書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『天路の旅人』沢木耕太郎|未知の土地を歩くことが全てに勝る

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『天路の旅人』沢木耕太郎

新潮社 2022.12.22読了

 

二次世界大戦末期、敵国である中国の奥深くまで潜入した諜報員西川一三(にしかわかずみ)さんのことを書いたノンフィクション作品である。西川さんは諜報員であることを隠すため、巡礼と称して蒙古人ラマ僧になりすました。しかし、もはや彼は本当に巡礼の旅をしたと言えるのではないか。天路、つまり「天へつながる道・天上にあるとされる世界・鳥や月が通る空」を旅した人、悟りを開いた人間の生き様が書かれている。

西川さんは、8年間の巡礼を終えて日本に帰ってきた後、『秘境西域八年の潜行』という総頁数にして2千頁にも達する紀行作品を書き上げた。本人による著作があるのに、何故沢木耕太郎さんは改めて彼のことを追いこの本を書いたのか。

木さんは西川さんと何度かお酒を飲み交わしながら話を聞くが、西川さんのことをどう書いたらいいかわからない。取材を終えた後10年程そのままにしていたら、ついに西川が亡くなってしまう。一周忌に線香を上げにいこうとするも、西川の妻の体調不良やらで機会を逸し縁がないものと諦めかけていたが、ほうぼうに手を尽くしたところ、なんと『秘境西域~』の原稿が手に入る。まさに僥倖。こんなにも1人の人間に執着する沢木さんにある種の恐れを抱き、ノンフィクション作家とはこういう人なんだなと脱帽した。ある人物を徹底的に掘り下げるほど興味を持つ、それが出来る人。

 

困難を突破しようとしているときが旅における最も楽しい時間なのかもしれない。困難を突破してしまうと、この先にまた新たな困難が待ち受けているのではないかと不安になる。困難のさなかにあるときは、ただひたすらそれを克服するために努力すればいいだけだから、むしろ不安は少ない。(163頁)

もそもが、行き当たりばったりの旅であるのだから、何かが起こるのは自明のこと。それでも、物理的に超えられない山や谷、抗えない気候が巡ってこようとも、不安という精神的要素に比べれば大したことはない。人間にとって一番の困難であり魂を脅かすのは、精神的な部分だと言える。

ベットで西川は初めて托鉢をすることになる。物乞いのようなことをしたくなかったがやむを得ない。しかしこの新たな経験も自らの血となり骨となる。托鉢をしながら旅をするあり方が、自らを鍛え、人を見る目を養っていく。

境を越え、各地を巡礼するうちに、欲がない自分だからこそ周りのみなが親切にしてくれるのかもしれないと気付く。西川さんは、その日に食べる食料さえあれば、どこで寝ようとも何をしようとも構わないという、もはや仏の境地に辿り着いたのである。

い時にこのような過酷な旅路を全うすることで、その後の人生にどんな困難が襲いかかったとしても、乗り越えていける力が身に付くのだと思う。忍耐力、精神力、つまり生きるための力。

西川さんの生き方、特に「未知の土地を歩くことが全てに勝る」という考え方は、私たちが「安心安定が良いもの」という固定観念に縛られすぎていることに疑問を投げかける。未開の道へ挑戦することの意義を教えてくれているように思う。未体験のことは果敢に挑戦しようと思えた。

 

の『天路の旅人』は、購読している田舎教師&都会教師 (id:CountryTeacher)さんのブログでも取り上げられていた。「人に教える」職業に就く彼ならではの視点で書かれたブログは、読ませる文章であり「気づき」も多い。

www.countryteacher.tokyo

人が書く自伝と、他者が書くノンフィクション。自らが見て感じたもの、第三者が見て感じたもの。それぞれが存在するからこそ、読む者へ訴えかけてくるものが必ずあるのではないか。私は『秘境西域〜』をまだ読んでいないが、両方読むことで雄大なる景色と人間力がみえてくるだろう。ひとまず沢木さんのおかげで、この稀有な旅人西川一三さんのことを知ることができ感謝する。

『英国クリスマス幽霊譚傑作集』チャールズ・ディケンズ他 夏来健次編|クリスマスに読みたい怪談

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『英国クリスマス幽霊譚傑作集』チャールズ・ディケンズ他 夏来健次

東京創元社創元推理文庫] 2022.12.19読了

 

