書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『叫び声』大江健三郎|青春時代の難所

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『叫び声』大江健三郎

講談社文芸文庫 2021.11.8読了

 

み大き青春の時代を歩む若者にこの本を読んで欲しい、そして人生の最初の難所を克服する助けとなれば、という思いで大江さんはこの小説を書いたそうだ。でも、若者でこの作品が理解できる人はそうそういないのではないか。もう人生半ばを過ぎた頃に書かれたものかと思いきや、大江さんがこれを書いたのは20代後半だと言うから驚きだ。

江さんの小説を読むと、いつものっぴきならない空想の世界に足を踏み入れてしまい、彼の頭の中は一体どうなっているんだろうと、その想像力に圧倒される。それでもこの小説はまだわかりやすいほうだ。私が読んだいくつかの作品のほうが確実にぶっ飛んでいる。

人公はフランス文学を専攻する20歳の大学生である「僕」。娼婦との性交から変な妄想に取り憑かれてしまう。医師から紹介されたアメリカ人ダリウス、「虎」と呼ばれる混血の17歳の少年、毎日オナニーに興じる18歳の呉鷹生と一緒に、船出をする目標を持ち共同生活を始める。

場人物たちのなんと奇天烈なこと。まぁ、大江さんらしい。思春期には誰もがなんでもできると思い込み、突っ走っていく。彼らは希望を夢見て絶望を味わうように前に進んでいく。若者が一緒に住めば固い友情も芽生える。

こかシニカルで冷めた笑いのようなものがある。人間は元来孤独な生き物で、自らの「叫び声」を身体から発している。心の声が我慢できず表に出てしまうのもまた青春時代ゆえなのだろうか。

説を書いている方は、若い頃にこの小説を読み、友人らと共にあれこれと語り合ったそうだ。そう、大江さんの作品は自分1人の解釈ではとうてい理解できない。それぞれがいろんな尺度で感じ、思いもよらない作品の捉え方があるだろうし、例えその解釈が間違いであったとしても、語り合うことで生きてくる文学が大江文学なのかもしれない。でも、語り合える相手を身近で見つけるのはなかなか難しそうだ…。

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『やさしい猫』中島京子|日本の入国管理制度をすぐにでも考え直すべき

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『やさしい猫』中島京子 ★

中央公論新社 2021.11.6読了

 

年の5月まで読売新聞の夕刊に連載されていた作品が単行本化された。ジャケットだけみると、猫が出てくるほのぼのとしたお話なんだろうと予想してしまうが、これがどっこい、とても重いテーマなのだ。でも、心に残る良い小説だった。涙してしまうような場面が何度もあった。

イトルの『やさしい猫』とは、スリランカ人のクマさん(本当はクマラさん)がまだ小さかったマヤに話し聞かせてくれた母国に伝わる童話のようなもの。優しくておもしろいクマさんは色んなことを教えてくれる。

り手のマヤは、母親のミユキさん(この作中ではさんづけ)と2人暮らし。ミユキさんは、震災ボランティアで知り合ったクマさんと1年後に再会しお互いに大切な存在となっていく。クマさんと3人でささやかではあるが楽しく暮らし、紆余曲折ありながらもようやく結婚することに。そんな矢先、クマさんは逮捕されてしまう。

退去強制令を出された人は入管施設に収容される。しかもそれは「無期限収容」であるらしい。犯罪者ですら刑期が決まっているのに。まるで犯罪を犯したように扱われ、病気になっても病院で診察してもらうことも叶わない。まさに、現実であったウィシュマさんのニュースのように。

リランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が、収容中の名古屋出入国在留管理局の施設で病死したこと、その後母国から姉妹がやってきて涙を流し訴えていたニュースは、今年の春ごろに頻繁に流れていた。明らかに日本の入管が、人を人として扱ってないように見えて「何かがおかしい」とは思ったけど、あまりピンと来ていなかった。私は何も知らなかったのだ。

マさんが、ミユキさんにビザや就職のことを相談できなかったのは「日本人は、入管のこと、在留資格のことを、なにも知らないから」だと話す。そうなのだ、私も含めて多くの人が理解していないのだ。外国人がどんな気持ちで日本で暮らしているのかということ、ちゃんと働き税金も納め、真面目に頑張っていること、愛する人とただ一緒にいたいだけなのに、こんな法律がまかりまかっていること。

