebで連載されている津村記久子さんの「苦手から始める作文教室」というサイトをちらっと覗いてみたら、「作文を作るということの意味」「どうやったら文章を上手く書けるのか」がわかりやすく書かれていた。そして、自分の作った文章でお金を稼ぐということは大変なことだよなと改めて思った。

もし気になる人がいたら参考にどうぞ↓

http://www.webchikuma.jp/articles/-/2380

honzaru.hatenablog.com

『月』辺見庸|「ひと」とは一体何なのか?

f:id:honzaru:20210614080652j:image

『月』辺見庸

角川文庫 2021.6.14読了

 

奈川県相模原市にある障がい者施設「津久井やまゆり園」で、19人が死亡、26人が重軽傷を負うという凄惨な事件が2016年に起きた。健常者が障がい者を標的にするという信じがたい事件に胸を痛めた人も多く、一方で同時に考えさせられることも多かった。この事件に着想を得て描かれたのが小説『月』である。

次を目にしただけでただならぬ予感を感じていたが、本文に入りその予感は当たった。これは、重度の障がい者である「きーちゃん」の心の声がそのまま文章になっている。木嶋佳苗事件をモチーフにした柚木麻子さん著『Butter』のような構成かと思っていたら全然違っていた。取材に来ていたマスコミか、または園で働く人が語るような構成を勝手にイメージしていたのだ。

ゃんは目も見えない、耳も聞こえない、身体も思うように動かない、身体的にも精神的にも重度の障がい者であることはわかるのだが、性別や年齢、出生は全くわからない。考えていることが文字になり意味もわかるのであれば、元々は普通に暮らしていた人なのか?でも読んでいるうちにそんなことはどうでも良くなる。

らがなが多く使われている短文。難しい言葉こそが漢字で、ごくごく簡単な言葉がひらがなになっていて、それが逆にリアルな感じに響いてくる。途中、さとちゃん(おそらく死刑囚植松聖をイメージ)という園で働く青年職員の立場にもすり替わるのだけど、9割はあーちゃんの視点で語られる。

ーちゃんの想念の渦の中で、何が本当のことなのか、「ひと」とは何か、「ふつう」とは何なのかを考えさせられる。さとちゃんが何故大量殺人を犯したのか、その真実の答えはわからない。でも決して風化させてはいけない問題である。

ちろん実際の事件とは全く異なるフィクションであるが、園で暮らす人たちにはこんな風に暮らしていたのかもしれないし、もしかしたら加害者のことを1番理解していたのは施設に入所している人だったのではないだろうか。

見庸さんの著作は過去に『もの喰う人びと』というノンフィクションを読んだことがある。元々ジャーナリストだったからか、あまり小説のイメージがなかった。この作品は圧倒的な力で迫ってくるようで、読んだことは絶対に忘れないだろう。

『グレート・ギャツビー』フィツジェラルド|夢と栄光と、孤独

f:id:honzaru:20210611080548j:image

グレート・ギャツビー』フィツジェラルド 野崎孝/訳 ★

新潮文庫 2021.6.13読了

 

メリカの小説を読みたくなる時がある。ポール・オースターさんの作品にしようか迷ったが、この本を手に取る。かなり前に村上春樹さん訳の本を読んだけどいまいちピンとこず、その後レオナルド・ディカプリオさん主演の映画『華麗なるギャツビー』を観てようやく理解できた気がした。映画では豪華絢爛な人物たちの衣装や音楽、凛とした佇まいにうっとりとした。

り手はニック・キャラウェイという30歳の男性。ギャツビーの豪邸の隣人であるニックは、毎夜のように繰り広げられる隣家のパーティーを目にする。彼は一体何者なのか?富と名声を手に入れたギャツビーにはどこか憂いがある。彼は一体どんな謎を秘めているのだろうか。ニックの語りとともに、読者もアメリカ社会の夢と希望、人間の欲望の世界に魅入られていく。

ャツビーはデイズィという1人の女性のために、自分の人生をかけた。偉大でもなんでもない、実は普通の男性であるギャツビー、大人になっても子供のような純粋さを併せ持つギャツビー。ニックは彼に親しみを覚え尊敬するようになる。ギャツビーの生き方や信念は、孤独だけどかっこいい、なんだか憎めない。

イトルが『グレート・ギャツビー』、つまり偉大なるギャツビーとなっているのが皮肉さを表しており素晴らしいタイトルだと思う。着飾って鎧をまとっていても、本当の姿はその人をよく知らないとわからない。ギャツビーを通して、ニックの成長をなぞっていくように読むのも興味深い。