の手の季節感がある作品(特にタイトルになっているもの)は、時期を外すと一気に読む気が失せてしまうので、クリスマス前になんとか読み終えた。作品を味わうのに季節も何も関係ないのに、やはり夏にはあんまり読みたくない。

の表紙を見て、ぞくぞくしてたまらない。暗がりの中、鏡に映るロウソクとそれを見つめる横顔の女性(顔よりもロウで出来たような手)に惹かれたのもあるけど、何よりも「英国」と「ディケンズ」に反応してしまったようなもの。イギリス人って幽霊や怪談が好きなのか〜。この本にはクリスマスと怪談にちなんだ13作の短編が収められている。

 

の同じようにほとんどの人が、チャールズ・ディケンズの名前でこの本に反応すると思うが、トップを飾る彼の著者『クリスマス・ツリー』は期待していたものではなかった。そもそも、この本に名を連ねている作家で知っているのはディケンズだけ。他12人については、作品を読んだことはおろか、名前すらも初お目見えだ。中でもおもしろかったのは下記3作品であった。

 

『鋼の鏡、あるいは聖夜の夢』ウィリアム・ウィルシュー・フェン

毎年恒例のクリスマス行事のため「私」は友人の住む古屋敷を訪れた。病床の妻を残して単身だったこともあり、不安な気持ちのまま鏡の部屋で眠ろうとする。そこで私が鏡に見たものとは…。典型的な幽霊譚であるが、展開がわかってはいてもぞくぞくと怖気が沸いてきた。そう、この作品が表紙のイラストになっている。

 

『海岸屋敷のクリスマス・イヴ』イライザ・リン・リントン

海のそばに建つ古い海岸屋敷を住居に選んだウォルターとその妻アリス。アリスはいつしか病気がちになり幻覚をみるようになる。母親の提案で離れを洗濯室に改造することするが、これをきっかけにして屋敷にまつわる恐ろしい過去を知ることになる。この話は想像するだけでも怖かった。特に管理人ペンリースが恐ろしい。

 

『胡桃屋敷の幽霊』J・H・リデル夫人

曰くありげな古屋敷の新たな所有者となったエドガーは、ここに住みつく男の子の幽霊を見る。過去を探るミステリー的要素があり大いに楽しめるし、幽霊が出てくるのに、主人公は怖がらずに解決をしようとする強い意志があり頼もしく、読了後は幸せな気持ちになれる良い作品だった。

 

は煌びやかで、子供たちは笑顔、恋人たちも幸せそうなクリスマスの光景。私はこの作品集を読んだからか「クリスマスといえばお化け!」がセットになってしまった。しかし幽霊譚は嫌いじゃない。それにしても、古いお屋敷や船、絵画、そんなのばかりだ。SF小説に幽霊が出てこないのは、幽霊と呼ぶよりも「宇宙人」「未確認生物」の概念になるからなのか?

えば、クリスマス近くになると、アガサ・クリスティー著『ポアロのクリスマス』を読もうという気持ちでいるのに、毎年機会を逸してしまっている。来年になってしまうかなぁ。2年連続でクリスティーの冬にちなんだ短編集『クリスマスの殺人』が早川書房から豪華版で刊行されており、これも気になるところ。

『完全犯罪の恋』田中慎弥|文学を通した共犯関係

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『完全犯罪の恋』田中慎弥

講談社講談社文庫] 2022.12.17読了

 

田中慎弥さんの書くものが好きだが、同時に彼自身にもとても興味をそそられる。私生活はどんな風だろう、どんな人を恋愛対象にするんだろう。彼の思考と文章があれば好みの女性を一発で落とせそうだけれど…。とは思うけど、田中さんが好きになる女性が文学好きとは限らないか。

もそも、彼が恋愛に溺れている姿は想像できない。だから、初めての恋愛小説ということで興味津々で読んだのだ。フィクションではあるけど、こと恋愛小説に限っては自分の体験が多少は影響されているのではないかと。

家である40代後半の独身男性の田中の元に、ある若い女性が現れる。彼女は、高校生の時に田中が交際していた女性・緑(みどり)の娘・静(しずか)だという。目元がかつて愛した人に似ているからか、会ううちに田中は静に特別な感情を持つようになる。田中は高校生の頃の淡い体験を回想する。そこには常に文学があった。田中が愛しているのは、緑なのか、緑を投影した静なのか、はては自分と同じく文学に傾倒している相手だからなのか。