本の入管制度はやはり普通じゃないんだと呆然とする。こんな大切なことなのに、どうして何十年も変わらないんだろう。私1人が気付いても、この本を読んだ人が考えるようになっても、ウィシュマさんの件で学びおかしいと思った人がいても(実際多くの人が警鐘をあげている)、この国の法律をすぐに変えることは難しいだろうけれど。それでも、興味を持つ人が1人でも増えないと何も進まない。

は私は過去にスリランカに旅行したことがある。シギリヤロックは圧巻だった。滞在中に出会ったスリランカ人ガイドさんの優しさと人懐っこさがとてもありがたく身に沁みた。ガイドさんとメルアドを交換したのも初めてだった(その後2回くらいメール送って終わったけれど)。だから、それを思い出してしまい、クマラさんに感情移入したこともあるかもしれない。

島京子さんは直木賞を受賞されているだけあり文章も読みやすく、構成やストーリーがきちんとしている。特に会話文が秀逸だと思う。会話がすぐそこから聞こえてきそうだ。そして法廷場面の息もつかせない展開。法定ミステリ小説ほど難しくはなく、高校生のマヤの視点で語られているからとてもわかりやすい。

の作品は書店でもネットでもあんまり目立っていないようだが、日本人として今まさに読むべき題材が書かれている。物語としてもとてもおもしろく読め、さらに感動する。是非多くの人に読んで欲しい。

『エリザベスの友達』村田喜代子|忘れられない大切なひととき

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『エリザベスの友達』村田喜代子

新潮文庫 2021.11.3読了

 

里(せんり)の母親初音(はつね)さんは97歳、認知症のため施設で暮らしている。千里は週に2回、千里の姉の満洲美は歩行が困難なため千里と一緒に週に1回母親に会いに行く。千里と満州美のそれぞれの視点で現実が語られる。また一方では、初音さんが20歳の頃満州で暮らしていたときの記憶とともに過去に遡る。

知症が悪いところばかりでないのは「認知がある人は死に別れた人たちと夢の中で会うことができる」からだという。元気に100歳まで生きていても、現実で大切な人と会うことはできない。夢のような世界を想い描き幸せに暮らすことができるのなら、ともちろん思うけれど、ここに出てくる高齢者たちはある程度裕福な人たちで、ちゃんとした施設と人に守られているのだ。

知症を患った人とその家族がこんなふうに安心して暮らす人たちばかりではないのに、と最初は思っていた。綺麗な部分だけを取り上げているのだと。しかし途中からはそんな思いがどこかに飛んでしまい、穏やかで優しいこのほのぼのとした空気に馴染んでいき心が洗われていった。

分の母親のことを「初音さん」とさんづけで呼ぶ姉妹、そして歳の離れた千里が姉を「お姉さん」と育ちが良かったろうなと思う呼び方をし、姉の今後を気遣う姿にあたたかい気持ちになれる。

知症になった人が心の中で(夢の中で)思い出す自分の過去が「忘れられない幸せなひととき」なのであれば、両親をはじめ自分にとって大切な人が実際にそうなったときに色々と聞いてみたいと思った。もしかすると、本当なら口にしなかった真実の想いが聞けるのかもしれない。

田喜代子さんの作品はだいぶ前に『ゆうじょこう』という遊郭に身売りされた女性が主人公の小説を読んで、結構おもしろかった記憶がある。女性の複雑な心模様やたくましい生き方を優しいタッチで表現するのがとても上手い。

『皇帝のかぎ煙草入れ』ジョン・ディクスン・カー|日本語以上に流暢な文章で傑作ミステリを

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『皇帝のかぎ煙草入れ』ジョン・ディクスン・カー 駒月雅子/訳

創元推理文庫 2021.11.3読了

 

の作品はジョン・ディクスン・カーの多くの小説の中でも名作と名高く、そのトリックはアガサ・クリスティーをも脱帽させたと言わしめている。クリスティー作品を読むことをライフワークにしている者にとって、これは読むしかない。