上春樹さんをはじめとして多くの方がこの作品を絶賛しているが、正直なところ、今まではそんなに良さがわからなかった。でも今回読んでみて、アメリカ古典文学の名作たる所以がわかった。なんだか、読んでいるだけで高揚するのだ。

メリカン・ドリームを描いていながらも人間の弱さを垣間見ている感覚。野崎孝さんの訳がこなれていて好みにぴたりと合ったこともあるだろうが、たぶんある程度歳を重ね、人生経験を積んだ時に読む方がなお味わい深く読めるのだと思う。

『大阪』岸政彦 柴崎友香|大人の芳しい上質な随筆集

f:id:honzaru:20210610072402j:image

『大阪』岸政彦 柴崎友香

河出書房新社 2021.6.10読了

 

まれ育った街を「地元」という。小さい頃から転勤を繰り返していた私は、どんな環境でもある程度馴染めるという術をおぼえて育った。小学生高学年から一つの地域に長く住んだから、私が「地元」と言えるのはそこだ。

人になってからは、田舎に地元がある人が羨ましいと思うようになった。しかも、うんと田舎であればあるほどである。電車では帰れない、飛行機や船でないと帰れない、そんな不便な場所。そういう地方に住んでいた子の方が地元愛に溢れていた気がする。でも、もしかしたらないものねだりであって田舎に住む子は都心部の子にそれなりの羨望を抱いていたのかもしれない。

の本は岸政彦さんと柴崎友香さんの共著である。対談というわけでもなく文芸誌に交代で載せたエッセイを1冊の本にまとめたものだ。岸さんは大阪に来た人。柴崎さんは大阪を出た人。だから大阪が地元であるという意味では柴崎さんが当てはまる。

2人が大阪のことを大好きなんだな、そして今いる自分は、住む場所も自分を形作っているひとつの要素なんだなと感じた。大阪愛に溢れているとはいっても「大阪好きやねん」という感じではなく、しっとりとした大人の芳香な文章で彩られた上質な随筆集と呼びたい。大阪弁ではほとんど語られず標準語で書かれている。

阪に入ってきた岸さんと大阪から出た柴崎さんでは、同じ大阪でも感じ方や意識が少し異なるように思う。私も大阪には馴染みがある。だから2人が語ることをそれなりに理解できたしイメージもできた。特に柴崎さんは同性であるし共感を覚えやすい。エレカシの熱狂的なファンだったとは。そして東京は木が大きい(巨木が多い)ことに気づく視点がおもしろい。

会学者で大学教授でもある岸政彦さんについては、名前こそ目にしてはいたが彼の書いた文章を読んだのは初めてだ。柔らかい文章を書く方で結構好みの文体だ。奥様のことを「おさい先生」なんて呼ぶなどなかなかユーモラスで、この方が教授なら講義も楽しそうだ。小説も執筆されているようなので読んでみたい。

honzaru.hatenablog.com

『風土』福永武彦|自分が自分自身になる

f:id:honzaru:20210608073947j:image

『風土』福永武彦

小学館P+D BOOKS  2021.6.9読了

 

年初めて福永武彦さんの小説を読み、特に『忘却の河』に圧倒され、今でも読み終えた時の衝撃と感動は憶えている。その福永さんの処女長編作品がこの『風土』である。24歳の時にこの作品の着想を得て、約10年をかけて書き上げたという。

場人物のなんと少ないこと!一つ前にクリスティー作品を読んでいたからなおのことそう思うのかもしれないが、登場人物紹介がなくても何ら問題はない、誰だったっけ?と思うことさえ一度もなく読み進められるのは結構久しぶりだ。

年早川久邇(くに)、少女三枝道子、道子の母親の芳枝、かつて道子に恋焦がれていた桂昌三(しょうぞう)という4人の男女の愛を描いた作品である。全3章のうち真ん中の2章では、芳枝と昌三の若かりし頃の青春時代に遡る。

い頃の想いは再会してどのように変化するのか。時の経過と人生経験によって、人は必ずしも昔のようにはならない、人生は決して後戻りはできないのだと思った。やり直せないわけではなく、若かった頃の自分には還れないのだ。

去のシーンで、昌三の恩師である黒木先生が生徒の前で話す言葉に非常に考えさせられた。「自分が自分自身になる」とは一体どういうことだろう。

人間の心の奥は分からない。我々の感情の動きにさえも、理性では律し得られないものがある。いくらでも未知の部分が、我々の心に影を落しているのだ。それだから生きるということは、心の中の未知のものを追求して、自分が自分自身になることだ。この、自分が自分自身になるということが、人生に於ける最も大事なことだと先生は考える。(307頁)