も小さい頃から本が好きだったが、学生の時はどうだったかというと、部活やバイトに明け暮れていてそんなに読んでいなかった。だから、田中や静のように、図書館に入り浸るという生活をしてはいない。本の素晴らしい世界に学生の頃から魅了されていたらどうなっていただろう。そこで自分と同じような人を見つけたら。大人以上に本の会話を友人とすることは滅多にない中で、特別な存在となるに違いない。

きな作家がいるからとて、その作家と同じ死に方をする(しろ)とはまた突拍子もない。でもこの作品の中では「死」に対して、小説家と一体化したものとみなしている。小説で未来永劫に一番のテーマになる「死」に対して、恋愛を絡めて攻めている。

中と緑、または田中と静の掛け合いも興味深かった(方言がまた良い)が、何より私は田中が地元・下関で講演をする場面が印象に残った。最後に田中は、高校生の時の恋愛に30年かけてようやく決着をつけたように思える。

ーん、やはり田中さんの書く文体は好きだなぁ。理屈っぽさ満載の、しかし過激な描写と穏やかさがないまぜになった刺激的な心地よさ。正統派の純文学作家としてこれからも書き続けてほしい。もし万人受けする小説に転向してしまったら田中さんの良さがなくなってしまう。田中さんといえば芥川賞受賞時の会見のイメージだ。先日第168回芥川賞候補作が発表されたけど、知った作家は2人だけだったなぁ。

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『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』リチャード・オスマン|ダイヤモンドの行方は

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『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』リチャード・オスマン 羽田詩津子/訳 ★

早川書房[ハヤカワポケットミステリー] 2022.12.15読了

 

いに木曜殺人クラブの続編が出た!シリーズ一作目がとてもおもしろかったので、楽しみにしていた。とは言っても、読んだのが1年以上前だから謎解き要素は実はあんまり覚えてない。ミステリー小説って、バックグラウンドみたいなもののほうが意外と記憶に残る気がする。登場人物たちの背景やら、仲間との会話やら、その舞台となる場所から立ち昇る空気やら。

はり、謎だらけだったエリザベスの過去から物語が展開していく。エリザベスと昔関わりがあった男性にダイヤモンド盗難の容疑がかけられ、助けを請われる。一方で、探偵クラブのメンバーのイブラハムが暴行を受ける。高齢の探偵もどきのメンバーの血がまたしても騒ぐ!

の作品の構造と語り口は読者の心を鷲掴みにする。今回もまたジョイスの手記がスパイスとなっている。そして探偵クラブに所属する70代の男女4人の行動と思考が魅力的なこと。エリザベスはもちろん、おせっかいだけどかわいらしいジョイス、男らしく頼りになるロン、朴訥だけど深い優しさを持つイブラハム。放っておけないのが、クラブのメンバーではないけど建設業者のボグダン!彼は一体何者なんだろう。

らのウィットに富んだ会話がもうセンスの塊!人生経験に裏打ちされた審美眼。それから、この作品に取り憑かれるのは、クラブのメンバーも含めてみんながみんな100%信用できないところのんじゃないだろうか。「いや、待てよ。もしかして彼(彼女)が…?」なんて疑うシーンが一度や二度ではない。

作目は古典的な英国ミステリーだったのに対して今回の作品は現代ものを読んでいる感じがした。70代の男女がこんなにも行動的なわけないよな〜と思いながらも「やったれ!」と応援している自分に気付く。こんな仲間がいて、こんなワクワクがあって、こんな老後だったら刺激的で楽しいだろうなぁ。

もそも邦訳される(そもそも本国で人気がないと邦訳されないと思うし)英国作品はたいてい好きなのだけれど、現代英国ミステリーのなかでは飛び抜けて好きなシリーズだ。ミス・マープル作品が好きな方はどハマりだと思う。未読の方は是非シリーズ1作目からどうぞ。

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『アンネの日記 』アンネ・フランク|死んでもなお人々の心のなかに生き続ける

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アンネの日記 増補新訂版』アンネ・フランク 深町眞理子/訳

文藝春秋[文春文庫] 2022.12.13読了

 

日読んだ『あとは切手を、一枚貼るだけ』という小川洋子さんと堀江敏幸さんの共著作品(2人の書簡小説)で、小川洋子さんのパートで何度も登場したのがアンネの日記である。久々に読みたくなった。読むのは3回目である。1度目は子供の頃でほとんど覚えていない。