夫ネッドと離婚したばかりのイヴは、トビイ・ローズと知り合う。ローズ家の人たちにも気に入られ、トビイからの求婚を受けて婚約をした。ところがトビイの父親が書斎で殺害され、その容疑がイヴに降りかかる。何故、ありもしない証拠がー。

の小説のタイトルである「かぎ煙草入れ」がどんなものなのか私は知らなかった。吸う目的ではなく名前の通り「嗅ぐ」粉末を入れるものである。作中に登場するこのかぎ煙草入れは、ナポレオン皇帝のものでたいそうな骨董品としてマニアにはたまらないものらしい。

い作品であるのに、全く色褪せることのない優れた傑作だった。解説を読むと、あらゆる布石が打たれていたにも関わらず、全くわからなかったことに「参りました」となる。また、男女の恋愛観の特徴もよく捉えられており共感しながら読み進められる。登場人物も少なめで混乱もなく読める。

れにしても訳のなんとこなれたことか。まるで訳されたものであることを忘れてしまうほどで、下手な日本語以上に流暢ですらすらと読めた。カーの小説は、過去に読んだことがないかもしれない。別名義のカーター・ディクソンの作品も。有名すぎて未読ということは結構あるあるで、まさにそれ。

人的に、創元推理文庫はフォントが小さいからあまり好きではないのだけれど、このカーのシリーズのジャケットはアンティーク調のイラストに味があってミステリ感が漂いわくわくする。また、別のカー作品を読んでみよう。

『アレグリアとは仕事はできない』津村記久子|機械との付き合い方

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アレグリアとは仕事はできない』津村記久子

ちくま文庫 2021.11.1読了

 

っきり同僚の女子社員のことだと思っていたら、このアレグリアって複合機だったのか…。地質調査会社で働く事務員のミノベは、高機能と謳われた複合機と格闘する。1分間機能を果たしては2分の休憩をする、すぐに壊れる、メンテ会社にも判断できないエラーをする…。コピー機に八つ当たりしても仕方がないのに。

かるなぁ。コピー機にもその機械なりの癖があって、詰まったら叩けば何とかなるみたいなところがあるからそれなりにうまく付き合っていくしかない。それでも機械にはたまにポンコツが存在するし、電化製品は運もある。スマホやパソコンなんて新品でも壊れたり調子が悪いことがある。「電化製品運が悪いね」と機械に詳しい人に言われたこともある。

ピー機の話だけで中編小説になっていることもまぁまぁすごいのだが、ミノベや先輩に共感したりしているうちに、クスリと笑いながら気が付くと読み終えてしまっていた。当たり前だけど、壊れた機械を修理する相手もまた人間なのであって、その担当者も色々悩みをかかえてるんだなと思ったり。こういったメンテを頼む時にも相手のことを気にかけないといけないなと反省した。

代はコピー機自体の使用回数が減り、ファックスはなくなりつつある。私の働く会社も10年前と比べて複合機は半分以下に減った。もしかしたらこの感覚がわかるのは限られた世代だけなのかもしれない。それでも多くの機会に対する思いやりと付き合い方は今後変わらないだろう。

題作の他に『地下鉄の叙事詩』という中編小説が収録されている。通勤ラッシュ時の満員電車で起きた事件が4人の視点で書かれている。津村さんの想像力は半端ない。いつもこうして電車の中で見かける人をあれこれと思い廻らしているのかなぁ。

初はのんびりと読んでいたが、視点が変わるにつれてモヤモヤと嫌な気分になっていった。痴漢の話なのだ。電車といえば、2日前に京王線で切り付け・放火の事件が起きた。私たちは安心して電車に乗ることもできないのか…。

やはや、結構立て続けに読んでいるが、津村記久子さんの文章はなんだか癖になる。まだ未読の作品があるから全て読もうと思っている。

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『ウォーターダンサー』タナハシ・コーツ|未だなお続く差別問題

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『ウォーターダンサー』タナハシ・コーツ 上岡伸雄/訳

新潮クレスト・ブックス 2021.10.31読了

 

しい装丁である。そしてタイトルもまた美しい。だけど、この美しい本の中に書かれているのは、自由を奪われたアメリカ南部の奴隷制度のことだ。現代でもなお社会問題として切り離せない人種差別をテーマとした心をえぐるストーリーだ。