の作品では芸術家の苦悩もひとつのテーマにある。ピアノを奏でる音楽家としての久邇、そして絵画を描く画家としての昌三、芳枝のかつての夫。ひとつの小説に音楽と絵画という2大芸術をもってきたことに、少し勿体無く感じてしまう。出来ればどちらかを突き詰めて欲しかった。物語としての完成度は代表作『忘却の河』『草の花』には劣るが、流れるような文章が美しく、登場人物の繊細な心理が生きていた。

ーギャンの絵画と生き方が作品の中でポイントになっている。ゴーギャンこそが「自分が自分自身になる」ことができた人だと福永さんは伝えているようだ。私もゴーギャンは大好きである。手に入れるのが困難なようだけど『ゴーギャンの世界』(福永さん著)という評伝も読んでみたい。

小学館から出ているP+D BOOKSは、後世に受け継がれる名作を新たに発信するためのレーベルで、紙(P:paper)と電子(D:digital)で P+D BOOKSである。私が読んだのは紙の本で、いささか紙質が"う〜ん"なのだが(昔小学校で配られたわら半紙みたいなのだ)、650円と安価で手に入るのは嬉しい。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com

 

『予告殺人』アガサ・クリスティー|殺人をお知らせします

f:id:honzaru:20210607080500j:image

『予告殺人』アガサ・クリスティー 羽田詩津子/訳

ハヤカワ文庫 2021.6.7読了

 

る地方新聞誌の朝刊の広告欄に殺人の予告が出る。これがこの小説の始まり。新聞の広告といえば、求人だったり人探しだったり、昔はペンフレンド募集なんてのもあった気がする。今はこういったものがすべてネット上で行われているから新聞にはほとんど載っていないだろう。殺人予告ならぬ仄めかしは、今やTwitterがお決まりだろうか。

のタイトルを目にした時、すぐさまガルシア=マルケス著『予告された殺人の記録』が思い浮かんだ。しかし内容は全然違う。マルケスさんのほうは一風変わった小説であるが、この『予告殺人』はまさしく、誰が犯人か?なんの目的で?を解いていくザ・古典的ミステリーである。

入部から引き込まれる。新聞紙面で殺人を予告するなんて、いたずらなのか本当に起きるのか半信半疑の街の住民たちは、興味津々で舞台となるリトル・パドックス(女主人レティシアブラックロックの家)に集まる。予告された時間に真っ暗になり銃声が轟き、気付いたら1人の男性の死体が転がっていたのだ。

ス・マープルという老嬢探偵が活躍する最後の謎解きはお見事。小説自体の内容はミステリの性質から何も語れないが、是非読んで楽しんでもらいたい。そもそもマープルよりも事件を捜査していくのはほとんど地元警察のクラドックである。誰をも満遍なく疑い、ひとつひとつ謎をクリアしていく姿が、なるほど警察らしいなぁなんて思いながら。

の小説はクリスティー作品のうち「ミス・マープル」シリーズの4作目。初めはマープルシリーズを敬遠していたけれど、先日『ポケットにライ麦を』を読んで、老婦人マープル、なんて愛おしい方なんだ!とすぐさまファンになる。ポアロだけじゃないのねと。ノンシリーズもいくつか読んだけれど、個人的にはポアロやマープルのシリーズものの方が好みだ。次は短編集を読んでみようか。

honzaru.hatenablog.com

『六月の雪』乃南アサ|台湾に行きたくなった!

f:id:honzaru:20210604083953j:image

『六月の雪』乃南アサ

文春文庫 2021.6.6読了

 

湾は親日国家として知られる。一度でも台湾を訪れたことがある人は、台湾人に親切にされ、料理も美味しく居心地も良く、好きになるだろう。私もそんな1人だ。つい3日ほど前に、日本から台湾へ新型コロナウイルスのワクチン12万回分を送ったことからも、現在も双方がより良い関係を築いていることがうかがえる。

南さんの小説を読むのは久しぶりだ。乃南さんの作品はミステリ仕立てのイメージがあったけれど、この作品からは終始ほのぼのとした優しさが立ち昇っていた。時にはホロリとし、あたかかな気持ちになれる良い作品だった。

人公杉山未來(みらい)は、わけあって祖母と2人暮らし。祖母がかつて台湾に産まれ育ったことを知り、入院した祖母に産まれた街の写真を見せてあげたい、話をしてあげたいと1週間の一人旅に出る。台湾のことを何も知らない未來の視点から語られるこの本は、まるで台湾(特に台南地方)のガイドブックや紀行をまるごと小説にしたような作品である。

分くらいまでは、だらだらと続くな〜と若干感じながら頁をめくっていたのだが、徐々に台湾の人たちの真の心に触れたような気がして、後半はいつの間にかスピードアップして夢中になっていた。日本が台湾を植民地にしていた過去から本来は憎まれているはずなのに、良い日本人がいたおかげで日本時代が良い時代だったことは安心するが、その後の中国による国民党による残酷さを読むと心が痛む。