読したのは大人になってからで、その時はアンネの純真無垢さ、大人の仲間入りをする思春期の想いが溢れていたことを覚えている。そう、ユダヤ人迫害、人種差別に対する実態を知るための日記としてだけでなく、ある少女の思春期の成長を記憶した書物でもある。

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ンネ・フランクはドイツのフランクフルト生まれで、ドイツ系ユダヤ人家族として育つ。ヒトラーによるユダヤ人弾圧政策を逃れて、オランダに移る。「隠れ家」で過ごした約2年の間にアンネによって書かれたこの日記は、日記文学の最高峰と謳われている。

 

愛なるキティー

で始まる日記。キティーという友達を空想のなかで作りあげて彼女に話しかけるように綴っていくアンネ。これって実はすごく良い考えだ。誰かに聞かせるために書くようにすると、自分だけの記録に留めるのに比べて、読みやすくわかりやすく書くから自然と良いものになる。

記を書き始めの頃は、まだ隠れ家での暮らしを楽しむようで、文面からも戦争下とはあまり感じられない。学校での出来事を懐かしむところでは、先生や友達とのやり取りが鮮やかに想像できる。アンネは「ここにいるわたしたちは、なんとしあわせなのでしょう(124頁)」と本心で思う。多くのユダヤ人が連行される中、なんの心配もなく、食べ物も暮らす場所もある自分達家族は幸せだと話す。それでも、日を追うごとに少しづつ変わっていく。

1943年10月30日の日記には、悲しみに陥ったアンネは、キティーに向かって弱音を曝け出す。本当は、大好きなパパに甘えたい、理解してほしいのに、根っからの感情的・攻撃的な性格から素直になれない。誰か自分を愛してくれる人から一度でいいから励ましてほしい。苦しみの中、それでも最後にはキティーに約束するのだ。「どんなことがあっても、前向きに生きてみせる、涙をのんで、困難のなかに道を見出してみせる」感情が爆発しそうになっているアンネはキティーに本音をぶちまけることで冷静になる。

ェルターに隠れて一歩も外に出られない暮らしをしているアンネが、こんな風に自分を見失わずに過ごせたのは、ペーターの存在も大きい。フランク一家とともにこの隠れ家に住まうファン・ダーン夫婦の息子だ。最初はなんの感情もなかったアンネとピーターが徐々に心を通い合わせ恋仲になる。思春期独自の女の子の想いと戸惑いと葛藤が、読んでいてドキドキした。

んなにも真っ直ぐに瑞々しく自分の想いをさらけ出し、周りの人々を鋭く深い洞察力で見つめ、自分ががどう生きるかを模索するアンネ。語彙力も表現方法も優れている。これをわずか13歳の少女が書いていたなんて信じ難い。日記でのなかでも将来の夢はジャーナリストまたは作家と書いていた。アンネは15歳という若さでその生涯を終えてしまうが、もし生きていたら素晴らしい文筆家になっていたに違いない。しかし「死んでもなお生き続けたい」と誓ったアンネは、この日記とともに人々の心に生き続けるのだ。

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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』川内有緒|誰かと一緒に過ごして得られるもの

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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』川内有緒

集英社インターナショナル 2022.12.5読了

 

の作品は去年の9月に刊行され、私が買った本の奥付を見ると既に9刷の版を重ねている。2022年Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞した、ほっかほかに流行っている本である。

の見えない人が美術館に行くってどういうことなのか?見えないのに楽しいのか?感じることができるのか?と不思議だった。けれど、これを読んで目から鱗が落ちる思いになった。今まで自分がいかに浅はかに絵を観に行っていたのか、美術館巡りが趣味のひとつだなんて、ちょっと知的な響きに酔いしれていただけなのだと。

鳥さんは生まれた時から弱視で、中学生のときに全盲になったという。大学生の時にあることがきっかけで美術鑑賞に目覚めるようになった。彼は誰かと一緒に美術館に行き、その人が絵について語ることを想像しながら、耳を使い、手をつかい、空気を感じとる。そして相手が発する言葉を咀嚼する。それが白鳥さんならではの鑑賞方法だ。20年来の友人マイティから誘われ、著者の川内有緒さんは白鳥さんと一緒に、たくさんのアートを見にいくことになった。