人で農園主の父と黒人奴隷の母を親に持つハイラムは、兄メイナードに仕える者として暮らす。ハイラムには、物事を絵画のように記憶できるという特殊な能力があり、それを見込まれて教育を受けることになる。

隷の逃亡を助けるネットワーク「地下鉄道」の話であることは知っていたが、ストーリーがどう繋がっていくのか初めは全く予想がつかなかった。途中、同じ作品を読んでいるのか不思議に感じてしまうほど。何世代にも渡る奴隷の苦しい物語が語られているが、そんな中でもハイラム達は幸せを見つけようと前向きに希望を見出そうとする。

たち日本人にとって、奴隷制度はなかなか想像出来ない。上級市民、下級白人、黒人奴隷という階層がいる中で、奴隷がどのように扱われるのか。生活をするに当たり、奴隷がいないと上級市民たちは何もできないということにハイラムが気付く場面がある。それでもなすすべがない現実に胸が痛くなる。

も素晴らしい。2作前に読んだ『ワインズバーグ、オハイオ』と同じ上岡伸雄さんだった。でも、受ける雰囲気は全然違う。原文である英語の文体が人により全く異なるのだろうが、文体の特徴をそのまま訳せる訳者さんには頭が下がる。

ナハシ・コーツさんは日系の方だと思っていたら、アフリカ系アメリカ人であった。確かに日本の「棚橋」だとしたら(勝手に思い違いをしていた)、コーツ・タナハシになって後ろに来るはずだもんな。タナハシは古代アフリカの王国を表すエジプト語からきているらしい。

ャーナリストでもあるコーツさんは、2015年『世界と僕のあいだに 』で全米図書賞を受賞したそうだ。アメリカの人種問題と戦う作家である。小説はなんとこの『ウォーターダンサー』が初めてだということだが、その完成度の高さに驚く。ブラット・ピット主演で映画化も決まっている。小説は結構難しいので、映像で観てみたい。

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『夜が明ける』西加奈子|「助けてください」と言える、言わせる社会に

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『夜が明ける』西加奈子 ★★

新潮社 2021.10.28読了

 

倒的なパワーがある。西さんの文章は誰でも読みやすくてすらすら頁が進むのに、魂がこもっていて重たい。この小説の主人公とその友人がたどる道は正直つらい。読んでいて結構苦しかったのだけれど、最後は心が洗われて少しの希望が生まれる。この作品、何かの文学賞を取るんじゃないかと思う。

西加奈子さんは、思春期の男子の心情を描くのが本当に上手い。言葉遣い、男同士の友情、性への目覚め。そもそもこんな過酷な生活環境で育ったわけけではないのに、どうしてこんな気持ちがわかるのだろう?どうしてこんなにリアルで、まるで現実に起きているかのように感じるのだろう。

校生の時に、主人公で語り手の「俺」は、アキ(深沢暁)と出会い親友になる。かつてフィンランドに存在した映画俳優アキ・マケライネンに似た彼。アキの人生を大きく変えた「俺」と、大切な親友「アキ」の30代半ばになるまでが描かれた魂を揺さぶられる物語である。

人になると、家族や仲の良い友人以外では、同じ会社や同じ趣味嗜好を持った仲間と過ごすことが多い。その小さな組織は似通ったものだから、例えば金銭感覚や好きなものが当然だが一致していることが多い。 

も、本来は、年齢も性別も環境も様々な人たちがいる集まりで生きていくのが人間であって、そこで自分と異なるものを持つ相手の何かに気付くことができるのではないか。人の痛みや気持ちを汲もうと、寄り添おうと思えるのではないか。同じ分類の狭いカテゴリの中にいてはたぶん気付かない。

西加奈子さんの作品はかなり読んでいるが、最高におもしろかったのが『サラバ!』だ。直木賞本屋大賞を同時受賞しているのはやはり伊達じゃない。読書をあまりしない人に「何の本がいいかな?」と聞かれたら、私は迷わず『サラバ!』をすすめている。どんな人でも楽しく夢中になれると思うから。