來は台南旅行の1週間で、同性の李怡華(りいか)と洪春霞(こうしゅんか)、大学生の楊建智(ようけんち)、楊のかつての先生だった林賢成(りんけんせい)らと出会い、親身になってくれる彼女らに感謝と友情のようなものを感じる。李怡華から「台湾人は日本人に比べて感情の表現をそんなにしない」と言われ、その理由にとても考えさせられた。

佐藤春夫さんの短編集を読んだ時に、台湾にとても馴染みがある人だと初めて知ったのだが、この小説の中にも出てきた。この新型コロナウイルスがなければ、台湾(以前は台北だったのでまさに台南!)に行こうかと友人と話していたのになぁ。この小説を読んで、忘れかけていた台湾に行きたい熱が出てきた。

 

honzaru.hatenablog.com

 

『金閣寺』三島由紀夫|美の感じ方と燃え盛る炎

f:id:honzaru:20210601083712j:image

金閣寺三島由紀夫

新潮文庫 2021.6.3読了

 

学生の時、関東に住む私の修学旅行先は「奈良・京都」だった。修学旅行の思い出を手作り絵本にまとめるという課題が出ており、私は「思い出に残った場所ベスト10」として見開き頁ごとに10位から始まりクライマックスに1位がくるように作った。そして金閣寺を映えある1位にしたのだ。

閣寺よりも銀閣寺のほうが好きだったのにも関わらずだ。金閣寺はキンピカド派手すぎて、しっとり落ち着いた銀閣寺のほうが心にすとんとくる。まぁ、そもそも1番気に入ったのは清水寺なのだけれど。

閣を折り紙の金色で作り、絵本としてのインパクトを狙ったのだった。1位に相応しく頁から飛び出す煌びやかな金閣寺は見事に絵本としての体をつとめあげたのだが、自分の気持ちに正直になれなかったことが何やら腑に落ちない思い出となっている。私にとって金閣寺という存在は心に残っている。

の小説は三島作品の中でも数少ない独白体で書かれている。吃音症である「私」は、俗世からの疎外感や孤独を常に感じている。「私」は父親や友人を亡くしたあと、父親のかつての願いから金閣寺で働くようになる。どうして「金閣を焼かなければならぬ」と思うようになったのか、どうして「焼いた後に自決せずに生きる」ことを選んだのか。「私」の心境の変化が三島さんの鋭く美しい文体で迫り来る。

人もの人物が「私」に関与するが、中でも影響力が大きいのは、金閣寺の住職である老師と、大学の友人柏木だろう。決して善人とは言えない2人の行動と発言により、「私」の心はより一層、悪へ向かうかのように加速する。老師や柏木のような存在は、現実にも身の回りにいるはずだし、ほとんどの人の心にある人間の真理だ。

というものは、視覚として感じるだけではない。むしろ本当に美しいと感じるのは、その人がもつ苦しみや悲しみの中にこそ生まれるもので、実は美とは儚く脆いものかもしれない。実物を見る前の「心象の金閣」のイメージが広がりすぎて、初めて目にした時の現実の金閣とのギャップに驚く姿が印象的だった。

間は燃え盛る火を見て気持ちが昂ぶるということがあるのだろうか。寺院や歴史的建造物は燃やされることが多いし、放火犯が火災現場を見て喜ぶかのようなシーンは映像でも想像しやすい。単純に炎を見ているだけで何か高揚するものがあるのだろう。ライターの火、花火、ある意味キッチンのガスやストーブの炎にも然り、炎にはある種羨望と美を見出すのだ。

がこの小説を読むのは3回めだ。まだ未読の作品があるのにも関わらず、折に触れて読み返したくなる三島作品がいくつかあり『金閣寺』もそのひとつ。そもそも、NHKの番組『100分de名著』で5月の課題本となり、4週にわたって平野啓一郎さんの解説を聞いたことが読み返すきっかけとなった。

んな読み方があるんだ、こういう視点で読んでいたんだ、と平野さんが語る内容に終始納得しっぱなしだった。番組で取り上げられた文章が、頁の中で太字になっているかのように目立ち、鮮明に頭の中に残る。

めて、今回読んだ『金閣寺』は、理解度が高かった。それも平野さんのおかげだ。しかし、再読ならとてもタメになるが、まだ未読の人はあのような立派な解説を先に聞くのはおすすめしない。やはり、自分が何を感じるかは、他人の解説や感想を見ないまっさらな状態の方が良い。そうそう、平野さんの新刊『本心』も早く読まねば。

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com 

honzaru.hatenablog.com

honzaru.hatenablog.com