然のことながら、本だって読む人により感じ方、受け止め方は違う。それでも、美術鑑賞ほどには異なることはない。だって文章にはそもそも詳細な描写があるのだから(もちろん行間を読むという意味では違うが)。しかし絵は見たまんま。絵には画家からの解説があるわけではない。その背景も何もかも、見て何を感じるかはその人により大きく異なる。

前テレビ番組で、初対面の人と旅行に行くという企画があり、あるタレントさんの相手が全盲の人だったのを思い出した。その時も、これを読んだのと近い感想を抱いたのを覚えている。私たちは、目の見えない人に対して過剰な気遣いをし過ぎるのだと。ひとつの個性として捉えればいいだけのことなんだと。

抵の人と同じように私もマッサージを受けるのが好きで、結構な頻度で施術を受けている。15年ほど前に、ある有名デパートに入ってる店舗に全盲の施術師がいた。確かに按摩師には全盲の人が多い。見えないからこそ揉むという行為に神経を集中することができ、普通は気付かない部分に気付くことができるからこの職業を選んでいる人が多いと思っていた。

かし「とりあえず資格をとっておけば良い」という感覚で資格を取り、そのまま職業にする人が多いだけらしい。職業の選択肢が少ないからやむを得ないのだ。でも、白鳥さんは一歩前を行く。健常者ですら勇気を持って前に進まない人が多いのに、白鳥さんは果敢に挑戦し続ける。

知らない世界に行くときってちょっと怖い。でも、その怖さとワクワクはセットなんだ。そう考えると、不確かさがないところにワクワクはないのかな。確かな世界にずっといたら、居心地はよくても人生としては面白くないのかもねぇ(136頁)

ンフィクションというカテゴリーになっているが、どちらかというとエッセイのようだった。なんといっても会話をしているような文体でさくさくと読みやすい。これなら、本が苦手な人でも、絵に興味のない人でも、たとえ目が見えない人でも、読むことができる。川内さんが白鳥さんと一緒に過ごしたことで得られたものを感じられる。あぁ、私も誰かと一緒に美術館に行って語り合い、その時間を共有したい!

『銀花の蔵』遠田潤子|醬油蔵を継ぐこと、家族をたぐりよせること

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『銀花の蔵』遠田潤子

新潮社[新潮文庫] 2022.12.4読了

 

外小説が大好きなのに、時々疲れてしまうことがある。おそらく翻訳された文章に気疲れするのだろう。現代は優れた邦訳がとても多く、そのおかげで私たちは素晴らしい世界文学に触れることができるのだけれど、原文を翻訳した文章だと思うだけで、何かの変換モードが働いてしまい、少し頭のどこかを余分に働かせてしまうようだ。既に日本語に変換されているはずなのに。

んなわけで日本人が日本語で書いたもので、すらすら読めるもの、そして出来ればまだ読んだことがない作者のものを、と手に取ったのがこの『銀花の蔵』だ。この作品だは直木賞候補に選出されたこともあり、なるほど、余計な気疲れを微塵も感じさせず、ただただ読む行為に没頭できた。

良にある由緒ある醬油蔵を引き継いだ銀花の過酷な運命が、昭和史とともに繰り広げられていく。銀花は決して幸福な家庭で育ったわけではない。むしろ多くの困難を抱えて生き延びてきた。それなのに、小さな頃から少しもグレることなく我慢強く真摯に生き抜く。父親が残した「食いしん坊の女の子」という絵を見た銀花は号泣する。読んでいて、この場面には涙が潤んだ。

ではない罪は普通の罪よりずっとタチが悪い、という文章を読んで「あぁそうだよな」とすとんと落ちる。極悪犯罪ならばいっそのこと憎しみを持てるのに、どうにもならないことで誤って罪になってしまったら。もちろんその罪は償わなくてはならないのだけれど、本人にとっても周りにとってもこの痛みはどこにもぶつけようのないものだ。

くからの歴史を持つ醬油蔵を盛り立てるというよりも、銀花が「本当の家族」をたぐり寄せる物語だった。それにしても、こんなにも紆余曲折のある人生なんてあるのだとうか。じっくり考える暇もないほど様々な出来事が次々と起こる。遠田さんの作品はある種ミステリー要素もはらんでいるから、映像化したらおもしろくなりそうな気がする。

て、蔵と聞いて思いつくのは酒蔵で、酒蔵といえば宮尾登美子著の小説『蔵』である。蔵元の一人娘、目の見えない烈を巡る感動的な作品だ。解説によると、著者の遠田潤子さんも宮尾さんの『蔵』が好きでそこから着想を得たようである。