5年前に刊行された『ℹ︎』は、期待していたほどではなかった。『サラバ!』の大いなる山を早いうちに築きあげてしまったことで、超える作品を!と気負って苦しかった時期もあったろう。ここ数年新刊が出ないと思っていたら、この『夜が明ける』という大作を執筆していたんだ。作家って本当に苦しいだろうなぁ。楽しく書いている人なんてほんのひと握りだと思う。

独な執筆作業を乗り越えて上梓したこの作品は圧巻だった。西さんの代表作のひとつになると思う。「幼児虐待」「貧困」「格差社会」「親ガチャ」「超過勤務」、このようなワードが飛び交う現代だからこそ読まれるべき作品だ。苦しい時、困った時に、「助けてください」と言える、そして言わせる社会にしなくてはいけない。そして、当たり前のように人に寄り添える人間でありたい。

ャケットを飾る装画は、西さん自ら描いたものだ。顔の下半分だけであるがこれはアキだ。いつもながらに西さんは才能に満ちているなぁ。迫力がある色遣いとタッチにも魂がこもっている。

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『ワインズバーグ、オハイオ』シャーウッド・アンダーソン|ある街での人々のいとなみ

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『ワインズバーグ、オハイオ』シャーウッド・アンダーソン 上岡伸雄/訳

新潮文庫 2021.10.25読了

 

から読みたかった小説である。期待していた通り、なかなか好みの作品であった。大切に、じっくりと、耳を澄ませて、街並みと人物を想像しながらゆっくりと読み耽った。

ハイオ州にあるワインズバーグという架空の街を舞台としたそこに住む人々の群像劇である。地元の若手新聞記者ジョージ・ウィラードは、この街に住むちょっと変わった人々に耳を傾ける。20を超える短編が積み重なる連作になっているが、ウィラードがほとんどに登場することで一貫性が生まれている。

者の上岡さんは「グロテスク」な人々を「いびつな」人々と訳している。グロテスクは既に日本では一つの単語になっており怪しげな雰囲気があるが、ここでいう変わった人々は滑稽で愛おしいニュアンスがあるために「いびつな」としたようだ。

分の「手」が勝手に動き出しおかしなことをしてしまう男性、真夜中に急に家から飛び出し全裸で走り出す女性。ある意味狂気の沙汰にみえるかもしれない多くのキャラクターたちだけど、表に出さないだけで、誰にでもどこかいびつで変なところはあるのではないか。

く、犯罪を犯してしまうかどうかは紙一重なんていうけど、「変なことをしてしまう」「周りに変な人にみられる」ことなんてもっとあり得るべきことなのだ。だから、ワインズバーグに住む人々が変わっているわけではなく、どんな街も同じなのだと思う。誰もが持つ「弱い部分」を認め理解し合い生きていくのが人間なのだということ。

かが、これを読んで堀江敏幸さんの『雪沼とその周辺』に雰囲気が似ていると言っていた。うん、確かに。ある街を主人公にした群像劇だからだろうし、優しさに包まれた空気も類似しているように思う。エリザベス・ストラウトさんの『オリーヴ・キタリッジの生活』にも似ている。私にとってこの2作は大切な作品であるから、この『ワインズバーグ〜』も同じように好きになるのは必然だ。

説を読むと、宮本輝さんの『夢見通りの人々』も街を通して人々を描いた作品であるそうだ。アンダーソン氏はおそらく世界中の作家に影響を及ぼし、この手法を広めていった。あるひとつの田舎町に焦点を当てて、そこで繰り広げられる暮らし、それはもう私たちが住む街と同じように息づいている。

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『作家は時代の神経である コロナ禍のクロニクル2020→2021』髙村薫|コロナ禍でみえたもの

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『作家は時代の神経である コロナ禍のクロニクル2020→2021』髙村薫

毎日新聞出版 2021.10.23読了

 

型コロナウィルスの新規感染者が急激に減り、このまま第6波も来ないで完全に収束して欲しい。国民の誰もがそう期待し、私たちの生活は実際にコロナ禍以前の日常に少しづつ戻りつつある。

の本は、『サンデー毎日』の時評欄に2020年3月から2021年5月まで連載されていた髙村薫さんのコラムを1冊にまとめたものである。毎週書かれた時評をまとめて読むことで、日本のたどった過程がわかる。