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『ラブイユーズ』バルザック|散りばめられた人生の教訓と重層的な人間模様

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『ラブイユーズ』オノレ・ド・バルザック 國分俊宏/訳 ★

光文社[光文社古典新訳文庫] 2022.12.3読了

 

ルザック著『ゴリオ爺さん』を15年ほど前に読んだ時、実は最後まで読み通せなかった。おもしろさを感じられなかったからなのか、当時はまだ翻訳ものを上手く読みこなせなかったからなのか不明だ。だからバルザックについては苦手意識があった。敬愛するサマセット・モームが天才だと認めたバルザックを私は理解できないのかと、少し残念な気分を常に持っていた。

 

フランス革命直後、ナポレオン帝政から復古王政に至る時代である。この頃のフランスは動きがあってやはりおもしろい。タイトルの『ラブイユーズ』というのはある女性のあだ名である。確かに作中では稀代の悪女でなかなかの個性を放つが、ラブイユーズを中心に物語が進むわけではない。主人公といえるのは、軍人フィリップと画家ジョセフの兄弟だと思う。真のタイトルは「兄弟」もしくは「遺産相続」といったところか。

んとも興味深い(ストーリーというより読んでいる自分の思い入れが変化することに)のが、前半はあんなにひどく最低な男性だと思っていたフィリップが、後半に入ってヒーローめいた存在になるところだ。ジョセフの仇をなんとか打ってくれと思わずにいられない。まぁ、その思いもまた裏切られるのだけれど…。

 

時のパリでは三段階の貧困が存在していたという。一つめがまだ将来に見込みのある人間の貧困、二つめが全てがどうでもよくなった老人達、そして最後は下層庶民の貧困だ。貧困者をこのように見定めて何を判断していたのだろう。

た、臆病さには、心の臆病さと神経の臆病さの2種類があるという。つまり、身体的な臆病さと精神的な臆病さと言えるが、この二つの臆病さが1人の人間の中に集まると、その人間は生涯を通じて役立たずになる。

らに、残念なことに恋愛においては打算による見せかけの愛の方が真実の愛に優る。だからこそ、世のあれほど多くの男が演技に長けた嘘つき女に騙される。このように、なかなか皮肉めいた言い回しで読者に語りかけるバルザックには、やはり人間の観察力の賜物であるのか名言が多いと言える。

 

む前にはバルザック作品を楽しめるか不安だった気持ちが嘘のように、とても楽しめた。物語世界と人間の様々な感情のせめぎ合いがおもしろく、散りばめられた人生の教訓に頷きながら、重層的な人間模様に虜になった。バルザックが書くものは好みであると思った。導入がくどく蘊蓄もふんだんであるが、好きな人はたまらないだろう。昔読んだ時はどうかしていたのか。もう一度『ゴリオ爺さん』を読もうと思う。

文社が刊行している通常の文庫レーベルはそんなに手にしないが、古典新訳文庫はやはり良い。優れた古典を新しい訳で蘇らせ、名作を末永く残していこうという気概が感じられる。登場人物が印刷されている栞も結構気に入っている(全ての作品ではないが)。

『三十光年の星たち』宮本輝|人間としての深さ、強さ、大きさを培う

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『三十光年の星たち』上下 宮本輝

新潮社[新潮文庫] 2022.11.30読了

 

っと古めかしい作品なのかと思っていたが、読んでみるとそうでもなかった。毎日新聞に連載された作品で、単行本になったのは平成23年だ。確かに新聞に連載になるような品行方正さがあり、すらすらと読みやすい作品だった。

に勘当され恋人にも逃げられ、職もなくうだつの上がらない青年坪井仁志(つぼいひとし)は、80万円の借金をすぐには返せないため、金貸しの佐伯平蔵(さえきへいぞう)の仕事を手伝うことになる。毎月僅かながらも長年借金を返済し続けた女性に会いに行くため、運転手として一緒に旅路に出る。

手のことをほとんど知らない2人が遠出するという突拍子もない展開がまぁあり得ない設定なのだけど、読んでいるうちに物語世界に引き込まれてしまい、仁志の今後や、曰くありげな佐伯老人のことが気になって気になって仕方なくなる。

志は、佐伯と仲良くなってから、影響を受ける人に多く出会う。植樹運動に情熱をかける人、スパゲッティソースへこだわりを持つ人、焼き物や染色の職人など、専門的なものにこだわりを持った人々に触れるにつれ、自分の生き方を真摯に考え成長していくのだ。 