ういった本を出す小説家は稀である。私は髙村薫さんのことを尊敬しており、彼女が書く作品を愛読しているが、小説以外を読むのは初めてだ。語られるのは小説と同様に、冷酷で凄みのある文章で切れ味鋭い。いつもながら「男まさり」の文体がカッコいい。

村さんは、コロナ禍で世界に広まっているのは「鵺(ぬえ)のような不安心理」だと表現している。鵺というのは鳥なのか?調べると「伝説上の妖怪、得体の知れないもの」という意味だそう。得体の知れない感染症、確かに。例えすらカッコいい。

のコラムが連載された期間(今に至るまで)の主な出来事は圧倒的に新型コロナウィルスなので、ほとんどの頁にコロナという言葉が出現する。サブタイトルになっているほど。

かしコロナに隠れてしまっているが重大な事件や重要な出来事も起きていた。現職国会議員夫婦の公職選挙法違反、トランプ陣営をめぐり発砲事件まで起きたアメリカ大統領選、津久井やまゆり園で19人を殺害した男への死刑判決など。そしてオリンピックと、色々とあった。

の本では政府批判が多すぎるきらいがある。確かにコロナをめぐる政府の対応は後進的であったし、国民へのメッセージが伝わりにくかった。世界からみても遅れを取っている部分が目立ったのは確かだ。ただ、日本人が自国を悪く言うのをみて良い気持ちにならない。完全に一読者の勝手な感想になるが、少し悲しくどんよりとした気持ちになってしまった。

はり髙村さんには小説を書いて欲しい。物語世界でなおその力を発揮するから。このコロナ禍で感じたことをテーマにして作品を作ってほしい。そしてそもそもこのような時評は、まとめて読むのではなくリアルタイムで毎週読むのが根本的に正しいのだと思う。その時点での現実や思いが過去のものだと実感として乏しくなり、結果論としてみてしまうから。

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『自転車泥棒』呉明益|心を込めて修理し、大切に使われるモノ

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自転車泥棒』呉明益 天野健太郎/訳

文春文庫 2021.10.21読了

 

湾の情景を想像すると、なぜか懐かしく感じる。一度しか行ったことがないのに何故「懐かしさ」を感じるのだろうか。おそらく過去に台湾を舞台にした小説を読みそう感じたのだろう。台湾の歴史には「日本時代」が存在し身近であること、そして実際に田舎ののどかな土地が舞台になっている作品が多いから懐かしく感じるのかもしれない。

明益さんの小説は少し前に『複眼人』を読んだのだが、読みやすさからいえばこの『自転車泥棒』のほうが圧倒的であり、かつとてもおもしろく読めた。『複眼人』がファンタジー・SF丸出しで「未来を想像する」のに対して、この作品は「過去を探る」タイプだから、とっつきやすいのだ。

転車と一緒に疾走してしまった父親について、その行方を探るストーリーである。自転車そのものへの愛についても存分に語られている。アジア諸国を観光で訪れると、自転車や原付の多さに驚く。私が旅行で訪れた時は、ベトナムやタイは原付が多かったが、台湾は確かに自転車が多かった記憶がある。それもかなり昔のことだから現在はどうだろう。

親と自転車を探すという行為よりも、家族の歴史や思い出を紐解き、そのルーツを知る過程をしみじみと味わう作品といえる。人と人との繋がりから枝分かれして過去の出来事が絡み合う。静子から聞いたオランウータンやゾウの話はとても印象に残った。何より円山動物園(えんざんどうぶつえん・台北に移転)での殺処分には心が傷む。作中にも登場する『かわいそうなぞう』は、私も子供の頃に読み今でも忘れられない。

人公が探す「幸福」印の自転車は新品のときと全く同じものは決して存在しない。何故なら、細かな部品は交換され、傷んだ箇所は修理され、パーツごとにみると年代も違い種類も変わっていくから。

ノを大切にすること、この意味を改めて深く考えさせられた。自転車だけではない、洋服、鞄、靴、道具、テレビ、そして車や家に至るまで、どんなモノも、どこかが傷んだら「ハイ終わり!新しいものを!」ではなく、心を込めて修理をすることで長持ちするし、長く使ってみて初めて自分のものになったと実感し愛おしくなるのだ。

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