世の中のありとあらゆる分野において、勝負を決するのは、人間としての深さ、強さ、大きさだ。鍛えられた本物の人物になるには三十年かかる(下巻138頁)

十年後に大きな宝物となって返ってくるものとは何だろう。3年後10年後をみすえて目標を立てるというのはよく聞くけれど、30年後という年月を想像することはあまりない。宮本輝さんは、75歳の読者から「30年後の自分を楽しみにして生きる」と告げられて感激したという。

分の一生で、人生を指南してくれる人に出会えるのもまた奇跡である。仁志でいう佐伯のように。しかし、人生を振り返ってみた時に「あの人は実は自分のために言ってくれたんだな」と思うことが多々ある。当時は気づかなかったその人こそが恩師なのかもしれない。この人だと思える人物にリアルタイムで気付けるかどうかもまた自身の力なのだろう。

もそも『流転の海』という大作を書き上げただけでもとんでもないことなのに、宮本さんは他にも多くの小説を生み出している。読もうとしていた本が書店になくて今回はこの作品を選んだけれど、やはり安定感がある。純粋に物語を気持ちよく読めて優しい気持ちになれる。読後感としては『ドナウの旅人』に近い。

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『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』ロバート・コルカー|家族とは何か

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統合失調症の一族 遺伝か、環境か』ロバート・コルカー 柴田裕之/訳 ★★

早川書房 2022.11.27読了

 

んな家族が実在したなんて信じられない。統合失調症以前に、今どき12人も子供を産む夫婦がいることにまず驚く。その子供のうち半数が統合失調症になってしまったある家族についての衝撃のノンフィクションである。

のひときわ目を惹くジャケット(何かとてつもない怖さを感じる)に吸い寄せられるように、数日間この本の世界に没頭した。これが現実にあったことだと思うと、おもしろいという表現は少し違うけれど、読み物としてこんなにも夢中になり心を揺さぶられた作品は久しぶりである。

分の家なのに、兄たちを恐れて両親の寝室で内側から鍵をかけて両親の帰りを待つという生活はどんなだろう。それなのに、自ら警察を呼び連行された兄に対して、一番末っ子のメアリーは罪悪感を持つのだ。次々と病んでいく兄弟を目にし、彼らに怯えるだけでなく自分もこうなるのではないかという恐怖。そんな子供たちと暮らす父母の様々な葛藤。あぁ、彼らは一体どうなってしまうのだろう。

ャルヴィン一家が辿った経緯が克明に記される傍ら、統合失調症における科学的研究の経緯が挿入されていてとても興味深い。のちに統合失調症と改名される疾患について最初に主要な作品となった『ある精神病者の回想録』が気になる。弁護士・裁判官だったダニエル・パウル・シュレーパーは、51歳の時に発症し自ら回想録を記した。また、『ジェネイン四つ子姉妹』という家族性統合失調症の研究書も気になった。今回読んだ本では、統合失調症の原因究明や予防の発見を目指すリン・デリシとロバート・フリードマンの功績が非常に大きい。

の本の問いかけである【統合失調症は「遺伝」なのか「環境」によるものか】については、長く論争が繰り広げられてきたが、未だに結論は出ていない。一つの原因というわけではなく総合的なものなのだろう。長年の研究で変化があったのは「統合失調症という診断の本質の捉えにくさを認め、すべてに当てはまるような定義などないという認識に至ったこと(452頁)」だという。

分たちの家族を世間に知ってもらうために全てを明かしたリンジーの勇気は賞賛に値する。しかし誰よりも強く人間としての存在感を放つのは母親ミミであることは疑いようがない。12人の子供を産み、育て上げ、夫の介護もし、誰1人として見放さずに家族でいたのだ。これは「家族とは何なのか」を説いた作品でもある。ギャルヴィン家で起きたことは決して他人事ではないと思う。程度の差があるだけで、誰しもが統合失調症の片鱗を持っているのではないか。

バマ元大統領が選ぶ年間ベストブックに名を連ねる本は、私にとってすごく気にいるかあまり合わないかの両極端なのだけれど、この本は素晴らしかった。素晴らしいというか凄まじい。人間は、死や生、精神、狂気に対してどうしてこんなにも惹きつけられるのだろう。ノンフィクションでは『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』以来のめり込んだ本だ。

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